第13話 ~ なんとボクっ娘でしたか…… ~
第4章第13話です。
よろしくお願いします。
……………………。
一同は沈黙した。
女が歩廊に降り立った時よりも深い沈黙。
その静寂を振り払うように、強い突風が吹く。
細かい砂粒が混じった風に、みな一斉に目を保護した。
風が止む。
やはり女は立っていた。
風に飛ばないように強く掴んでいたフードを離す。
依然として、誰も素顔を見たものはいない。
「どうした? 答えろ?」
威圧する。
マフイラは一歩前にいるベルゼバブを盗み見た。
特にアクションはなく、契約者の名前を呼ばれた悪魔はじっとフードの女を見つめていた。
「お前がそうなのか?」
どうやらマフイラの視線に反応したらしい。
女が動いた。
ローブの中から刃幅の広い剣が抜かれた。
片刃で、いわゆる肉切り包丁型のファルシオンに近い。
刃の先には、女よりも背の高い優男が立っている。
剣を向けられたベルゼバブは、全く動じるどころか薄く笑みを浮かべた。
「いいえ」
「本当だろうな?」
「あなたこそ、その――『スギイソウイチロウ』に会ってどうするのですか?」
「決まっている……」
“殺すのだ……”
「――――!」
女の言葉に息を飲んだのは、マフイラだけではなかった。
周りの兵士も、冒険者も一様に同じ反応を見せ、沈黙を深めていく。
唯一、動じなかったのは、当人の従者だけだった。
「ほう……。何故に……?」
「仲間が殺された?」
「仲間?」
悪魔の顔がようやく笑みから解放され、怪訝へと変貌した。
反応したのは、ベルゼバブだけではなかった。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 宗一郎様は確かにお強いですが、恨みを買うようなことは何も――」
「やはり、スギイソウイチロウのことを知っているのだな」
「あ――――」
マフイラは口を抑えた。
その横でベルゼバブが、額を抑えながら「やれやれ」と首を振る。
「教えろ! あいつは今どこにいる?」
「彼はこの街を救った英雄です。……その方を殺すと聞いて、誰が教えるものですか!」
「痛い目をみないとすまないようだな」
フードの女は大きく沈み込む。
その構えは、獰猛な肉食獣を想起させた。
「マフイラ様。私の後ろに……」
ベルゼバブに言われ、マフイラは素直に従った。
彼の実力はよくわかっている。
女が太陽に刃を向ける中、ベルゼバブの手には白い手袋がはめられるのみだった。素手で相手をするらしい。
「私をなめないほうがいいぞ」
吠えるようにいうと、女が動いた。
直上的に動くかと思ったら、まず右にフェイントをいれた。
胸壁を蹴り、一瞬にして逆。
目にも留まらぬ動きに、全員が翻弄される。
ただし、ベルゼバブを除けば――。
「――――!」
喉笛に噛み付くように襲いかかった女は驚いた。
ベルゼバブが自分の方を向いて――笑みすら浮かべていたのだ。
女は突如、歩廊に剣を突き立てた。
身体をストップすると、転進して一旦後ろに下がる。
ベルゼバブは目を細め、ピエロみたいに笑った。
「ほう……。勘がいいですね」
「お前、動きが見えているのか?」
「当たり前ですよ。……我が主に比べれば、蚊が止まるほどの遅さですからね」
「主? ……お前、まさかスギイソウイチロウの従者か!」
「如何にも――。ベルゼバブと申します」
「ちょっと! ベルゼバブさん! そんなこと言っていいんですか!?」
優雅に一礼する悪魔の横で、マフイラが慌てた。
ベルゼバブは全く意に介さず話を続ける。
「あなたが主に会ってどうするかは知りませんが、それより正体ぐらいは現してほしいですね。せめてフードを取って、顔ぐらいみせてくれませんか?」
…………。
女は剣を下ろす。
ローブの中で鞘に収める音がした。
「正体を教えれば、居場所を言うのか?」
「主なら、ここからさらに南。ムーレス領にあるペタントという街へ向かいました」
「!」
「どうです? 信じてくれますか?」
「まだだ! あいつはそこにいって、何をするつもりだ!」
「魔王城に行くための鍵がそこにあると聞いています」
「魔王城に!」
「はい」
「魔王城に行けるのか!? 本当か?」
「おや? 魔王城を知っているのですか?」
「――――!!」
表情こそわからなかったが、反応から動揺が伝わってきた。
ローブが翻り、背中を向けて立ち去ろうとする。
「ちょっと! あなた! こっちは答えたのに――」
マフイラはベルゼバブの脇から顔を出して抗議した。
女は歩みを止める。
「フードはとりたくない。だけど、名は名乗る」
「ほう……」
「ボクの名前はルーベルだ」
