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あなたの番になりたかった  作者: 片山絢森
4.番の資格

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25/32

25.決別


    ***



 地下牢に着くまで、面白いほど誰にも会わなかった。


 正確に言えば人はいたが、シェーラが上手に目をかいくぐってくれた。

 いつの間にそんな技術を身に着けたのかと思ったら、この城に来た当初、あまりにジェイドがまとわりつくので、周囲の者が教えてくれたという話だった。


(そんな切ない話は聞きたくなかった……)


 竜の城の地下牢は、貴人を入れるためのものらしい。

 レフリレイアもしばらく入っていたが、今は外に出されたという。竜気を失った彼女は、もはやギルフェルドの番候補ではありえない。王族との婚姻も許されず、未だに番も現れない。いつか現れたとしても、彼女の気に入る相手ではないだろう。彼女にとって、竜人の王子以上の番はいない。それだけは確かだった。


(私は……)


 無意識に唇を噛み、アイナはぎゅっと目を閉じた。


「――さあ、ここが入口よ」


 地下牢のある場所は、中庭のひとつから少し外れた建物だった。

 ここからはわたくしも行けないわ、とシェーラが告げる。


「そんなに長い時間は取れないわ。階段を下りた先の、一番奥の部屋。行けば分かるはずよ」

「ありがとうございます、シェーラさん」

「お礼ならジェイドに言ってちょうだい」


 そう言うと、軽やかに身をひるがえす。ドレスの裾がなびき、蝶のように揺れた。


 それを見送り、アイナは深呼吸する。

 ここからはアイナひとりだ。

 入り口に見張りの姿はなく、アイナはやすやすと中に入った。


 慎重に、薄暗い階段を下りていく。ややじめじめしていたが、思っていたほどひどくはない。アイナが以前暮らしていた環境よりはよほどましだ。けれど、レフリレイアなら耐えられないかもしれない。ガルゼルはどうだろうと思った時、階段が終わった。


 石造りの床を踏みしめた時、空気が変わったのが分かった。


 あの人はここにいる。

 それが分かり、アイナはごくりと息を呑んだ。


 一歩一歩、着実に足を進めていく。急がなければならない事は分かっていたが、駆け出す事はできなかった。


 シェーラの言う通り、一番奥に人影があった。

 鉄格子の向こう、ぼんやりと壁にもたれる人物。


 予想に反し、拘束されているわけではない。力なく床に座り込んだまま、ただ息をしているだけだ。その息さえ、ふとすれば止まってしまうようだった。



 儚い。



 それが最初の感想だった。


 近くには食事の皿があったが、まったく手をつけられていない。

 それを見て、アイナは息を吸い込んだ。


「……ガルゼルさま」

「――――……」


 ぴくり、とガルゼルが動いた。

 ぎくしゃくと首を上げ、そこにいるのがアイナだと知ると、驚いたように目を見張る。ひび割れた唇が震え、声にならない呻きが漏れた。


「――アイ、ナ……」

「お久しぶりです。……ご飯、食べてないんですか」


 最初の言葉がそれかと思ったが、空腹は何より辛い。それはアイナが体験した事だ。


「食欲がないのだ。食べたくない」

「あるのに食べないのはもったいないです。せっかく用意してくれたのに」


 アイナはあの時、食べたくても食べられなかったのに。


「……そうだな。いただこう」


 ガルゼルは素直に匙を取った。スープを一口、二口飲む。


 アイナは知らなかったが、これを見た者がいれば驚いただろう。何しろガルゼルは捕らえられてからというもの、水すら口にしなかったのだ。獣人は体力があるとはいえ、十日近くも飲まず食わずだったなど考えられない。それがアイナの一言で、食事を摂った。


「……残りも必ず食べる。今はこれだけでいいか」

「はい……」


 おそらく、胃が受けつけないのだろう。それを知ったアイナは頷いた。


「……どうして来てくれた」

「それは……」

「俺をいらないと言ったのに。一生目の前に現れるなと言ったはずだ」


 ガルゼルの声には力がなく、投げやりなものが感じられた。

 アイナは無言でかぶりを振った。


「ごめんなさい。どうしても気になって、会いに来ました」

「なぜだ?」


 ガルゼルにとってアイナは番だが、人間であるアイナにはそれが分からない。アイナから拒絶された以上、二人をつなげるものはない。


 アイナはもう一度かぶりを振った。今度はもう少し強く、大きく。


「言いたいことがあったんです。それをあなたに伝えに来ました」

「言いたいこと?」

 恨み言か、とガルゼルは(わら)った。乾いた空虚な笑いだった。


「いいぞ、構わない。俺はそれだけのことをした」

「ガルゼルさま?」

「あの女の力に当てられたとはいえ、お前にひどい真似をした。それだけでなく、以前のことも……。お前には俺を罵る権利がある」

「そういうわけじゃありません」


 今さらかとも思ったが、レフリレイアの竜気に当てられたのは本当だろう。あの話の通じなさは、いくらなんでもひどすぎた。もっとも狼の国にいる間もひどかったので、大差ないかもしれないが。


