第88話 ~ オレは不可能という文字が嫌いだ ~
終章第88話です。
サブタイトルの台詞が懐かしい……。
宗一郎は天に向かって腕を伸ばした。
ふわりとスーツの裾が浮き上がる。
膨大な魔力が赤く可視化し、光を帯びた。
さっと手を振る。
レーザー光線のように魔法陣が、中空に浮かび上がった。
すると、鈍色の雲を呼び込む。
辺りは真っ暗になった。
風が出てきて、ローランの白い髪が揺らす。
急に温度が下がり、ついに稲光が閃いた。
「ひぃ!!」
ラフィーシャは悲鳴を上げる。
雷が怖かったのではない。
それが、勇者の怒りを表しているように思えたからだ。
やがて宗一郎は叫ぶ。
力強く。
遠い異世界――。
オーバリアントに轟くほどに。
「出でよ!! 我が契約者たち!! 69の悪魔よ!!」
落雷が振ってきた。
その数は69――。
同時に雷光の影に隠れて、異形のものが中空に現れる。
蛇、牛、羊頭、蛇女、蜘蛛、犬、百足、隠者、騎士、貴族、王、審判……。
すべて人間と異なる姿。
無個性なものは1匹もいない。
己を主張し、見上げるものに恐怖を振りまいていた。
ゴエティアの悪魔。
世に言うソロモン王が使役した72柱の悪魔たち。
うち3体を欠いたすべての悪魔が、現代世界に集結していた。
これは、彼のソロモンが使役してから、初めてのことだ。
悪魔たちが降りてくる。
宗一郎の周囲を囲み、やがて傅いた。
1人が進み出る。
オールバックに、丸縁の眼鏡をかけた男。
一見優男だが、三白眼は血を注いだように赤く、少し口を開けば、獰猛な牙が見えた。
大きな蝙蝠羽を畳み、改めて主人に誠意を示す。
「契約により、参上しました。現代のソロモン王――いえ、杉井宗一郎様。して、我ら悪魔をすべて呼び出し。如何な命をお下しになるのでしょうか?」
「72の軍団を率いる王にして、七罰の『色欲』を司りし魔王アスモデウスよ」
「はっ!」
「お前たちの王ベルゼバブ、クローセル、そしてフルフル――――」
宗一郎は一瞬、ぐっと奥歯を噛んだ。
いまだ癒えぬ悲しみを押しつぶすと、言葉を続けた。
「貴様らの同胞である3体の悪魔は、異界の地に契約者を守るために散った。その元凶があれだ――」
ラフィーシャを指差す。
澄ました顔で主の言葉に耳を傾けていた悪魔達の顔色が変わる。
それは殺気となり、空気に混じる。
幾分温度が下がったような気がした。
敏感に察したのは、ラフィーシャだ。
さっきから逃げようとしているのだが、うまく力が入らないらしい。
地面の土を掻くだけで、1歩も進んでいなかった。
「お前たちにも含むところはあるだろう。あれを贄とする。お前達の好きにするがいい」
「恐れながら申し上げます、我が主。ベルゼバブ、クローセル、そしてフルフル。その3体は主を守り、契約を果たしただけのこと。我らに含むところはありません。どうかの御身の欲望のままに、お命じください」
「…………そうか。3体を失ったのは、俺の責任でもある。すまない。至らない契約者で」
「何を仰いますか、主。あなた以上に、純粋に磨かれた魂はないでしょう」
『どうかご命令ください。我が主――。この者を倒せと!!』
悪魔は声を揃えた。
ビリビリと空気を振るわせる。
嵐を呼び込み、風が渦を巻いた。
悪魔には、明確に感情と呼べるものはない。
そもそも区別というものがないのだ。
だから、悲しいことを楽しいといい。
苦しいことを嬉しいという。
それは、人間には理解しがたいものだった。
しかし、今ならわかる。
宗一郎と悪魔たちを繋ぐ魔術的な繋がり。
相互に受け渡される魔力の流れで、宗一郎は悪魔達のすべてを汲み取った。
怒りだ。
悪魔達は、静かに憤怒していた。
それを受け止めるように、1度宗一郎は瞼を閉じる。
悪魔達の怒りが混じった空気を大きく吸い込んだ。
やがて黒瞳を開く。
手を掲げ、レベル1の勇者は告げた。
「我が悪魔よ!」
裁きの鉄槌を与えよ!!
