第十話「空港をゆく」
会津保科空港は、のちの戊辰戦争で主要な攻防戦の舞台となり、すべての建造物が焼亡したため、現代には残されていない。
その跡は荒れ野になり、のち数十年をかけて拓かれ、田野となった。
畑で収穫されるのは、イモ類と根菜、それに「鉄」であるという。
かつて撃ち込まれた数百発の砲弾と爆弾のかけらが、いまだに見つかるのである。
筆者が旧跡を訪ねた昭和四十年代の末ごろ、かごに集めた鉄片を車に載せ、運んでいる農夫と偶然行き会ったことがある。それらの鉄屑は鉱炉で溶かされ、包丁や鍋になって、みやげ物屋で販売されるのである。
おみやげといえば、
「鶴ヶ城空爆まんじゅう」
は、この頃(作中の年=文久三年)にはすでに作られていたらしい。
前年の夏、会津藩の主城である鶴ヶ城は、国際テロ組織・タリバンの本拠と勘違いされ、米軍の猛爆に遭って全焼した。
その模様は市民の携帯電話で撮影され、動画配信サイトで広まったのをきっかけに、全国放送にも使われ、トレンドになった。
――これは、お金になるんじゃないか。
ということで、地元の商工会が担い手となり、まんじゅうが売られはじめた。
さて、大淀つかさ。
再び江戸を追放された彼女が会津に戻ってきたときには、このまんじゅうは大いに人気を博しており、空港のキオスクにはのぼり旗が立ち並び、観光客相手の香具師が威勢のいい声を張り上げ、売り口上を述べているという情景であった。
中世以来、繁華な商市として栄えたこの地は、一回や二回の戦争で滅んでしまうようなことはない。この街は今でも活気ある地方都市である。
この当時、会津藩は戦争をしている。
「テロとの戦い」
の舞台は、京都であった。
藩は、幕府擁護のため、領国を固め、戦いに備えている。
空港の警戒は、物々しかった。
「よぐきらったなし、ゆっくりしてがんしょ、長州賊は帰れ」
地元言葉で書かれた「歓迎」の横断幕を仰ぎ見ながら、大淀は入国審査の待機列に並んでいた。
徳川幕府の時代、藩境間の移動は自由ではない。
他国へ旅する者は、自分が犯罪者や逃亡者ではなく、身元が確かであることを明示しなければならなかった。
「次の者、来ませい」
審査ゲートのところに立っている関所役人が、大淀へ手招きした。
ゲートには、伴頭の武士が一名、横目付二名、ほかに足軽身分の番士数名がおり、旅人の人相風体を確かめたり、持ち物を金属探知機にかけたりしている。
大淀を呼んだ横目付は、朴強な北方人種の典型として語られるような、体格の良い大男であった。骨が太く、身体のパーツの一つ一つが大きい。
大淀よりも三十センチ以上は背が高く、額の骨が発達し、顔がこわかった。
「手形を拝見します」
「お、御役目ご苦労に存じます」
あまりの体格差に気圧され、このとき大淀はつい、喋りがちになってしまった。
「あのー、わたしは大淀つかさと申しまして、公儀にお仕えしております者でして、ただいま辞令を拝し、任地に赴く途中です」
「ははあ。然様でござるか、それはご苦労ですな」
などというような無用な口上は、会津武士は好まない傾向がある。
この男も、ただ黙っている。
「なので」
相手が無言でいるため、大淀は続けざるを得ないような気持ちになった。。
「決してあやしい者ではないのであって、むしろ、昨今の情勢を考えれば、会津さまとは友達のようなもの。王党派と倒幕派の狂信者一味が地上から抹殺されるまで、ともに手を携え、持続可能な幕府政治と、次世代につなげる将軍家の御為、ともに戦って、あのあの、がんばりましょう。はい……」
「なんだべや」
上役の伴頭が、変な様子を察知して、こちらへやってきた。
