8.伯爵令嬢、魔導士と会う(4)
王宮の廊下の壁側にはわけのわからない石像が等間隔で並べられている。その石像の前を、カリーネはラーシュにぎっちりと手を握られたまま、通り過ぎていく。声をかけたいけれど声をかけられないのは、このラーシュという男が明らかに怒っているからだ。すれ違う人に顔を見られないように、とカリーネは下を向いて、彼に引っ張られるようにして歩く。
「お、なんだ。ラーシュ殿じゃないか」
彼が急に立ち止まったのは、知り合いから声をかけられたから、のようだ。
「お前がこっちに来たってことは、例の魔導具認証の件か?」
カリーネはちらっと顔をあげて、ラーシュの会話の相手を見据えた。ラーシュよりも背は高く、身体ががっちりとしている男。だけど、見るからに文官です、というその姿。
「ああ。あのひねくれ者のマルスランを説得した」
「てことは。あいつも委員会に入ってくれるってことか?」
「そうだ」
「そうかそうか。あいつが入ってくれれば、この制度も制度としての価値があるものになるな。で、だ。さっきから気になってたんだが、そのちっこい子は誰だ? お前のコレか?」
と言って、右手の小指を立ててきたところでその人物の年代というものが推測できるのだが、残念ながらカリーネはその意味を知らない。
「ああ、紹介する。この子がカリーネ・ロードだ。あの制度の発案者。カリーネ、こちらは魔導具省の大臣を務めているアンドレア・ミロス」
「ま、今の魔導具省なんて、提出された資料を確認して、実物確認して、押印するだけだからな。定期的に、その工場には足を運んではいるが、それだって数年に一度の割合だ。何しろ、魔導具省には人がいない」
「威張るなよ」
「だが。このように認証制度を設ければ、魔導具省にも認証部門ができるからな。今度からはそいつらに任せればいい」
「お前も仕事しろ」
「相変わらず偉そうな坊ちゃんだ。お姫様を守る騎士も大変だな。これから、よろしくな、カリーネ嬢」
アンドレアが手を差しだしてきたのは、握手のためだ。
「あ、はい。よろしくお願いします」
カリーネがその手に触れようとした瞬間、ラーシュに腕を引っ張られた。
「遅くなってしまったからな。早く帰るぞ」
「あ、はい。あ、アンドレアさん。すみません、お先に失礼します」
「またな、カリーネ嬢」
あははと豪快に笑っているアンドレアは、ひらひらと手を振って若者の後姿を見送っていた。
王宮を出たところで思わずカリーネが目を細めてしまったのは、沈んでいく太陽が目に染みたから。どうやらラーシュが遅くなったというのは、事実のようだ。あまり遅くなってしまうとハイケやリンが心配するだろう。
ラーシュが手配した馬車に乗り込み、不規則な揺れを感じていたのだが、やはり向かい側に座っているラーシュの機嫌は悪そうだった。
「ラーシュさん。どうかされましたか?」
「どうもしない」
「ですが、怒っていますよね?」
「そう、見えるのか? 怒っているつもりはないのだが」
「そうですか……」
「だが、物凄く嫌な気持ちになっているのは事実だな」
「どうしてですか?」
「さあな」
そこでラーシュはニヤリと笑った。
「カリーネ。俺の隣に来い」
「え、狭くないですか?」
「狭くはないだろう? この馬車だって四人は乗れるようになっているのだから」
こいこい、とラーシュが手を振っている。カリーネは立ち上がって、ラーシュの隣に移動した。
「カリーネ。君はマルスランと付き合う気があるのか?」
「え? ありませんよ。何を言ってるんですか」
「すぐに答えなかったからだろう? その気がないなら、その場で断ればいいじゃないか」
「だって、他にも人がいるのに。あの場で答えていいものなのですか?」
それにラーシュは答えない。公開告白をしたのはマルスランのはずだから、何も気にする必要は無いのだが、それに応えるカリーネを想像したとき、どこか胸が痛む思いがしたから。
「そうだな。じゃ、後でこっそりと断れ」
「そうします」
ガタンと馬車が激しく揺れた。
「あ」
「申し訳ありません。何かに乗り上げたようです。お怪我はありませんか」
御者から言葉が飛んできた。
「大丈夫だ。心配するな」
ラーシュが答えれば、御者はほっと安心する。だが、安心できないのはカリーネの方だった。馬車が揺れた瞬間、ラーシュの方に身体が傾いてしまい、彼に抱き着いてしまったから。
「ごめんなさい、ラーシュさん」
「いや、気にするな。役得だ。カリーネ、こっちを向け」
カリーネがその言葉に素直に従うと、すかさずラーシュは彼女の唇に自身のそれを重ねた。
馬車が止まる。
二人はゆっくりと身体を離した。
「着きましたよ」
御者の言葉に、何事も無かったかのように礼を返したラーシュは、カリーネの荷物を手にして馬車を降りた。
馬車が止まったのはハイケの工房の前。空は夕焼けに染められていて、もう少し時間が経てば、この辺りも闇に覆われることだろう。
二人をおろした馬車はゆっくりと走り去っていく。
「カリーネ。俺と付き合うか?」
彼女の頬が赤いのは夕焼けのせいだけではないだろう。
「考えておきます」
カリーネの答えはそれ。
「マルスランのことはどうするんだ?」
「それは、断ります」
「俺は?」
「考えておきます」
「そうか」
そこでラーシュは、ほっと胸を撫でおろした。今はその答えで充分だと思った。
「ラーシュさん。なんか、機嫌が直ったみたいですね」
ラーシュの顔が先ほどまでのムスッとした表情とは異なっていることに、カリーネは気付いた。
「そうだな。少し気分が晴れた。そこまでだが、送っていこう」
ラーシュはカリーネのリュックを手にしたまま、空いている手をすっと彼女の方に差し出した。カリーネも躊躇うことなくそこに自分の手を重ねる。
「カリーネ。あの制度は間違いなく採用される。これから忙しくなると思うが、頼むよ」
「はい」
カリーネは力強く頷いた。夕焼けに染められた二人の距離が、どことなくいつもより近づいたような感じがするのは、気のせいではないだろう。




