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ミシガルへ

 やばい、迷った。


 夕刻、出立した再生師研修生の後ろからこそこそとついて行っていたら、山の中腹あたりで彼らを見失ってしまった。


 考えてみれば彼らは目立ってはいけないのだから、開けた山道を普通に歩って行くわけがなかったのだ。木々の隙間を黒いフードマントを着けて移動する彼らを追いかけるのは困難だった。日が落ちたら尚更だ。

 そのままあっさりと行方が分からなくなって、俺は山道にすら戻れなくなってしまっていた。


 グレイに渡された、彼らと同じ黒いマントだけが立ち尽くす俺の裾ではたはたと揺れる。


 ・・・・・・って、途方に暮れている場合ではない。このままミシガルにたどり着けずに終わったら、グレイにひどい仕置きをされそうだ。

 どうにかしないと。


「・・・・・・あ、そうだ」

 はたと思い出してマントの下でポケットを探り、スバルにもらったホーチ木の実を一つ取り出す。

 彼女は誰か倒したい相手がいたら呼べと言っていたけれど、なんとか道案内をお願いしてみよう。

 ああ、今これが手元にあったのは不幸中の幸いだった。


 確か勢いよく潰せばよかったはずだ。

 木の実を足下に置いて腿を高く上げると、力一杯踏み潰す。


 しかしそれは俺の勢いに反してぱりんと乾いた軽い音しかしなかった。なんとも心許ない音量だ。

「・・・・・・人間には聞こえない音が鳴るって言ってたけど・・・・・・鳴ったのかな、これ」

 しばらく待って来なかったら、もう一つも潰してみよう。

 と言うか、ちゃんと聞こえていたとして、彼女はどのくらいでたどり着くんだろ。見つけてもらうまであんまりここから移動しない方がいいのかな。・・・・・・まさか、スバル以外の怖い動物を呼び寄せたりしないよな?


 自分の想像に少しハラハラしていると、近くの茂みがガサリと音を立てた。それにビクッと体が緊張する。

 揺れる茂みを注視していると、月光の下、そこから怖い動物の一つである狼が顔を出した。

「でっ、出たあああ!」

「そりゃあ出るですよ。自分で呼んでおいて何をふざけてるんですか、ターロイ」

 狼がすぐに少女に姿を変える。


「ご、ごめん、人間の姿で見慣れてたから、狼で来られるとつい。おまけにすごく早いし」

「山の動物が騒いでいるので、気になってちょうどこの辺りにいたですよ。ここ、嫌な臭いのするニンゲンがいっぱい通ったようです。ターロイは何か知ってるですか?」

「嫌な臭い?」

「まだ新しい血の臭いです」

 そう言ったスバルは闇の先へ鋭い視線を向けた。


「ミシガルの街の入り口ではなく、ウェルラントの屋敷の方に向かっているですね。あのまま行くとアカツキ様の祠・・・・・・。一応崖と大きな川で囲まれているから、森にはそうそう入れないですが」

「その人たち、あの森に入る気なんだ。多分準備万端だと思う。スバルはウェルラントの屋敷の裏にある建物知ってるかな。あれを狙ってて」

「あ、じゃあいいです。きっとウェルラントが自分でどうにかするです。どうせあそこは結界が張ってあって、特別な方法でないと・・・・・・」

 俺の言葉に一瞬気を抜いた彼女が、何かを言いかけたところで再び頭上の両耳をぴんと立て、はっとしたようにこちらを振り返った。


「もしかしてあいつら、グランルーク教団のニンゲンです?」

「え、うん」

「と言うことは、この血の臭いは・・・・・・まさか充魂された古代武器を持っているということですか」

 なんだかぶつぶつと独りごちている。

「あの、俺、彼らを追っててさ。スバルには教団員のところまで道案内して欲しいだけだから。別にあの人たちをどうこうして欲しいわけでは」

「何を安穏としたことを言ってるですか。これは由々しき事態ですよ、ターロイ。ウェルラントが困るのは知ったこっちゃねーですが、馬鹿が持つ刃物ほど厄介な物はないです。急いで奴らを追いかけるですよ」


 スバルが俺に背中を向けて、視線だけを肩越しに寄越す。

「うら若き乙女の体に男を乗せるのは少々物議を醸しそうですが、ことは急を要するです。ターロイ、スバルの背中に乗って、できるだけ身を低くしておけですよ」

 言ってそのまま体の輪郭を変えたスバルは、再び白銀の狼の姿になった。


「い、いいのかな。じゃあちょっと、失礼して」

 正直女の子の体に触っているという高揚感はまるでない。

 けれど、もふもふの毛並みに跨がり首にしがみつくと、やべ、これ気持ち良くて癒やされる。昔近所にいた大型犬を思い出す。

 なんだか良い匂いするし。


 しかしそんな余裕のあることを考えたのは一瞬で、スバルが走り出すとそれどころではなくなった。

「うわ、速っ・・・・・・! お、落ちっ、あ痛っ!」

 振り落とされないようにするのに精一杯の俺は、頻繁に体に当たる小枝を払う暇もない。スピードが速すぎて正面が向けないから横を向くしかないのだが、夜のせいもあって流れる景色が確認できない。

