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万事休す

 しまった、と思ったところでもう遅い。

 今さらだが闇に紛れるためとはいえ、こんな動きにくいひらひらマント、途中で外してしまえば良かった。


 背中からどうと地に落ちて、そのまま広がった俺のマントの裾を男の一人が踏みつける。おかげで起き上がることもできなくなった俺は、唇を噛みしめて集まってきた奴らを見上げるしかなかった。


「ふざけやがって、こいつ!」

「みんなで一息に殺っちまおうぜ!」

 手にしていたハンマーも蹴り飛ばされて、反撃のすべはほぼ失われた。どれか一本の足くらいなら破壊点を狙えばこぶしでも破壊できるだろうが、焼け石に水だ。

 感情が昂ぶると現れる俺の中のもう一人の強気な俺も、なぜか全く現れない。ウェルラントも未だに来ない。孤立無援の気分になって、俺は半ばあきらめかけた。


「ふん、こいつ雑魚のくせに、マントの背中にマークなんか付けてやがる。どこかの軍属気取りかよ」

 しかし、予想外の一人の男の言葉に目を瞠る。このマントは出立の支度をしようとわざわざ言ったグレイが、唯一用意して着せてきたものだった。支度というほどのことでもないと思っていたけれど、もし、彼がこういう事態も予測していたのだとしたら。


 俺の視点からでは見えないが、そこに書かれているのはおそらく魂方陣だろう。


 まだ残る、僅かな希望。

 だがその起動には特定の誰かの血が必要だ。俺は今エルの血を持っているけれど、それをグレイは知らないはず。では、用意周到な彼はどう考えるか。

 ・・・・・・最初から血の入ったカプセルが、そこに仕掛けられているとしたら。わざわざ魂方陣を目立たせたのも、そこを奴らの的にするためかもしれない。


「そ、そのマークは神聖なものだ。俺はどうなってもいいが、それは汚さないでくれ!」

 俺はわざとらしいほど情けない懇願をした。だってこれが最後の救いの糸。男たちの性格を鑑みて、その行動を暗に誘導する。

「はあ? こんなもん、ぐちゃぐちゃにしてやるよ!」

 それにまんまと釣られた男が馬鹿にした笑いを浮かべながらマントを足蹴にした。それを祈るように見る。

 頼む、どんな術でもいいから、発動してくれ!


 ぱりん。

 そのとき、男の足下、俺の頭上で小さな殻が割れるようなかすかな音がした。


 ふわっと淡く周囲が照らされ、ブン、とそこを中心につむじ風のような空気が渦巻く。

「うわあっ!? なんだこれは!?」

 魂方陣を踏みつけた男が驚いて飛び退いた。

 その途端にマントから痛いくらい目映い光の柱が立ち上る。

 あまりの明るさに、暗闇に目が慣れてしまっていた全員がきつく目を瞑った。


「そのまま目を瞑ってて。血が流れるから」

 光の中から俺に向かって誰かが囁く。いや、誰かじゃない、聞いたことのある落ち着いたこの声。カムイだ。

 その声で、俺はひどく緊張していた体に、ようやく大きく空気を入れることができた。


 次の瞬間、俺のすぐ近くにあったいくつもの気配が吹き飛ぶ。

 地を蹴る音、空気を切る音、男の悲鳴、どさりと人間が倒れる音。何度か金属がかち合う音がしたけれど、すぐに野太い男のうめき声が重なった。


 どうなっているのか気になるけれど、今起き上がって彼の邪魔になっては困る。

 そう思うと動くわけにも行かず、事が終わるまでと目を瞑ったままひっくり返っていた俺。その腕を、誰かが引っ張って起こした。

「て、てめえ、こいつの命が惜しかったらおとなし・・・・・・ぐえっ!」

 うお、敵だった。でも科白を言い切る前にやられた。

 間近でヒュンと風を切る音がして、俺の腕を掴んでいた手はすぐに外れる。

 その近さに驚いて、俺はつい目を開けてしまった。


 目の前には、月の光の下でも分かるほど真っ赤な髪に真っ赤な瞳を持った、細身の青年がいた。


 常人ならざるその容姿に思わず息を呑む。なぜならその姿は、この世界では忌み子と呼ばれる、災厄の象徴だったからだ。おまけに彼には驚いたことに、額にさらにもう一つ目があった。


 その目と目が合って、思わず固まってしまう。そんな俺の反応に、彼は少し困ったような顔をした。

 だが、すぐに表情を引き締めてこちらに背を向け、双剣を構える。

「・・・・・・まだ目を閉じていて、ターロイ。その辺にも人が転がってる。血を見ないように」

「あ、ああ」

 俺は慌てて再び目を閉じた。


 正直全然、その姿が気味が悪いとか、不快だとは感じない。

 でも元々不思議な存在だったのに、疑問は深まる一方だ。彼は一体何者なんだ? なぜグレイが用意した魂方陣から出てきたんだ? そもそも、どうして俺を助ける?

 そういえば最初から俺の名前を知っていたし、血に弱いことも知っていた。

 魂方陣をそらで書けるのも謎すぎる。


 そんなことを考えているうちに、あっさりと残りの数人を片付けたらしいカムイに声をかけられた。

「ターロイ、もう目を開けていいよ。周囲は見ないで。暗いからまだいいけど、結構血が流れてる」

 言われてぱちりと目を開けると、少し離れたところにカムイがいた。あ、額の瞳が閉じている。

「あの、助けてくれてありがとう。君が来てくれなかったら俺たち死んでたよ」


「礼は後だ。スバルの怪我がひどい」

 俺の言葉を制してすぐに彼女の元へ行った彼は、狼の体の具合を確認した。俺も慌てて近付き、その隣にしゃがみ込む。

 スバルの呼吸はさっき俺が確認したときより、かなり弱々しくなっていた。

「狼の治療ができるところってあるのかな」

「獣人は本来、驚異的な治癒能力がある。外からの治療は本来それほど必要としないんだ。どこかで診てもらってもあまり意味はないだろう」

 そう言って、カムイは眉間にしわを寄せた。


「スバルの魂そのものにダメージを与えたんだ。彼が張った魂方陣の結界を壊したことといい・・・・・・教団は壊魂武器を手に入れていたのか」

「壊魂?」

「文字通り魂を壊す力だ。もともと竜族が持つ能力なんだけど」

 竜族といえば、創世の物語の七つの種族で最強と言われた一族だ。そんな恐ろしいものの能力を宿したアイテムがあるなんて。


「魂って、治せないのか?」

「彼なら・・・・・・でも結界を壊されたせいでダメージを受けていて、他を回復する余力がない。・・・・・・せめてエリクシルがあればスバルを回復できるんだけど」

「エリクシルって、古代の万能薬だよな。確かもう製法も何も失われた幻の薬だろ? でもどこかに当てがあるなら、俺が取って・・・・・・」


「・・・・・・エリクシルを唯一生成している人間がいる。僕の血を持ち、僕のことを魂方陣でぶしつけに呼び出す男・・・・・・グレイ・リードだ。この魂方陣を使ったということは、君もこの男を知っているんだろう」


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