2-30.核心【挿絵】
翌朝八時半前に、アミュウの小屋へジークフリートがやってきた。アミュウはすっかり支度を整えて待っていた。二人はすぐに連れ立って森を出た。タルコット家の畑の前の沿道には、既に大型の荷馬車が来ていた。
御者の手も借りて、畑の隅の倉庫にぎっしりと詰まった麦藁の束を荷台に載せていく。広い荷台はあっという間に藁束で埋まり、二段目を積んでもなお余りある量だった。段々になった藁束に、崩れないようしっかりとロープを巻くと、アミュウとジークはほんの肩幅分だけ残しておいた荷台のスペースに、身体を折りたたむようにしてねじ込んだ。御者が手綱をゆずって出発の合図をすると、馬たちはゆっくりと歩き始めた。
馬車は農道から街路に入り、セントラルプラザを抜けて北部へと、カーター・タウンを縦断していく。ほんの四日前に聖輝と駅馬車に乗ったときも座席が狭いと感じたが、今回は荷物を隙間なく積んでいるとあって、余計に狭かった。
朝の静まり返ったキャンデレ・スクエアを横目に見ながら、ジークフリートは言った。
「そういやさ、昨日、聖輝がつかまらなかったんだ」
「聖輝さんが?」
「ああ。夕方と夜に二回、部屋をノックしたんだけど、留守だった。だからあの話、まだ伝えられてない」
ベイカーストリートへと抜ける路地が遠ざかっていく。馬車はやがて町の北縁部に出た。建物がまばらになっていくと、代わりに葡萄畑が見えてきた。今はまだ腑抜けた緑色を残している葉は、あと数週間のうちに黄金色となり、やがてみな落ちるだろう。
葡萄畑は途切れることなく、なだらかな丘陵を覆っている。街道から遠く、西方にはデウス鉱山を抱くロウランド山脈が長い肢体を横たえている。アミュウの目は、葡萄畑の緑が、色づき始めた広葉樹林の金茶や赤に変わり、山の針葉樹林の深い緑へうつろっていくだんだらを映していた。
「のどかだな」
脚を荷台の木枠に投げ出してぶらつかせながら、ジークフリートが呟いた。アミュウは頷き、ジークフリートに訊ねる。
「西部は物騒だと聞くわ」
ジークフリートは困ったように笑った。
「西部が物騒なんじゃない、ここいらが平和過ぎるんだよ。西部の町はみんな壁か柵で囲われてる。ここまで大きな町に、壁も柵も無いなんて、西じゃ信じられない光景だぜ」
「あら、カーター・タウンだけじゃないわ。これから行くスタインウッドだって、柵なんか無いわよ」
「平和ボケしてっと、何かあったときが怖いぜ」
馬車は、途中の川で休憩を挟んだあと、拍子抜けするほどスムースにスタインウッドに到着した。村に入ってすぐ、シンプトン牧場の前で荷馬車を止めると、ジークフリートと御者は山のような麦藁を下ろしにかかった。アミュウも荷下ろしに加わろうとするが、小柄なアミュウはまるで戦力にならない。アミュウは仕方なく、母屋へ届けものの報せに行った。
戸を叩くが、返事が無い。家の中だけでなく、牧場全体が静まりかえっていた。今日も放牧に出ているらしい。
「アミュウ、これで全部だぜ」
ジークフリートがアミュウを呼びに来る。アミュウは荷馬車へと戻り、村外れに馬車を停めてしばらく休憩するよう、御者に指示した。
馬車が行ってしまった後、今度は道の反対側――広場へ通じる方から、こちらへ近づいてくる姿があった。
「あら……アミュウさん?」
ケヴィンの妹ジゼルが、水汲みから戻ってきたところだった。
アミュウとジークフリートは、シンプトン家の居間に通され、ジゼルの淹れた茶を飲んでいた。居間の片隅では、ケヴィンの祖母キンバリーが背中を丸めて、何やら作業に没頭している。アミュウが彼女の肩越しに覗いてみると、とても耄碌している老婆の手によるとは思えないほど色鮮やかな、美しい羊毛細工をこしらえているのだった。シンプトン家の玄関ホールに飾られたタペストリーや、夫婦の寝室の毛布は、キンバリーの手によるものなのかと、得心が行った。
アミュウは、ジョンストンの体調がすぐれず、自分が代わりにタルコット家の畑の麦藁を届けに来た旨をジゼルに説明した。