 ちょ、成人男性を背中に乗せてるのに、どんだけのスピードだよ。

 少しの減速もなくひたすら走り続ける。


「え? おわっ、ちょっと待っ・・・・・・!」

 しばらく走った後、そのままの勢いでスバルがジャンプをし、ようやく開けた視界に俺は目を瞠った。ナニコレ地面が遠い――――――。

 おい! そのまま崖を飛び降りるとか、普通に死ぬから!

 この浮遊感と滞空時間の長さは恐怖に比例する。もはや悲鳴も出ない。


 俺が思わず死を覚悟して目をつぶっていると、スバルは慣れた様子で崖に出っ張った岩を足場にして徐々にスピードを殺し、最後には何の問題もなく底にたどり着いた。

 ・・・・・・ついビビってスバルの首にぎゅうぎゅう縋り付いていた自分がなんか恥ずかしい。


 いくらかの羞恥心とともにおそるおそる目を開ける。

 そこには、アカツキの祠があった。もうウェルラント邸の裏の森に着いたのだ。

 それに安堵していると、不意に掴まっていたスバルがぶわと毛を逆立てた。

「スバル・・・・・・?」

 怪訝に思って体を起こすと、そのまま大きく身を捩った彼女に振り落とされる。

 あれ、強くしがみつきすぎて気を悪くしたかな。

 未だ毛を逆立てたままのスバルは、暗闇を凝視していた。


 しかしおもむろに人型に戻り、無言で森に入っていく。

「おい、スバル、どうし・・・・・・」

 慌ててついて行くと、すぐに立ち止まった彼女の見下ろす先に、動物がいるのに気がついた。

 大きな熊だ。すぐに死んでいるのが分かる。体の損壊の仕方がひどいのだ。動物の血は平気な俺だが、これは気分が悪くなる。


「な、なんだ、これ」

「この熊はこの森にもともと住んでいた動物です。多分教団の奴らに殺されたです」

「襲いかかって返り討ちにあっちゃったのか・・・・・・」

「ここの森にくるニンゲンはほぼウェルラントだけです。この熊はニンゲンが強いものだと知っているので、自分から襲わないです。それにここはまっすぐウェルラントのところに行くなら外れた場所。・・・・・・おそらく見つかってここまで追われ、殺されたです」

 静かに語るスバルの瞳が伏せられる。


「逃げたのをわざわざ追って・・・・・・? なんでそこまで・・・・・・」

「あいつらは多分、充魂されたエンチャント武器を与えられているです。慣れない者があれを持つと、アイテムのエネルギーにあてられて興奮状態になる。その威力に昂揚し、無用な破壊や殺傷を楽しもうとするです。・・・・・・馬鹿が刃物を持った結果です。今は暗くて見えないですけど、この周辺には、ウサギから猪まで多数の死骸があるです」

 言われて、風に漂う生臭い匂いに俺は背筋を震わした。

 これは、鼻の利くスバルにとっては耐えがたい惨状だろう。


「あいつら、何てことを・・・・・・。その充魂された武器って・・・・・・?」

「エンチャントアイテムというのは魂のエネルギーを充填して使うアイテムです。充魂とはまさにそのエネルギーを込めること。あいつらから新しい血の臭いがしたですから、おそらくニンゲンを殺してその魂を込めているです」

「人間を殺して・・・・・・!?」

 愕然とした俺を、スバルが見上げた。その瞳には静かな怒りが爛々と燃えている。


「ターロイ、何のためにあいつらを追っているのか知らないですが、危険ですからもうここで待機してるがいいですよ。今のあいつらはアイテムの威力に酔っている。実際、破壊力や攻撃力は常人の数倍のはずです。もはや仲間以外のものがいたら、何でも攻撃して来るですから」

 そう言って、彼女は一人森の入り口に向かって歩き始めた。


「ちょ、ちょっと待って、一人で行く気か!?」

「アカツキ様の眠る祠のある森を、穢した奴らですよ。許すわけにはいかないです。アカツキ様がいない今は獣の最上位はスバルですから、この落とし前はつけてもらわないと」

「スバルが強いのは知ってるけど、一人であの人数と武器を相手じゃ分が悪いよ!」


「勝つか負けるかの問題じゃないのです。これは戯れに殺された動物たちの上に立つスバルの使命と言っていい。無為な死を与えることは、種と命と、そして世界に対する冒涜なのです。これを黙認するのは、スバルの獣人族としての尊厳を失うことも同然。死より恥ずべきことなのですよ」


 屹然と言い放ったスバルはまた狼の姿に戻り、今度こそ森を駆けて行ってしまった。


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