2-16.シンプトン家にて【挿絵】
シンプトン家の母屋は入り口が二つあり、勝手口の方は広い土間から始まる。アミュウはその構造に懐かしさを覚えた。カーター邸のアミュウの店は、もとは土間だったのを改装したものだった。
土間の作業台では、赤毛の少女が、刈り取られたばかりの羊毛を広げて鋏を入れていた。少女は顔を上げるとアミュウたちを見て言った。
「おかえりお兄ちゃん。その人たちは?」
「お客様だよ――妹のジゼルです」
ケヴィンが紹介すると、ジゼルは軽く頭を下げて、作業に戻った。集中しているらしい。アミュウはちらと横目でその様子を観察する。羊毛の塊は三つ。アミュウは喉の奥からこみ上げてくる苦いものを噛み殺した。
土間の奥の壁には扉が二つ並んでいた。ケヴィンが片方を開いて覗き込んで「母さん」と呼ぶ。抑えた声で何やら言い合っているようだったが、暫くすると、ジゼルによく似た赤毛の婦人が土間へ下りてきた。
「まぁまぁ、よくいらっしゃいました。ケヴィンの母のフィオナでございます」
婦人はケヴィンの傍らに立つと深々と頭を下げた。
「危ないところを救って頂いたとか。感謝してもしきれません。くつろいでいただきたいところなのですが――あいにく、この家には客室がございません」
フィオナは聖輝とアミュウの顔を交互に見た。
「私たち夫婦の部屋でよろしければご用意しますが」
「ご迷惑をおかけするつもりはありません。納屋でも土間でも、雨風をしのげる場所さえお借りできれば充分です」
聖輝がにこやかに応じる。
「そんな、恩人に納屋だなんて」
フィオナは口元に手を当て、大袈裟に仰け反って見せ、それから声を落として訊ねる。
「失礼ですが、お二人はご夫婦でいらっしゃって?」
「ふっ……⁉」
今度はアミュウが仰け反る番だった。聖輝は穏やかな笑顔を寸分も崩さずに否定した。
「いえ、そのような関係ではありませんよ」
「あら、失礼いたしました。そうですよね、お嬢さんは、いくら何でもお若いですよね――ちょっと居間でお待ちくださいね。支度してまいります」
フィオナはいったん扉の奥へと戻り、再度顔を出して「ジゼル、お客様にお茶を」と指図してから、今度こそ扉を閉めた。ジゼルは鋏を置き、服に着いた羊毛の屑を払ってから、フィオナが消えていった扉の奥へ入っていった。台所へ通じる扉なのだろう。
アミュウは動揺を打ち消すのに必死だった。身体の奥で心臓がウサギのように跳ねている。
「それじゃ、こちらへ」
ケヴィンがもう一方のドアを開く。フェルト細工のタペストリーで飾られた、ごくささやかなホールだった。ケヴィンはずらりと並んだ衣類掛けに自分の帽子と上着をかけると、さらに奥のドアを開いた。
そこは、シンプトン家の居間だった。部屋の中央のローテーブルを長椅子が囲み、壁面を背の高い棚や箪笥が埋めつくす。狭いわけではないのに、家具に囲まれ、妙な威圧感があった。南側に面した大窓のカーテンは目一杯ひらかれて、牧場の様子がよく見えるが、家畜の姿は見当たらない。まだ羊たちは帰って来ていないらしい。
カーテンの手前、ちょうど陰になっているところでのそりと動くものがあり、アミュウは驚いた。そこには老婆がこちらに背を向けて座っていて、サイドテーブルに向かって何やら作業をしていたのだった。
「ばあちゃん。お客様だよ」
ケヴィンはアミュウたちを部屋の中央へ誘導しながら、老婆に声をかけた。老婆は振り返りざまにアミュウを見つめて腰を浮かせる。
「マイラ……ああ、マイラ。遅かったじゃないの」
「ばあちゃん。この人は母さんじゃないよ。アミュウさんだ」
「マイラだよ。マイラが帰ってきた‼」
ケヴィンはアミュウに向き直って苦笑いを浮かべた。
