エル
グレイがいるからか誰も通りかからない通路でしばらく待っていると、ようやく小さく扉が開いた。
「・・・・・・今、誰もいない?」
そこからこそりと顔を出したのは、グレイではなく金髪の少年だった。
「誰もいないけど」
「じゃあ入って、ターロイ」
袖を引かれて素直に従う。俺を部屋に招き入れるとエルはすぐに扉の鍵を閉めた。
「あれ、グレイは?」
それほど広くない部屋、ぐるりと見渡したそこに彼がいない。わざわざ窓から外に出るような人じゃないだろうし、どこに隠れているのか。
「グレイは一度研究所に戻ったよ。グレイの不在が分かると、研究成果を盗んで売ろうとする人たちがいるんだ。それをお仕置きしに行くって」
「えっ? ・・・・・・研究所って、インザークにあるんじゃなかったっけ?」
「うん」
軽く返事をされたけれど、ここからインザークまでモネと同等かそれ以上の日数がかかる。どこから出て行ったのか知らないが、その間俺にどうしてろと。
「い、いつ頃帰ってくるんだ・・・・・・?」
「大丈夫、一時間くらいで帰ってくるから。ターロイ、立ってないでそこ座って。すぐお茶いれるよ」
一時間? どういうことだと訊ねる前に、少年が小さなチェストから茶器を出してお茶の準備を始めた。
とりあえず落ち着いてから改めて訊こう。椅子に座って彼の後ろ姿を眺める。
「どうぞ。グレイが紅茶しか飲まないから、それしかないんだけど」
カップを持ってきたエルはそれを備え付けの小さなテーブルに置くと、俺の向かいの椅子に座った。その少年に単刀直入に訊く。
「ええと、君は俺のこと、知ってるのか?」
それに頷いた彼は、小さくため息を吐いた。
「・・・・・・ボクのこと、ほんとに覚えてないんだね」
「え、あ、うん、・・・・・・ごめん」
ちょっと落胆を乗せた拗ねたようなこの上目遣い、狙ってやっているのだろうか。なんだか罪悪感が半端ない。
「どっちにしろ、昔のことは話せないんだけどさ。・・・・・・まあいいや、じゃあ、一応自己紹介したほうがいいのかな。グレイ以外の人と話すの、久しぶり」
しかしすぐに気を取り直したエルは、ころりと表情を変えて微笑んだ。
「ボクはエル。グレイの研究所でモルモットをやってます」
その科白に、思わず紅茶を吹き出しそうになる。
「モ、モルモット!?」
「実験動物っていうよりは、研究対象で観察対象っていう感じだけど。ボク昔特殊な物質を投与されてて、普通の体じゃないんだ」
「ちょっと待て、物質を投与って・・・・・・人体実験だろ! あの人、子供になんてことをさせて・・・・・・!」
「実験と言えばそうかもしれない。でもボクそうしないと死んでたんだ。だからどちらかというと幸運だったと思ってる。研究室から出られないのはつまんないけど、グレイは優しいし」
「優しい・・・・・・? あの人、趣味が拷問とか言ってたけど」
「まあね。でもそれ以上に研究大好き人間なんだ。だから、研究対象をすごく大事にしてくれるの。物でも人でも」
そう言われて思い当たる。俺に最初から親切にしてくれたのは、彼が俺を観察対象として見ていたからか。そういえばはなから、俺の状態を見るためにここに呼んだみたいなことを言っていた。
「・・・・・・グレイって、何の研究をしてるんだ?」
「元々は旧時代の歴史や文明を調べてたみたい。でも研究してるうちにいろいろ新しい事実が出てくるから、どんどん派生してるんだって。今は魂方陣のこととか・・・・・・」
「え、魂方陣って、あの図形と変な文字で書かれたやつか」
「ターロイ、知ってるの? これは古代の魂のエネルギーを使った秘術なんだ。ほら、そこの床に小さい魂方陣があるんだけど」
エルの指差した先、部屋の片隅に人一人が入るくらいの図形があった。大きさは山越えのときにカムイが書いたものと同じくらいだが、書いてある文字や図形は異なるようだ。
