1-25.ナタリア・カーター【挿絵】
イアンは照れたようにジョシュアの手を振りほどいてアミュウに言った。
「……二週間後、組合から選別機を借りる予定なんだけど」
イアンは畑の隅に鎮座する積み藁の群れを指した。
「それまでに、あの麦の山を脱穀しないとならないんだ。俺一人じゃ、野菜の世話で手一杯で、なかなか取り掛かれなくて……」
「随分あるわね。予定を遅らせてもらえないの?」
「無理です。何か月も前から、組合員の間でスケジュールを組んでるから」
アミュウは畝間を進んで積み藁に近付く。藁からは心地よい日なたのにおいがした。アミュウの目線の高さに飛び出した麦藁にシオカラトンボが留まっていて、何気なく手を差し出すと積み藁の上のほうへ飛んで行った。つられて見上げると、藁の高さはゆうにアミュウの背丈の二倍はあった。
「イアン君ひとりで、これ全部脱穀するのにどれくらいかかる?」
「え?えっと……ちょうど二週間……くらいかな……」
イアンは目を泳がせながら答えた。アミュウは、この自己申告は当てにならないと判断した。
ジョシュアがイアンに訊ねる。
「二週間って、ぎりぎりじゃないか。もし間に合わなかったらどうするつもりだったの?」
「間に合わない分は手でふるい分けるしかないさ」
アミュウは小首を傾げた。
(子ども一人で、三週間かかる量か……)
アミュウ、聖輝、イアン、ジョシュア。単純計算で四、五日程度だろうか。しかしイアンには、脱穀のほかにも彼にしかできない作業が山ほどあるので、頭数に入れられない。それに、子どもたち二人には学校がある。アミュウも、五日程度なら都合を付けられるが、それ以上となると、仕事に支障が出る――聖輝がどうだかは知らないが、彼にも用事くらいはあるだろう。
休日に作業し、残りは平日に振り分ければ間に合うだろうか。アミュウはカレンダーを思い浮かべながら提案する。
「それじゃ、今週末にもさっそくみんなで作業をはじめましょう」
「分かった! 父ちゃんに話してみるよ」
ジョシュアが大きく頷いた。聖輝の方を見てみると、苦笑いを浮かべていた。
「決まりね。私も、知り合いに声をかけてみるわ」
その翌日、アミュウの小屋には、お茶を飲んでくつろぐナタリアの姿があった。乗馬用の丈の短い草色のジャケットに、長いキュロットスカートを合わせていた。狩りに出るときのお決まりのスタイルだった。
アミュウは、自分にとっての遅めの朝食として、そしてナタリアにとっての早めの昼食として、スープを拵えていた。ナタリアからもらった野菜が傷む前に使い切ってしまおうと、ありあわせの食材を全てざく切りにして鍋に放り込んだものだ。
「それで、安請け合いしてきたんだ」
ナタリアはブリュネットのくせ毛を指で弄びながら言った。アミュウは鍋をにらんだまま背後のナタリアに言い返した。
「安請け合いじゃないわよ。あの子の父親はもともと私の顧客で、きちんと代金も受け取っているの。病気のせいで息子が困ってるんだから、そこまでカバーするのがプロの仕事よ」
「ちゃんと追加請求してるの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「よく言ってお人好し、悪く言って馬鹿」
ナタリアは茶を飲みほしてカップをソーサーに置くと、威勢のいい声をあげた。
「しょうがない、お姉さまがひと肌脱いであげよう!」
アミュウは振り返ってナタリアを見た。手に持ったままのレードルから汁が床へしたたり落ちる。
「ナターシャも来てくれるの?」
「ま、ヒマだしね。パパにも相談してみようか」
「ありがとう!」
アミュウは声を弾ませた。人手は多いに越したことはない。セドリックにも話を付けてもらえるのなら、貴重な男手が増える。
ナタリアは食卓に頬杖をついて言った。
「……それにしても、あんた、すっかり聖輝さんと仲良くなったねぇ」
「はぁ⁉」
今度は危うくレードルそのものを床に落とすところだった。
「どこをどう見たら仲良く見えるのよ⁉」
「だって、なんだかんだで、どこへ行くにも一緒じゃない」
「向こうが勝手に付きまとってるだけだってば」
床を拭きながら、アミュウはふと考える。ナタリアは、どう思っているのだろうか。
聖輝はナタリアにプロポーズしたのだ。断られたとは言っても、その直後に妹であるアミュウに接近してくるのはいくら何でも節操がない。加えて、聖輝の言動からはナタリアに対する愛情めいた温かさが一切感じられないのだ。今までアミュウが聖輝に抱いていた不信感の半分はそこに起因する。残り半分は、聖輝がナタリアを結界内に連れ去った点にあるのは言うまでもない。そこまではアミュウもはっきり自覚していた。しかし、肝心のナタリアが、アミュウの後を金魚の糞のように付け回す聖輝の態度をどう思うかについては、気にしたことが無かった。
(そりゃあ、面白くないわよね……)
雑巾をかける手が止まった。ちらりとナタリアの方を見ると、弓弦の張りをチェックしている。弓を掲げて弦の位置をじっと見つめるナタリアの目には、普段のような彩り豊かな感情の発露がまったくみとめられない。真剣そのものだ。
(こんなの嫌だよ。これじゃ怖くて、普通の友人として聖輝さんと向き合うこともできない)
つい一昨日の、ナタリアの取り乱しようを思い出す。すると、アミュウにはどうしても、ナタリアが聖輝に対してなんらかのこだわりを持っているように感じられるのだった。いわゆる恋情とは異なるが、拘泥とも、畏縮ともとれるような。躊躇うくらいなら関わらなければいいのに、聖輝を遠ざけようとはしないところに、かえってナタリアの執着を感じる。
(そういえば、結界騒動の直前、二人は何か言い争っていたっけ……)
アミュウが物思いに耽っていると、ナタリアがあわてて声を上げた。
「ちょっと、お鍋! 吹きこぼれてる!」
「えっ」
アミュウは慌てて鍋の蓋を外して、鍋を火から遠ざけた。良い香りが部屋中に広がる。木のお椀ふたつにスープをよそい、パンを切り分け、食卓に出した。二人は食前の祈りもそこそこに食事を始めた。
ハーンズベーカリーのパンは、やや酸味が強く、食感こそ固いが、旨味が濃い。スープに浸して柔らかくなったところを口に入れると、野菜の甘みが広がり、後から麦の滋味と特製酵母の醸した酸味が染み出してくる。
「大きく切ったね」
ナタリアがスプーンに載せた人参を見て呆れ声を上げた。
「その方が食べ応えがあるでしょ」
アミュウは澄まし声で応じる。
「うん、まぁ……そうとも言えるね」
食事を平らげながら、アミュウは再び思案の渦に飲み込まれていった。
(ナターシャとしては面白くないだろうけど、私があの似非牧師を止めなきゃ、またナターシャに手を出すんじゃないかしら)
それだけは阻止しなければならない。しかし、ナタリアに誤解されるのも良くない。
「ねぇ、さっきの話だけど、私ほんとうに聖輝さんのこと警戒してるんだからね。ナターシャも、油断しちゃ駄目よ」
「はいはい、分かってるって」
ナタリアは手に何かを吐き出して言った。
「茄子の皮くらい剥いたら? 固くて口に残る」




