3-6.森へ【挿絵】
週末の早朝、ナタリアを先頭に、アミュウとジークフリートが後を続いて、南の森へと続く農道を歩いていた。
森へと至る農道は何本かある。アミュウの小屋へと続く農道は、タルコット家の麦畑を通っていく幅広の道だが、いま三人が歩いているのは内陸寄りの、荷車を牽くにも苦労しそうな、惨めなでこぼこ道だった。ナタリアはぶつくさと文句を言いながら歩いている。よく耳を澄ましてみれば「こういう道にこそ手をかけないと」とか、「街中ばかり掘り起こして」とか、呟いているのだった。ナタリアのことだから、週明けにも役場の担当部署にもの申しに行くかもしれない。
前方の森からはコガラやヒワといった野鳥の澄んださえずりが響いてくる。鳥たちが手招きをしているかのようだった。その鳥たちを射落とす弓を、ナタリアは大事そうに握っている。
「何を狙うんだ?」
ジークがナタリアに訊ねる。森でいつもの赤マントは目立ちすぎるので、雨の日に使うなめし革のマントをすっぽりと被っていた。今はフードは外していて、燃えるような赤毛だけが、全身のくすんだ色合いの中で派手に浮き上がっている。
「クマ以外は何でも。当たりは鹿、難しいのはイノシシ」
「熊が出るのか?」
首を横に振ったのはアミュウだった。
「いないわけではないけど、滅多に出ないわ。人のいるところには寄ってこない」
「そうそう。もし熊を相手取るつもりなら、猟友会でチームを組まないとね。怖いのはイノシシよ。よく遭遇する上に、歯向かってくるから。でも、秋のイノシシは脂が乗っておいしいの。シシ鍋なんか最高だよ」
いつの間にか農耕地帯を抜け、周囲は切り株だらけだった。灌木のはびこる中、農道は既に農道と呼べないような小径になってきている。前方には、錦織りなす晩秋の森が迫っていた。
「俺は何をすればいいんだ? 海の漁なら家業だけど、森の猟のことはよく分かんねえぞ」
「大物が相手のときに援護をお願い。私の弓力じゃ仕留められないときがあるから。あとは、目立たないようにさえしてくれていればいい」
ジークフリートは、皮のマントのフードを被った。
アミュウは薪を拾って帰るつもりで、背負子を背負っていた。秋の森で採集したいものは色々とあったが、あの狭い新居へ持ち帰るわけにもいかない。
はじめのうち、小径の左右には、背の低くひょろひょろとしたミズキや椿、南天、エゴノキが目立った。
茶の木の白い花も見える――初夏になるとアミュウは、その木によじ登り、苦労して枝先の新芽を摘んだものだ。文献で読んだとおりに、新芽を揉んで茶色くなったところを乾燥させると、なんとも風味の良い茶が出来上がった。ナタリアは何度もその茶の出来栄えを褒めてくれた。
山桃の木も通り過ぎた。夏には夢中になってその実をむさぼり、残りは酒に漬け込んだ。アミュウの小屋の棚には、その山桃酒の瓶が眠っている。もうそろそろ美味しく飲める頃合いだろう。これもナタリアが好みそうな飲み物だと、アミュウは思いを巡らせた。
そのうちにコナラやシイが増えてくる。シバ栗の木の群生しているところでは、アミュウとジークフリートでしゃがみこみ、イガから堅果を取り出した。ジークフリートの持ってきた頭陀袋に採取した栗を入れると、ずっしりと持ち重りがした。既に空っぽになっているイガもそこかしこに落ちていた。森の動物たちが食べたのだろう。
「食われてから時間が経ちすぎてる。手掛かりにはならないわ」
ナタリアは辺りに目を光らせながら呟いた。
既に小径は獣道と化し、道なき道といった様相を呈していたが、アミュウには、ここから右へしばらく行けば、いつもの泉に突き当たると分かっていた。
(山桃酒や山査子酒を、ナタリアにも飲ませてあげたいな……もちろん、ジークにも、聖輝さんにも)