「初めて会った日のことを、覚えていますか」


 突然の話題に戸惑ったのか、ガルゼルは目を瞬いた。

 ややあって、頷く。


「……もちろん覚えている。お前の姿を目にした瞬間、時が止まった。なんと愛らしい娘だろうと――そして、俺の番だと分かって嬉しかった。人生最良の日だと思った」

「あなたは私を番だと言ったけど、私には分からなかった。でも、そう言ってくれたことは嫌じゃなかった」


 前にも言った事だ。恋ではなかったけれど、親愛の情はあった。


「最初に会った日からずっと、私は番が分からなかった。シェーラさんは違ったけど、私には無理だった。……だから、あなたに偽物だと言われても、違うと言い切ることができなかった」


 騙していないと言う事はできる。けれど、本物の番だという確証はなかった。

 ギルフェルドの番ではないかと言われて、嬉しさよりも困惑した。そんなはずはないと思った。


 だってアイナはガルゼルの番だ。彼にそう言われたから。

 けれど、シェーラに出会って、番が替わる事もあると教えてもらった。


 だったら、そういう事もあるだろうか。


 ギルフェルドには未だに番がいない。アイナに出会っても、彼にさしたる反応はない。多分アイナは彼の番ではないのだろう。でも、番は自分で選ぶ事もあると教えてもらった。


 アイナがガルゼルの番でなく、誰を好きになってもいいのなら。

 運命に導かれる番でなく、自ら選ぶ相手なら。

 あの人を好きだと思っても――いいのだろうか?