「そうですか……それでわざわざ遠くから」
アミュウの向かいに座ったジゼルは、困ったような顔を見せた。
「せっかく来てもらったのにすみません。私、マイラ叔母さんのことも、そのタルコットさんっていう方も、よく知らないんです。マイラ叔母さんは私が六歳のとき……叔母さんが二十五歳のときに亡くなりました。教会でお葬式を挙げたのはよく覚えているんですけど……」
ジゼルは腕を組んで宙を見つめる。
「そのころは、マイラ叔母さんのことを、おねえちゃんって呼んでいました。おねえちゃんはすごく美人で、いつも優しかったです。今まで深く考えたことはなかったけど、家出しちゃうくらいつらいことがあったのに、いつも笑顔で……」
「いつも笑顔でなんか、いられるわけないでしょ」
ジゼルの言葉をさえぎったのは、キンバリーだった。キンバリーは、夢中になっていた羊毛細工の道具をテーブルに置くと、ジークフリートの向かい、ジゼルの隣に座った。
(そういえば私、今日はマイラさんに間違えられていない)
アミュウは思い至り、キンバリーの目を見る。濁ったような、複雑な色合いのグレーの目はよく光り、知性的に冴えていた。
「可哀想に、マイラは毎晩のように泣いていたよ。親の言うことも聞かず、あんな男と一緒になるから」
アミュウは思い切ってキンバリーに訊ねてみた。
「マイラさんはどうして嫁ぎ先を出て行ってしまったんですか」
キンバリーは悲しげに目を伏せ、口ごもりながらも答えた。
「……浮気」
アミュウは思わずジークフリートを顔を見合わせる。しかし、ジョンストンと面識の無いジークフリートにとっては、今一つピンと来ていないようだ。
「浮気って……ご主人の?」
キンバリーは、今度は立て板に水のごとく、娘の身の上について語り始める。
「あの子の旦那は、カーター・タウンの大農家の次男坊でね。許嫁がいたのよ。だけど、どうしてか、うちの娘がいいって言って聞かなくて、周りの反対を押し切って結婚したの。それなのに蓋を開けてみたら、旦那はフッたはずの許嫁と会い続けていた。聞いてみたらひどい話だったわ。あの子があんなに泣くのも道理だよ」
キンバリーはおもむろに立ち上がる。ジゼルは慌ててキンバリーを支えた。
「村のみんなから後ろ指を指されて、可哀想にねぇ。わたしらはいくらでもこの家におったらいいと思っていたけど、あの子は耐えられず、修道女になろうとまでしたのよ。けど、牧師のせがれに色目を使われてねぇ……ほんとに、可哀想にねぇ。色恋沙汰はこりごりと、教会の門をくぐったのに、結局そこでも同じことを繰り返すのよ……」
キンバリーはうわごとのように呟きながら、ジゼルに支えられて居間を出て行った。厠らしい。廊下への扉が閉まった後に、ジークフリートが「なんだ、あれ」と言った。アミュウも思わずつぶやいた。
「ジョンストンさんの浮気……?」
「あのなぁ、アミュウ。夫婦喧嘩は犬でも食わないって言うぞ」
ジークフリートがあきれたように言った。
「ひとんちの不倫騒動なんか、嗅ぎまわるもんじゃねえ」
「……そうね。そうだった。ごめんなさい」
図星だったので、アミュウはなんとなくきまりが悪くなり、思わず謝った。そして頭を切り替え考えこむ。キンバリーのうわごとには、それまで聞いたことのない話が含まれていた。
「……牧師の息子に色目を使われていた……?」
アミュウの脳裏に、グレゴリーの家で見た肖像画がひらめく。あのときグレゴリーはどんな表情をしていたか。アミュウは必死で記憶の糸を手繰りよせる。
(聖輝さんが、タルコット家からナイフが見つかったことについて、心当たりが無いかエヴァンズ先生に訊いたんだった。エヴァンズ先生は、口ごもって、あの肖像画をちらっと見たんだ)
ジークフリートは、アミュウの思索の邪魔をしないよう気を遣っているのか、押し黙って茶を啜っていた。アミュウは彼に向き直った。
「なんだよ」
「寄り道してもいいかしら?」
アミュウはまっすぐにジークフリートを見て言った。
「呪いの核心に、近付いてきた気がするの」