あの小屋の中には、アミュウが手塩をかけて作ったあれこれが、手付かずのままずらりと並んでいるのだ。ほんの少し足を伸ばせば手が届くのに、それらを残していかなければならないのが、たまらないほど惜しかった。
アミュウの足取りが重くなり、ジークフリートに後れをとった。しんがりを行くアミュウはジークフリートの革のマントをぼんやりと見つめた。ジークフリートこそ、物を持たざる者だった。ある日突然故郷を失い、その後またしても波に呑まれて全てを失った。一方、その前を行くナタリアは、「持てる者」と言えるのかもしれない。正当な血筋に生まれ、財を約束され、人望もある。しかし、それ故に多方から伸びてくる糸に雁字搦めになっているのは、アミュウの立場から見てみればよく分かる。スタインウッドから帰ってきたときでさえ、ナタリアに何かあったのではないかと、セドリックは大いに動揺していたのだった――実害を被ったのはアミュウだったのに、だ。
物思いは突然に断ち切られた。ナタリアが音もなく椎の木の影に隠れたのだった。ジークフリートはナタリアに倣った。一歩遅れて、アミュウも手近な樫の木に身を隠した。蓮飾りの杖を握りしめて、ナタリアの視線の先を追う。手前に一頭、奥に二頭のイノシシが、地面に鼻先をこすりつけていた。周りの風景との縮尺からいって、この前のような大型獣ではない。肥えてはいるが、ごく普通のイノシシだ。
ナタリアはジークフリートに何かを耳打ちした。むろん、何と言ったかまではアミュウには分からない。ナタリアはアミュウに向かってそこで待つよう手ぶりで指示すると、足音を立てないよう、焦れるほどにゆっくりと移動する。
そうしてひとつ手前の木の影へ移動すると、ナタリアは矢筒から矢を取り出して弓を構えた。イノシシまではまだ随分距離があるように見える。アミュウが息を潜めてじっと見ていると、そのうちに手前のイノシシが自らナタリアの方へ寄ってきた。よく目を凝らすと、そこにもシバ栗の木が生えていて、その実を目当てにやって来たようなのだった。イノシシはイガを転がし、割れ目を上にむけると、鼻先で器用に実を取り出す。
ナタリアは、引き絞っていた矢を放った。矢はイノシシの鼻面に命中した。突然の激痛に悶える仲間を目の当たりにして、あとの二頭は森の奥へと逃げていく。ナタリアは逃した二頭には目もくれず、手負いの一頭に向かって二の矢をつがえ、殆ど狙っていないかのような速度で放つと、矢は吸い込まれるようにイノシシの首筋に命中した。
しかし、どんなにナタリアの弓の腕が良くとも、ある程度以上の大きさの獲物を矢だけで絶命させるのは難しい。手負いのけものはナタリアの姿を認めると、闇雲に突進してきた。
「大人しくッ、シシ鍋になりやがれぇェーーーーーーーーッ‼」
横から飛び出したジークフリートが、ここカーター・タウンに漂着してから、その本来用途のためには一度も抜剣していなかったファルシオンを、イノシシのずんぐりとした首に叩きつけた。大剣はけものの肉に食い込み、頚椎を砕いて、頭部を下生えにめり込ませた。
すぐさまジークフリートは飛びのき、次の一手の構えをとるが、倒れて四肢をひくつかせているけものが再び起き上がることがないというのは、遠目のアミュウにも分かった。
「やったのか?」
ジークフリートは、自分が地に伏せたけものを、まぼろしか何か、信じられないものを見ているかのように見据えていた。ナタリアが三本目の矢を矢筒に戻しながら駆け寄る。
「完璧じゃない!」
そしてイノシシの首に手を当てると、腰のポーチから縄を取り出して脚を縛り上げた。
「まだ息がある。しめたものよ、急げば放血に間に合う。アミュウ、このあたりに水場はあったっけ?」
「こっちよ」
アミュウは泉からあふれ出す小川を目指して、庭を案内するような足取りでナタリアとジークフリートを先導した。