「なんとボクっ娘でしたか……」
「ぼくっこ?」
「あ。……いえ、こっちのことですよ」
「そう言えば、1つ気になったのだが……」
「なんでしょうか?」
女は今一度振り返って、ベルゼバブに身体を向けた。
「病気とはなんだ?」
「流行病ですよ。……人間もかかっていて、まるで別人になって徘徊する病気です。我々はロールプレイング病と呼んでいます」
「…………」
女は無言のまま、また背中を向けた。
そして――。
「そうか。お前たちもか……」
ベルゼバブの弓形の眉がピクリと動く。
瞬間、女は音を置き去りにし、消えた。
兵士が気付いた時には、遙か遠く――南へ向かって疾走する影が、米粒のように小さくなっていた。
マフイラは心配そうに、ベルゼバブに寄り添った。
「よろしいのですか?」
「大丈夫ですよ。あの人には、逆立ちしたって主は殺せません。それに――」
「はい?」
ベルゼバブは自分の手に視線を落とした。
「平たい胸の人に、悪い人はいませんよ。ね、マフイラさん」
「わ! わ! 私に同意を求めてないでください!」
思わずマフイラはベルゼバブの頭に杖をぶつけた。
痛たた、と大きな瘤を悪魔は撫でる。
「彼女は何者でしょうか?」
「心当たりはなんとなく……。まあ、だから主に会いに行かせたというのもありますが――」
「え? 嘘の情報を教えて混乱させる手だてだったのでは?」
「はい?」
「今、あの人たちが向かっているのはライーマードですよ」
「…………」
しばしの沈黙の後、ベルゼバブはポンと手を打った。
「そう言えば、そうでしたね」
「……そんな爽やかな笑みを浮かべても、責任とれませんからね」
はあ、とマフイラは長い息を吐き出した。
「しかし、主にこの事をお伝えしておいた方が良いかもしれませんね」
「……わかりました。私たちが街を守っておくので、ベルゼバブさんは――」
「はは……。何を言っているのです。いい口実が出来たではありませんか」
「口実? まさか……」
「はい。……私も少々ぼけておりました。ライーマードはマフイラ様にも因縁深い土地。逆に言えば、あなた様以上の案内役はおりますまい」
そうだ。
ベルゼバブの言うとおり、ライーマードはマフイラにとって忘れたくても忘れられない因縁がある。
宗一郎に会った時に同行させてほしいと言ったが、今の自分はドーラのギルド職員。この街の復興を最優先しなければならない。
結局、留まることに決めたが、今でも胸の辺りがひりつく感じは抜けない。
わかっている。
自分は後悔しているのだ、と――。
「でも、今から向かっても追いつけませんよ――って、何をやっているんです」
突然、ベルゼバブは赤ちゃんでも抱き上げるように、マフイラの脇に手を入れた。彼女の質問にも応じず、キョロキョロと辺りを見回している。
「こっちですかね」
「ちょ! 何やっているんですか!!」
今度はマフイラの腰の辺りに手を、もう片方の手を揃えた足裏に添える。まるでやり投げのように体勢を取った。
マフイラも何をするか検討が付いたのだろう。
じたばたともがくが、何をしても何を言っても、ベルゼバブがやめることはなかった。
「まさか私をライーマードまで飛ばすつもりですか?」
「はい。あ、ご心配なく……。落ちても大丈夫なように、障壁を張っておきますから」
「そ、そういう問題じゃないです」
「では行きますよ」
「ちょっと待って! 心の準備が――きゃああああああああああああああ!!」
こうしてマフイラは、空の星になったのだった。
ドーラから進発した女は、森にさしかかったところで、速度を落とした。
完全に停止すると、そっとローブの前を開く。
現れたのは、鉄と皮で出来た軽装の鎧。露出は少ないものの、小さな臍が顔を覗かせていた。
女は胸当てのホックを外す。
厚手の皮で出来た下着を伸ばし、主張の少ない――小振りな胸を覗き込んだ。
「あの野郎……」
と唸る。
胸の谷間――何故か、男のものらしき手形がついていた。
ベルゼバブと名乗ったあの男……。
仕掛ける一瞬の間に、胸に向かって手を突きだしていたのだ。
恐ろしいほどの速さ――神業といっていい。
久しぶりに殺されると思った。
それほど、あの男は強かった。
――あんなヤツを従者にする男……スギイソウイチロウとはどんなヤツなのだ?
女は顔を上げる。
暮れなずむ空に、1つの流星が東に向かっていくのが見えた。
ここまでが第4章の序章が終わりといったところです。
明日からは舞台を再び因縁の地「ライーマード」に移したお話になります。
お楽しみください。
明日も18時更新になります。
よろしくお願いします。




