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何者

「グレイ!?」

 まさかあの人が・・・・・・って、まさかということもないか。本人が自分で怪しい実験をしていると言っていた。

「じゃあ、すぐにでも俺が取りに行って」

「無理だ、今から行って帰ってでは間に合わないよ。・・・・・・あとはコネクトをするしかないけど、それはスバルを不幸にするし・・・・・・」

 カムイが沈痛な面持ちでぶつぶつと独りごちる。見た目は特異だけれど、心底彼女を心配しているのだ。最初の印象と変わらず、彼は優しく、人として好もしいと思う。


 そしてもちろん俺だって、スバルを死なせたくない。

「そうだ、行き帰りはどうにかなるかも。俺、グレイの研究所にいる子供に血の入ったカプセルをもらってるんだ。もし君が転送の魂方陣を書けるならすぐにでも・・・・・・」

 俺は彼の魂方陣の知識に期待をかけて、エルからもらったカプセルを差し出した。

 それを見たカムイが目を丸くする。


「・・・・・・これ、エルの血?」

「あ、エルのこと知ってるんだ。そう、あの子の血だよ」

 素直に頷く俺に、彼はぱちりと瞬きをした後、気が抜けたように小さく笑った。

「それがエリクシルだ、ターロイ」

「え?」

 頭上にはてなを飛ばした俺の手のひらから、彼が一粒だけカプセルをつまみ上げる。

「グレイはエルの体を使って、エリクシルを生成している。完全にあの人が管理していて出回らないから、この一粒は金貨千枚でも買えないしろものなんだ。これを君が持っているなんて」


「き、金貨千枚!?」

 動揺して落としそうになった手のひらのカプセルを、俺は慌てて握りしめた。

「その残りのエリクシルは大事にしておいて。誰にも気付かれないように。多分、また必要になる。君はもう・・・・・・」

 カムイは最後まで言葉を続けずに正面を向くと、スバルにカプセルを飲ませた。


 途端に彼女の出血が止まり、浅く弱々しかった呼吸が深く落ち着いていく。さっきまで何の反応もなかった体が、少しぎこちなく身じろぎした。

「スバル!」

 声を掛けると、ゆっくりと重たそうに、薄くその双眼が開く。

「まだ魂の修復には少し時間がかかるけど、スバルはもう大丈夫だ」

 カムイはその背中をゆるりと一回撫でると、おもむろに立ち上がった。


「ターロイ、スバルのことをお願いしていいだろうか。一人、逃げた男がいる。いくつかここのアイテムを持ち出したようなんだ。あれを追わないと」

「一人・・・・・・? あっ!」

 そう言えば、俺の視界から消えて以降、サージの声がしなくなっていた。もしや武器を失って他の人間を俺にけしかけておいて、自分はアイテムを持って逃げおおせたのか。


「そうだ、サーヴァレットは? もしかしてサージが・・・・・・」

「・・・・・・何? ターロイ、どうして君がサーヴァレットのことを知っているんだ」

「グレイがそのアイテムは絶対馬鹿に持たせちゃいけないって言うんで、俺が取りに・・・・・・じゃなくて、一時預かりしに来たんだ。そもそもそれが目的でここに送り出されたんだけど」

「これもグレイの差し金か・・・・・・。あんまりこっちに手を出して欲しくないのに、全くあの人は」

 カムイはうんざりとしたようなため息を吐いた。


「他にもグレイが、神の使いを解放してくれって言ってたんだけど・・・・・・それって、君のこと?」

 ついでに異形の彼に半分確信を持って訊ねてみる。幽閉されていると言うわりに出歩いているし知り合いもいるようだが、見目同様不思議な力と知識を持つ人が他にそういるとは思えない。

 しかしそれにカムイは少し困った顔をして、それから首を左右に振った。


「・・・・・・グレイの言う神の使いとは、ここに結界を張った彼のことだ。世界の理の片鱗を知る人物・・・・・・名をルークと言う」

「ルーク? ・・・・・・ええと、じゃあ君は何者なんだ?」

 あれ、どうも俺の予想が違ったようだ。ならばと単刀直入に訊くと、彼は肩を竦めた。

「もう隠しようもないね。見ての通り、赤い髪、赤い瞳、この世界で忌み子と呼ばれる災厄を招く者だよ。僕と関わった人は不幸になる。・・・・・・呪われてしまったあの人のようにね。だから君も僕には必要以上に関わらない方がいい」

 自虐的な科白を淡々とした口調で言って、こちらに背を向ける。まるで俺を拒絶するように。


「・・・・・・ところでサーヴァレットだけど、君の推察通り逃げた男に持ち去られた。僕は今からそれを探しに行く。・・・・・・ターロイ、改めてここのことは頼むよ。それから、もうグレイの元にはもう戻らない方がいい。事の顛末は僕が伝えておくから」