「内緒だけど、これと同じ方陣がインザークの研究所の中にもあってね、なんと発動すると瞬間移動ができるんだよ!」
「瞬間移動?」
少年らしいドヤ顔でそれを披露した彼は、俺が訊き返した言葉に大きく頷いた。
「ボクもこれでここに来たんだ。ボクの存在は誰にも知られちゃいけないらしくていつも隠し部屋にいるんだけど、今日はちょっと見つかりそうだったから」
「誰にもって・・・・・・俺、君の存在知っちゃったけど」
「ターロイは平気。ボクを売ろうとしたりしないでしょ?」
「売る!? そんなことする奴がいるのか!?」
「さっき言ったでしょ、ボクは普通の体じゃないって。インザークにある研究所って、グレイがわがまま言って作ってもらったらしいんだけど、教団の施設扱いだから守門から研究員まで教団関係者なんだ。グレイの技術をバレずに本部に持ち帰れたら、多額の報償が出ることになってるらしい。ボクもグレイの研究物だから、良いお金になるんだよね」
「それって・・・・・・ここで見つかったらさらにやばいんじゃないのか」
「そしたらすぐに方陣で逃げるもん」
「すぐにと言っても、これって発動するのに血が必要なんだろ」
平然と紅茶をすするエルに訊ねると、彼はぱちくりと目を瞬いた。
「・・・・・・ターロイ、そんなことまで知ってるんだ」
呟いた少年が、少しだけ思案をして、ちらりと魂方陣を確認する。
「じゃあさ、これあげる。手を出して。グレイには内緒だよ」
グレイが戻らない隙にと、エルが腕にはめていた妙なごつい輪っかに付いているふたを開けた。そこから中身の見えない小さな白いカプセルを二つ取り出す。
「何これ、薬?」
「ん、それの中身はボクの血の塊」
「えっ、血!?」
俺の手のひらにそれをころりと置いた少年は、ふふふと可愛らしい忍び笑いを漏らした。
「そこの魂方陣、ボクの血でしか動かないんだ。それを円の中央に置けば発動するからさ。ボクいつも退屈してるから、今度こっそり遊びに来てよ。グレイにバレないように気をつけてね」
「いや、待って、グレイの目を盗んでとか、ハードル高っ・・・・・・」
なんて無茶を言うのだと困惑気味に返そうとしたけれど。
「しーっ。静かにして、魂方陣が動きだした」
しかしエルが口元に人差し指をあてて、俺の言葉を遮る。
同時に方陣に光の柱が立って、俺が彼にカプセルを返す間もなく、その中からグレイが現れた。
「エル、もう向こうは大丈夫だから、研究所に戻りなさい」
「えー、ターロイともう少しお話したいなあ」
「ターロイはこれから勉強があるんです。そもそも会わせるつもりもなかったというのに、エルが言うから向こうを片付ける間だけ時間をとってあげたんですから」
・・・・・・なんだかさっきまで教団員をクソミソ言って震え上がらせてた男とは思えない甘い対応だ。相手が研究対象というだけでこうも違うのか。
「早くしなさい、魂方陣が閉じる前に」
「分かったよ、帰る」
ちょっとだけ拗ねた様子を見せながらグレイに背を向けたエルは、
「じゃあね、ターロイ」
と俺に向かって挨拶をした後、声を出さずに「またね」と口を動かした。
「え、あっ」
彼はそのままとととっと駆けて、俺が何か言う暇もなく、あっという間に魂方陣に消えてしまう。
あ、やばい、カプセルが返せなかった。
魂方陣の光の柱が消えてしまうと、グレイは安堵のようなため息を一つ吐いてから、俺に向き直った。
「では、ターロイ」
「は、はい、何ですか?」
とりあえずもらったカプセルを慌ててポケットに突っ込んで返事をする。と。
「勉強を始める前に、まずはこれを装着して頂きましょう」
彼の手に、エルがはめていたのと同じごつい腕輪があった。




