第78話 ~ 宗一郎くんでしょ? ~
第4章第78話です。
よろしくお願いします。
黒い塊はもそもそと動く。
宗一郎の声に反応しているようだった。
バッと黒を広げると、無数の羽虫のような音が聞こえた。
「虫?」
オーバリアントでなんというかは知らないが、それは現代世界でいうところの『蠅』だった。
宗一郎の近くまでよると、壁際に張り付いた。
鬱陶しい羽音が消え、再び静寂が満ちる。
『ご無沙汰しております。ご主人様』
「虫が喋った。――って、ご主人!?」
ミスケスは素っ頓狂な声を上げる。
あんぐりと口を開き、宗一郎を指さした。
そんな冒険者最強を無視して話を進める。
「ご無沙汰というほどではないがな。ベルゼバブ」
宗一郎の契約悪魔にして従者――その名前を呼ぶ。
『いえ。すでにこちらでは2ヶ月が経過しております』
「?」
『やはりお気づきでないようですね』
色々とあったが、ベルゼバブと別れて1ヶ月弱のはずだ。
2ヶ月という答えは予想外だった。
「この部屋の影響か……」
『おそらくは……。巨大な呪力を持った呪術が複雑に入り組んだ状態で長時間停止していたため、時間そのものの流れが下界と比べて遅れているのでしょう』
「その影響もあるのだな。この姫が生きているのも……。むろん、お前の献身もあってだろうが」
『お褒めいただきありがとうございます』
時間の流れが外とは違うため、姫が受けた時間の影響はせいぜい1週間といったところだろう。
宗一郎が言うとおり、ベルゼバブの献身も大きいが、おそらく蠅の姿ではやれることが限られていたはずだ。
『ライカ様がかなり心配しておりました』
「ああ……。だろうな。あとで謝らなくては……」
『それがよろしいかと』
「おいおい。ぜんぜん話の内容がわからないぞ、俺様には」
ミスケスは抗議の声を上げる。
「この虫はオレの部下のベルゼバブだ。そして、寝ているのがローレスの姫君だ」
「虫がお前の部下で……。この子がお姫――ああ、よくわからん!」
ミスケスは赤い頭をがりがりと掻いた。
シルクのような白い髪。無垢な桃色の唇。
全体的に細い身体なのは、衰弱しているからではなく、元々の体型だろう。
胸も、お尻も、まだ女としては未成熟だが、少女らしい身体をしていた。
やや埃にまみれた白いドレスを身につけ、目は長い睫毛がついた瞼によって閉ざされている。
改めてローレスの姫君の肢体を見て、宗一郎は思うところがあった。
「ベルゼバブ」
『はっ』
「何もしていないだろうな……」
姫君の薄い胸を見つめる。
ドレスには粗相をした痕跡は残されていない。
『何かをしたという基準が明確でないかぎり、お答えしづらいのですが』
「それは何かをしたといっているようなものだぞ」
『逆に聞きますが、ご主人は何もしていないと思っているのですか?』
額に青筋が浮かぶ。
宗一郎は蠅の大群を睨んだ。
『ご心配なく。一線は越えておりませんので』
「当たり前だ!」
つい怒鳴った。
「なあなあ。このお姫様……。なかなか目を覚まさないぞ」
『少々軽く呪いをかけておきました。解呪のためには王子様の口づけが必要です』
「な!」
「じゃあ、俺様が――」
がこん、思わずピューレの魔法剣の鞘で、宗一郎はミスケスを叩いた。
「お前……。わかっていたが、現金なヤツだな。さっきプリシラが死んで、わんわん泣いてたくせに」
「馬鹿野郎! 俺様はすべての女性の味方だ。美人ならなおさらだ。それに――」
「それに?」
「プリシラちゃんはいつまでもメソメソしている男は嫌いだと思うからよ」
「ミスケス……」
――こいつなりに整理しようとしているのだな……。
宗一郎は少し見直した。
「移り気な男も嫌われると思うが……」
「本命はプリシラちゃんなだけだ。それはそれ。これはこれ」
「なにげにサイテーだな、お前……」
これ以上、抗するのも無駄だと考え、話題をベルゼバブに向けた。
「本当に口づけをしないと目覚めないのか?」
『宗一郎様。失礼ながらあえて質問しますが、美女を前に口づけをしない選択肢があるのですが』
「む……ぅ……」
宗一郎は口を押さえる。
まだ軽くプリシラとの口づけの余韻が残っていた。
あんな別れ方をしたのだ。
さしもの宗一郎も、切り替えるのに時間を要した。