『かしこまりました』
悪魔たちは一斉に立ち上がる。
ふわりと中空へ浮いた。
地べたで這いずるラフィーシャの上空へと位置を移す。
異界の女神を睥睨した。
「皆の者、偽槍を持て!」
アスモデウスの号令の下。
悪魔たちは手を掲げる。
暗雲から落雷が落ちると、その手に漆黒の槍が握られた。
偽槍ロンギヌス……。
神となった聖人の権能を破壊した魔槍。
悪魔が救世主を殺すために誕生した一振りだ。
まさしく亜人でありながら、神となったラフィーシャにふさわしい裁きだった。
細く鋭い槍が脈打つ。
それは極限に絞った筋肉を思わせた。
「終わりだ。ラフィーシャ……」
「あ……。あ……。負けだ! 私の負けだ! 魔術師――いや、勇者!」
女神は泣き叫ぶ。
額に汗を滲ませ、口から涎を垂らし、目からは涙が溢れていた。
「許してくれ! なんでもいうことを聞く。そうだ。お前に、神の権利をやろう。ゲームマスターとしては、オーバリアントに君臨するがいい。いや、この世界をゲーム化するのも構わない。とにかく……。とにかく私を許してほしい」
「ダメだ……。すでにお前は、許しを請う一線を越えている」
「な、なら――」
ラフィーシャはローランの方を向いた。
剥き出した瞳は、真っ赤に充血している。
まるで1本の蜘蛛の糸に群がる亡者を思わせた。
「頼む。王女ローラン。おま――あなたから説得してくれ。王女の声なら、勇者に届くはず……」
今度は、王女に懇願する。
ローランは悲しそうな顔を浮かべた。
同情的な表情に、一瞬ラフィーシャは期待を膨らませる。
だが、その答えは「NO」だった。
「ごめんなさい、ラフィーシャ。いくら私でも、今の勇者を説得することは出来ない」
「じゃ、じゃあ! わ、私は死ぬのか。終わるのか!? このラフィーシャ様が! オーバリアントの神が……。異世界に到着早々! 死ぬというのか!!」
「言ったはずよ、ラフィーシャは。この世界はね。オーバリアントよりも、残酷な世界なの。あなたは、この世界に来るべきではなかった。あなたの故郷――エルフの人たちと、ひっそりと静かに暮らすべきだったのよ」
ローランは瞼を閉じる。
祈るように。
「さようなら。ラフィーシャ。異界の女神。せめて私の記憶の中にいさせてあげる」
「いやだぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああっっっっっっ!!!!」
ラフィーシャは絶叫する。
だが、現代世界の中で、その声は空しく響くのみだった。
宗一郎は手を掲げる。
「ラフィーシャ……。覚えておけ。オレは不可能という文字が嫌いだ」
それは杉井宗一郎の信条の1つだった。
「だが、1つだけ不可能なことがあった。喜べ。お前が初めてだ」
「な、なに……?」
お前を許すということだ……。
手を払った。
偽槍ロンギヌス――!!
69本の槍が、最高の悪魔達の手から離れ、そして放たれた。
細い槍は真っ直ぐラフィーシャに向かう。
華奢な女神の肢体を貫いた。
真っ赤な血が噴き出し、その瞳からも鮮血が流れる。
心臓も、肺も、骨も、内臓も、手足も……。
すべてを貫かれていた。
それでも執念深いダークエルフは生きている。
強烈な痛みを全身に浴びながら、ぎゃあぎゃあと鴉のように喚いていた。
薄くボケた視界に、何か黒い影が映る。
拳を強く握っていた。
「アガレス……。かつての力天使よ。お前の打ち破る力を、オレに示せ!」
赤光が閃く。
勇者の怒り。
魔術師の憤怒。
そのすべてを拳に載せ、宗一郎は放った。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああ!!!!」
断末魔の悲鳴が鳴り響く。
瞬間、宗一郎の拳は、綺麗に残っていたラフィーシャの顔面を貫いた。
悪魔の力。
聖者を貫く偽槍。
そして、勇者の拳。
この現代において、最強と呼べる一撃が女神に突き刺さる。
瞬間、ラフィーシャはパッと弾けた。
血も肉もない。
ただ光を飛び散り、女神は消滅した。
宗一郎は拳を引く。
顔を上げ、暗雲の空を臨んだ。
「終わったぞ、淫乱悪魔」
その声は、寂しく現代世界に響くのだった。
あと2話はエピローグになります。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。