 アイナは彼の番にはなれない。

 家族の事は大切だし、今も会いたい思いは消えない。竜人の上、第一王子である彼など、不釣り合いにもほどがある。寿命の違いも、種族の違いも、今のアイナには大きすぎる。


 でも……でも、想うだけなら。


 好きだという思いを抱いて、人間の国に戻ればいい。いつかそれは徐々に薄れ、取り出しても胸が痛まないようになる。

 アイナが年を取り、いつかよぼよぼのおばあさんになった時、なつかしく思い出す記憶であればいい。


 そう思ったのに、知ってしまった。

 ガルゼルに再会したあの日、唐突に分かってしまった。

 出会ってずっと分からなかったのに、あの瞬間に気づいてしまった。


「私は……あなたの番でした」

「アイナ?」

「あなたと糸でつながっていた。それが分かったんです」


 細い細い、頼りない糸。

 それでもそれは切れる事なく、アイナとともにあったのだ。


 ガルゼルの目が曇り、アイナを虐げていた時もなお、二人の間に存在していた。

 アイナを襲ったあの時、ガルゼルが突然体を離したのも、アイナがこの城にいると確信したのも。ここにガルゼルがいると分かったのも、番だったら感じ取れる。


 あの時泣いたのも全部、彼が番だったからだ。


「アイナ……本当か? 人間のお前が番を感じ取れるなど……」

「シェーラさんもそうでした。はっきりとは分からないけど、感じます」

「おお……」


 ガルゼルの目が輝いた。震える足がアイナへと向かい、力を失ってくずおれる。それでも彼は手を伸ばした。


「アイナ……アイナ。俺の番、俺の最愛……」

「――だから、ちゃんとお別れを言いに来ました」


 それを聞き、ガルゼルはぴたりと動きを止めた。信じられないという顔だった。


「何を……アイナ」

「この間は、ちゃんと言えませんでした。きちんとお別れするために来たんです」

「……待ってくれ! お前も番だと分かったのだろう? それなら俺のそばにいればいい。きっと幸せになれるはずだ!」

「できません」


 アイナは首を振った。今度は緩やかに、ほんのかすかに。


「前にも言った通り、それは無理です。だから、会うのはこれが最後です」

「……嫌だ」


「今までありがとうございました。思い出したくないこともあるけど、もういいです。ずっと覚えている方が辛いから」

「嫌だ……」


「あの時は言えなかったけど、今は言えます。私はあなたの番でした」

「嫌だ、アイナ……っ」


「お元気で、ガルゼルさま」

「嫌だあああぁ―――ッ!」


 ガルゼルの絶叫を、アイナは穏やかに受け止めた。

 これ以上傷つけたいわけではない。彼はもう、十分に罰を受けたはずだから。


「ガルゼルさま」

 彼の目を見て、アイナは言った。


「私と家族を助けてくれて、ありがとうございます」

「…………。何?」

「あの時、うちは本当に貧しくて、明日食べるものさえろくになくて。冬が越せるか分からなかった。だからあなたが贈り物をくれて、本当に助かったんです」


 今でも覚えている。彼がしてくれたたくさんの事。

 服や食べ物、十分なお金、炭や木材にいたるまで。


「狼の国に着いてからも、援助をしてくれたそうですね。私はそれを確かめられなかったけど、ギルさまが聞いてきてくれました」

「…………」

「番じゃなくなってからは無理だったけど、それまではずっと助けてくれたって。ありがとうございます、ガルゼルさま。あなたは私たちの恩人です」

「……お、俺は……」


 ガルゼルはその場に固まっていた。何か言いかけ、口を閉ざし、それを幾度か繰り返す。やがて彼は口を開いた。


「俺は……お前が喜ぶだろうと、だからその顔が見たくて……それだけだ」

「それでも、嬉しかったんです」

「お前に騙されたと知って、怒りが湧いて……。誰よりも愛しかったからこそ、余計に悔しくて、腹が立って、許せなくて……」


 ――怒りに任せて虐げた。

 アイナは小さく頷いた。


「忘れます。もういいです」

「だが、俺はお前を……っ」

「狼の国に戻ったら、ひとつだけ約束してください」


 アイナの言葉に、ガルゼルは目を瞬いた。アイナは一度目を閉じて、後を続けた。


「二度と同じ目に遭う人が出ないよう、虐げられた人々のために働いてください。獣人に見出されて、勝手に違うと言われた人たちのために」

「アイナ……」

「彼らがひどい目に遭わないよう、あなたが目を光らせてください。国王ならできるでしょう?」

「無理だ……俺は。どうせ王座を追われるし、そんな力など……」

「あなたならできます、きっと」


 だから、あなたに託したい。

 アイナは彼の目を見つめた。かつて好きだった瞳の色を。

 濁っていたはずの目がふと澄んで、以前の色彩を浮かべた気がした。


「……無理なことを言う」

 ガルゼルはハッと笑みを浮かべた。先ほどよりもましな顔つきだった。


「国王じゃなくなったとしても、彼らのために動くことはできます。それをしてくれたら、私はあなたを許します」

「アイナ、俺は……」

「それでお別れです、ガルゼルさま」


 それは決別の言葉だった。


 ガルゼルは声を失ったままアイナを見ていた。長い時間が過ぎ、ぎこちなく首を振る。乾いた髪が揺れて、ぱさついた音を立てた。


「……お願いだ。俺と一緒に……虐げられた者たちを救ってくれ。お前となら、きっとできる。今度こそ間違えない。一生大切にすると誓う。だから、だから……」

「できません」

「二度と同じ過ちは犯さない。お前にずっと償い続ける。王座も、権力も、名誉もいらない。お前だけそばにいればいい。だからアイナ、頼むから俺と……っ」

「できません」

「お前のことが好きなのだ!」


 血を吐くような叫びだった。


「愛している、愛している愛している愛している! お前を心から愛している。番だからではない、愛したお前が番だから嬉しかったのだ! 俺は順番を間違えた!」

「ガルゼルさま……」

「俺を捨てないでくれ、アイナ……!」


 檻の隙間から伸ばす指先には血が滲んでいた。

 必死な顔。必死な声。

 胸を衝かれる気がしたが、アイナはそれでも首を振った。


「できません」

「どうして!」


 だって。


「……好きな人がいるんです」


 それを聞き、ガルゼルは呆けた顔になった。


「何、……?」

「その人のことが好きだから、あなたと一緒には行けません。ごめんなさい、ガルゼルさま」


 これを告げる気はなかったが、告げないのは不誠実だと分かっていた。


「だから、ちゃんとお別れしたかったんです」

「アイナ、どうして……」

「あなたにはこの先きっと、大変なことが待っている。辛いこともあるかもしれません。でも、大丈夫です」


 そっとその手に触れて、目を閉じる。



「どうか、生きてください」



「――――!」

「そしてたくさんの人のために働いてください。さっきも言いましたけど、ガルゼルさまならきっとできます」

「……そこに……お前はいないのにか?」

「昔の私と似たような人が、この先もいます。その人たちを助けてください」


 どうか、お願いだから。

 手を離すと、ガルゼルの指は地に落ちた。ぱたりと小さな音がした。


「……それがお前への償いか」

「どうでしょう……いえ、そうですね」

「それなら命を懸けねばなるまい。番との約束は絶対だ」

「はい、信じてます」


 そろそろ時間かと思ったアイナの横で、「手を」というガルゼルの声がした。


「もう一度……手に触れさせてくれないか」

「え?」

「指だけだ。何もしない」


 目を見張ったが、アイナは素直に手を伸ばした。檻越しに指先が触れ合い、そっと握られる。かさついた手がアイナの指をなぞり、爪をなぞって、愛おしむように触れていく。不思議と嫌な感じはなく、聖なるものに触れるような手つきだった。


 彼はそっとアイナの指先に口づけた。触れるか触れないかの距離で、静かに離れる。その手を両手で捧げ持ち、彼は自らの額につけた。


「…………悪かった……」


 謝罪の声は、ようやく聞こえるほどだった。

 アイナは無言で首を振り、涙がこぼれないよう力を込めた。


 もういい。もう十分だ。

 先ほども言ったはずの言葉を、もう一度告げる。


「――許します」


 そして静かに手を引き抜く。

 背を向けた後も、ガルゼルが自分を見つめているのは感じていた。


 なつかしいその視線。その気配。

 だから、振り向く事はしない。



 ――プツリ。



 その時、細い細い糸が切れる音が聞こえた気がした。

 でもそれは、気のせいかもしれない。

 アイナは前を向いて足を進めた。

 そして二度と振り向かなかった。

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