「えっ? おい・・・・・・」

 一方的に告げて、こちらに一瞥もくれずにカムイは暗闇に向かって走って行ってしまった。


 ちょっと待て、グレイの元に戻るなと言われても困る。

 俺の本来の目的の、再生師への道がまだ始まってもいない。


 しばし彼の去った方向を呆然と見る。

 けれど後ろでスバルが動く気配がして、俺ははたと意識を引き戻された。振り返るのと同じタイミングで、彼女がよろりと立ち上がる。

「スバル?」

 そのまま歩き出した狼に、寄り添うようについて行く。

 一体どこに行く気だろう。

 訝しみながらも歩いていると、不意に森の合間から大きな川に出た。


 対岸は闇でよく分からないが、川の流れ自体はあまり速くない。月の光が穏やかに水面に映る。

 その川に近付いて、スバルは流れた血を補うようにがぶがぶと水を飲み始めた。随分と喉が渇いていたのだろうか。

 そしてひとしきり飲み終わると、今度はざぶざぶと全身川に入っていった。

「おい、スバル、大丈夫なのか?」

 声を掛けた俺を見ながら、彼女が水の中で体を揺する。それから一旦ざぶんと頭まで体を沈めた。


 スバルを中心にして、水面に大きな波紋が広がっていく。


 再び彼女が頭を出したとき、その姿は銀髪の女の子になっていた。

「・・・・・・血の匂いはまだ残っているですが、血の汚れは大体落ちたようです」

 全身を濡らした少女が銀の髪をかき上げ、肌に流れる水滴が月下の光を弾く。

 彼女の銀はきらきらと月光に映える。

 少し気怠そうに川から上がってくるスバルに、不覚にもドキドキしてしまった。


「ス、スバル、体は・・・・・・わぷっ!?」

 近付いてくる彼女を何か落ち着かない気持ちで見ながら声を掛けようとして。

 しかし次の瞬間、間近で体をブルブルと震わせて水を飛ばされて、そんな気分も一緒に消し飛ばされた。

「ちょ、こんな近くで水飛ばずなよ!」

 一瞬で俺の全身がべっちゃりと濡れてしまった。

「あー、ごめんです、ターロイ。でもこれは本能的な生理現象なので、やめろと言われてもこまるですよ」

 けろりと言ったスバルは手ぐしで毛並みを整えている。


「ふう、死ぬかと思ったです。棺桶に肉球三つ分くらい突っ込んでたですから。・・・・・・ターロイ、助けてくれてありがとうです」

「もう大丈夫そうか? 俺こそスバルを巻き込んですまなかった」

 軽口を叩きながらもまっすぐ礼を述べる彼女に、毒気はすぐに抜けた。俺も気を取り直して謝る。

 しかしスバルは大きく首を振ると、

「ターロイは関係ないです。この森での所業を絶対にスバルは見逃せない。きっとタイミングが違うだけで、遅かれ早かれ同じように奴らと戦っていたです」

 そう言ってから、俺の目の前で跪いた。


「おい、スバル、どうし・・・・・・」

「ターロイはスバルの命の恩人です。今後スバルはこの命でターロイを守護するです。アカツキ様の守護もあるので絶対服従というわけにはいかないですが、ここに宣誓するです」

「え!? そんなの気にしなくていいよ! 味方っていうか、友達なら当然だろ、助けるのは」

 慌ててその腕を取って立たせると、彼女はふふ、と可愛らしく笑った。


「その科白はなかなかスバル好みですよ、ターロイ。まあ、お前は気にしなくていいです。この宣誓はスバル自身と世界へ向けてのものですから」

 そう言って、スバルが自分の口元を指差した。

「言霊というのを知ってるです? これは人間型にしか使えない、世界の理の一つ。意図を持って吐かれた言葉は、魂に紐付けられるのです」

「言霊って、聞いたことはあるけど、・・・・・・魂に紐付けられるって?」


「これはカムイの受け売りですが、世界には偶然というものは存在しないのです。思考、感情、言葉、全てが世界に影響し、偶然のような必然を生み出す。そのための情報を送ったり受け取ったりしているのがそれぞれの魂です。つまり、意図と感情・・・・・・信念とも言うですが、それを言葉にするということは、言霊によってスバルの魂がターロイの危機に対して触角を立てたということなのです」

 うーん、よく分からない。


「たとえば俺が危ないとき、スバルの魂がその情報を受け取って、偶然みたいな必然を起こしてヒーロー的に助けに来るってこと?」

「ざっくり言えばそんな感じです。馬鹿にするものではないですよ、ターロイ。人間は言霊の力を軽視しすぎる。心するといいです、汚い言葉を吐くものはその言葉通りに汚く、美しい言葉を吐くものは美しい心になる。欲しい欲しいと言えば貪欲な人間に、感謝感謝と言えば助けられる人間になるです。何気ない言葉すら、影響は大きい」

 そう言ってから、スバルは肩を竦めた。


「まあ、スバルも少し口汚いのであんまり強く言えないですが」

「あ、もしかして語尾に『です』を付けてるのって、少しでも言葉を丁寧にするためなのか」

「そうです。スバルが生まれた場所は汚い言葉を使う人間が多かったので、きれいな言葉はここに来てから大体カムイに教えてもらったですよ」

 生まれた場所の人間。

 ふとした言葉が引っかかった。

 そういえば、彼女はどこで生まれ、どうしてここに来たんだろう。両親は? 他に獣人はいないのか?

 訊いてみたいけれど、それは容易く触れてはいけない気がして、俺は言葉を飲み込んだ。


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