ベルゼバブも見ていたはずだ。
にもかかわらず、戯けてみせているのは、悪魔なりのエールなのかもしれない。
――部下に気を遣わせるほど、落ち込んでみえるらしいな……。
気持ちは沈んでいる。
これは間違いない。
それでも毅然としているつもりだった。
しかし、やはり態度や表情に表れているらしい。
無理もないことだと思う。
だが、下ばかり向いてはいられる状況ではない。
「自然に任せよう。今、起きられて騒がれるのもな」
『かしこまりました』
「ところで、ベルゼバブ……」
宗一郎は話題を転換する。
「一連の話は聞いていたな」
『はっ』
「ロールプレイング病の流行に変化はあったか?」
『プリシラ様のご助力により、病は収束しております。こちらにいた患者も次々と介抱に向かっておりますよ』
胸をなで下ろした。
これで変化がなければ、命を賭したプリシラの行動が無駄になってしまう。
それでは女神が浮かばれない。
ひとまずオーバリアントを駆け回らなくてすんだ。
宗一郎はもう1度、従者に呼びかける。
「ベルゼバブ。お前はロールプレイング病のことが落ち着いたら、ダークエルフの目撃情報をかき集めろ」
『ラフィーシャではなく?』
「相手の容姿もわからんしな。アフィーシャに尋ねてもいいが、真実を話すとは限らん」
『おっしゃる通りかと』
「だから、お前は情報の独自ルートを作って、ダークエルフの情報を集めろ」
『ご主人はどうなさるおつもりですか?』
「オレにはやっておくべきことがある」
『かしこまりました』
すると、蠅の塊はうるさい羽音を立てて、部屋を出て行った。
「変わった部下を持っているんだな」
「あれでも優秀な部下でな」
宗一郎は肩をすくめる。
「さて――」
ローレスの姫君の背中と地面の間に、手を差し入れる。
よっと声を上げて、抱え上げた。
お姫様だっこというヤツである。
「おいおい。抜け駆けはズルいぞ」
「変わってやってもいいが……。モンスターを相手にするのは、オレということになるがいいか?」
「うっ。そうか」
「お前には出口までのエスコートをお願いしたい」
「チッ。……仕方ねぇなあ」
「優しいな。お前は」
「な! ――いいか。お前のためじゃない。お姫様のためだからな」
「わかっている」
顔を真っ赤にして忠告するミスケスを見ながら、宗一郎は笑った。
洞穴を出る。
すると、いきなり穴の入り口が崩れ出した。
完全に瓦礫に埋まる。
ボスがいなくなったことによって、封印がなされたのだ。
第7次討伐以来、長かったオーガラストとの戦いが終息した瞬間だった。
これでライーマードの商人たちも、安心して商いが出来るだろう。
「宗一郎……」
声をかけたのは、金髪の姫騎士だった。
碧眼は赤く、濡れそぼっていた。
「ライカ……」
ライカ・グランデール・マキシア。
オーバリアント最大の国――マキシアの女帝。
そして宗一郎の伴侶だった。
「ただいま」
宗一郎が声をかけた。
なるべく安心させるように笑みを浮かべた。
うまく出来ただろうか。
一方、ライカは――。
かろうじて押しとどめていた涙が決壊する。
白い頬にいくつも筋が浮かぶ。
顔をくしゃくしゃにしながら、宗一郎に近づいていった。
2人の距離が近づく。
と――その時……。
「う。……ううん……」
少々色っぽい声が、2人を分かつ。
抱えた姫君の瞼がゆるゆると持ち上げられていった。
「そ、宗一郎……。その方は――?」
「おそらくローレスの姫君だ」
「ローレスの……」
ライカは戸惑いながら、行く末を見守る。
そして完全に瞼が開いた。
ピンク色の瞳はまだ寝ぼけている。
「え? なに?」
次第に、今自分に起こっていることを自覚しはじめた少女は、必死になって焦点を探った。
つと自分を抱えた男の方に視線を向ける。
目を細め、凝らした。
「あれ?」
不思議そうに、宗一郎の顔を見つめる。
「あなたがどこかで?」
確かに1度会っている。
第7次討伐の折だ。
しかし、あの時はロールプレイング病に冒されていて、意識がなかったはずだ。
「オレを覚えているのか?」
尋ねた。
姫君はぱちくりと瞬きをする。
すると言った。
「宗一郎くんでしょ?」
お話は意外な方向性に……。
明日も18時に更新します。
よろしくお願いします。