「すみません。祖母はアミュウさんを自分の娘だと思っているようです……」
アミュウは呆気に取られていたが、すぐに気を取り直して笑顔を作った。
「いいえ、気になさらないでください」
居間の、アミュウたちが入ってきたのとは別の扉が開き、盆を抱えたジゼルが入ってきた。ジゼルは、母親とよく似たわざとらしさで、穏やかな声色を作った。
「なあに、おばあちゃん。マイラ叔母さんがどうしたの」
ジゼルはローテーブルに茶を出すと、老婆の背中に手を当てた。
「おぉ、ジゼル。とうとうマイラが帰ってきたんだよ」
「うん」
「ほら、マイラに茶を出しておやり」
「うん、ほら、持ってきたよ」
「マイラは疲れているんだ、早く座らせてあげて」
「うん。さあ、どうぞおかけください」
ジゼルはアミュウと聖輝に長椅子を勧めてから、兄に声をかけた。そして、祖母にそれと覚られぬよう、こっそりとアミュウに向かって頭を下げた。
「お兄ちゃん。お父さんたちのところへ行かなくていいの」
「おっと、そうだった!」
ケヴィンは時計を見て慌てる素振りを見せた。
「すみません、羊を連れ帰らなくちゃいけないので、僕はいったん失礼します。ジゼル、お客様をよろしくな‼」
そう言うと、ケヴィンは土間につながる方の扉を駆け抜けていった。
居間には、アミュウと聖輝、ジゼルに老婆が残された。居心地の悪い沈黙が部屋を覆う。
「えっと……マイラ叔母さん?」
ジゼルが向かい側の長椅子に腰かけて、アミュウに声をかける。アミュウは「マイラ」と呼ばれた意図を理解して、顔を上げた。
「あわてんぼうの兄ですみません。改めて、妹のジゼルです。さっきお名前を聞きそびれてしまって……教えてもらえますか」
ジゼルの要望に応えたのは聖輝で、笑顔で自己紹介を始めた。
「これは失礼しました。私はセーキ。彼女はアミュウ。街道を移動していたところ、偶然お兄さんに会いました」
ジゼルは兄が飲まなかった茶を手前に引き寄せながら言った。
「助けてもらったっていう話は、お兄ちゃんからだいたい聞きました。ものすごい魔法だったって」
アミュウと聖輝は顔を見合わせて、曖昧な苦笑いを浮かべた。
老婆は今やアミュウたちに背を向け、サイドテーブルで何かの作業に没頭していた。そんな祖母にジゼルはちらりと目を向け、声を落として説明した。
「おばあちゃんが言っていたマイラっていうのは、父の妹、私たちの叔母で、ずっと前に亡くなってるんです。それがショックで、こんな風になっちゃって……叔母さんは綺麗な金髪で、それ以来金髪の女の人を見ると、おばあちゃんはその人のことを、マイラ、マイラって……」
「そうでしたか……」
頷きながらアミュウは、頭の中でシンプトン家の人間関係を整理するのに必死だった。ケヴィンとジゼルの母がフィオナで、父親の妹がマイラで、マイラの母親が、部屋の片隅で何やら呟いている老婆。
「ただいまァ……って、あれ? だれ? この人たち?」
土間へと続く扉が開き、また一人、新しい人物が居間に入ってきた。邪気の無い声で訊ねてきたのは、幼さを残した少年だった。
「おかえりなさい、お客様よ。この子はニコラス。十一歳になったばかりの、弟です」
(ぜ、全員覚えきれない……!)
アミュウは胸中で匙を投げかけたとき、もう一方の扉が開いた。フィオナだった。
「お待たせしました、お部屋の準備ができましたよ」
アミュウと聖輝は、ジゼルに茶の礼を述べて居間を辞し、赤毛の揺れるフィオナの背中に続いた。
「さあ、こちらです」
フィオナは、長い廊下の一番奥の部屋の前で立ち止まった。開けられた扉の奥には、箪笥に囲まれ、皺ひとつなく整えられたダブルベッドが鎮座していた。