黒い口ひげを蓄え、やや肥満して、丸顔である。
「手形を見せようとしません」
という意味のことを、横目付が早口の会津語で答えた。彼ら同士の会話は、他国者の大淀には聞き取れないことが多かった。
「それに、上様は友達だとか申しております」
「なに。なんという無礼なやつだ。不逞千万なやつだ」
伴頭の武士は仰天し、あきれた。「会津藩は友軍」と言ったつもりのものが、「会津藩主は友達」に間違われていた。コミュニケーション、それは難しい。
「手形を見せなさい、手形を見せなさい」
「えっ……? ああ、はい、手形ですか。これです、どうぞ」
大淀の査証が、やっと横目付の手に渡った。やり取りがスムーズでなかったため、係官である彼の見る目は厳しくなっている。
「生国は芸州?」
「はあ、芸州の呉ノ浦です。瀬戸内海の沿岸にあります」
「西国の生まれか」
伴頭も、手形の文字を覗き込んで、短く独語した。あまり好意をもった調子ではない。
芸州、安芸国には、広島藩がある。
安芸浅野家の領国で、石高は四十二万六千石という大藩である。地理的に長州藩に近く、幕府支持の諸勢力からは、敵性藩と見なされることもあった。
やがて、会津の役人たちの様子を見て、大淀もなんとなく、まずい状況になってきたことを察してきた。
「で、でも、十三歳のときに江戸へ出て、それからほとんど帰ったことはありません。ほんとです。わたしは町奉行所の刑事として、優秀な成績を収め、勤務実績も上々、公儀のため将軍様のため、日夜まじめに勤めてですねえ……」
「そんな優秀なら、なんで田舎に飛ばされてきた」
「え……。そ、それは」
「おまえは長州のスパイか?」
横目付が詰問した。その言葉をまわりの群衆が聞き、視線が集まってしまった。
「どうしたんだね、一体?」
「スパイだ、長州だ」
「きゃーっ、長州よ!」
「こわい!」
「なにっ、長州が?」
会津藩の過激な少年武士で結成された自主防衛部隊のひとつが、この騒ぎを聞きつけた。
全員、十三歳から十五歳くらいで、白い鉢巻きと襷を締め、ピストルや日本刀など、家から持ってきた武器を持っている。
「どこだ、長州は」
「長州賊を殺せーっ」
「殺せ殺せ、ぶち殺せ!」
血走った目をした少年兵の集団が、大挙して入国ゲートに殺到した。
銃声が二発鳴り、大淀の頭の上の案内表示板が砕け散った。
「ばかもん、なにをやっとんだ。おいっ、おまえら、やめろ!」
「やめろー、やめろーっ」
役人の怒号が飛んだ。何人かの旅行者が射たれ、少年たちは白刃を抜いて、そのあたりの人間を手当たり次第に斬りつけ始めた。
「ぎゃーっ!」
「長州を殺すんだ、長州を殺すんだ」
「やめろ、ばかやろう! おい、そこのやつ、広島生まれ、きさまだ。姓名をなんと言った?」
伴頭は、抜き身の刀を持った少年兵を取り押さえながら、大淀に訊ねた。
大淀は頭を押さえて、ゲートの陰に隠れている。
「はいあの、大淀です。広島生まれじゃないです。呉うまれで……」
そこまで言ったところで、横目付が大淀の襟髪をつかんで床に押し倒し、手を後ろに回し、手錠をかけた。
「ちょっと、なにするんですか?」
「逮捕する」
横目付がいった。
「容疑は騒乱罪、不敬罪、破壊活動防止法違反」
「そんなばかなことがありますか、わたしはこれでも直臣ですよ!」
「うるさい騒ぐな、別室で保護するんだ」
たしかに、この場所に居たらとても命はなさそうだった。空港はすでに修羅の巷であった。大淀は立ち上がり、おとなしくついていくことにした。
少年兵による蛮行は、その後もしばらく続けられた。国家老の用人が現場に到着し、ようやく終息を見たのは、十三時すぎ頃のこととして記録されている。




