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【電子書籍化】婚約破棄され、廃城へ  作者: 三羽高明
後編 宝石探しを、名城で

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あるべきものが、あるべきところへ(1/3)

 私はフェアリー・アイの表面を指先で撫でた。本当に綺麗な色。人を誘惑する魔性の魅力を放っているように感じられる。


「これはもらっていくね」

「やめろと言っても、君は聞かないんだろう」


 パーシモンの声は震えていた。彼女のオーラは、今や灰色だけには留まっていない。怒りと悲しみと不安の入り交じった色彩をしている。


「ボクは幽霊だ。君から無理に宝石を取り戻すこともできない。持って行きたければ、そうするがいいさ」


 パーシモンのオーラを見れば、言葉とは裏腹にそんなことは望んでいないと分かる。私はじっと彼女を見据えた。


「一体どうしたの、パーシモン」

「どうしたの、ってどういうことだ?」

「何もかもだよ」


 フェアリー・アイに視線を落とす。


「あなたは優しいお母様だったのに。それなのに、どうしてオリーの目を奪ったの?」


「……変えたかったからだよ」


「何を?」


「何もかもを。それに何より……自分自身を」


 パーシモンは、先ほどの私の返答を混ぜ返すような返事をした。でも、彼女の目は真剣そのものだ。


「こんな話、面白くも何ともないけどね。それでも、どうしてもというのなら、聞かせてあげよう。……君はボクのことを格好いいと言った。男装の麗人は素敵だ、と。でも、ボクの周りにいた大多数は違う意見だった」


 ――まあ、またメアリアナ姫は剣術の真似事をしているの?


 ――ドレスも着ないで、おかしな方ねえ。


 ――将来が心配だわ。いつになったら、ご姉妹のようにお淑やかになるのかしら?


 パーシモンは小さい頃からそう言われ続けてきたという。


「変人の姫。かわいそうな少女。それが皆の共通認識さ」


 パーシモンは口元を歪めた。


「でも、ボクは自分が間違ってるなんて思えなかった。王女が剣を振って何が悪いんだ? 男性のような喋り方と格好をするのは罪なのか? 絵本に出てくるような悪の魔法使いに監禁されて助けを待つだけの姫よりはむしろ、彼女の元に駆けつける王子や騎士になりたいと思ってはいけないのか?」


「いけなくないよ」


 私は首を振った。


「パーシモンはそれでいいと思う。オリーの記憶で見たあなたはとっても強かったもの。悪の魔法使いを倒す役はぴったりだよ」


「君ならそう言ってくれるだろうな」


 束の間、パーシモンの表情が和らぐ。


「別にボクは男性になりたいわけじゃない。ただ、『お姫様』ではいたくなかったんだ。ボクの姉妹に一度会ってみたらいい。次の舞踏会はどの男性にエスコートしてもらおうかとか、午後からはどんなドレスで着飾ろうかとか、そんなことで頭がいっぱいなんだ。ボクにもそんな風になれだって? 冗談じゃない」


 パーシモンは吐き捨てた。


「だからボクは王城から逃げ出した。離宮を……このメアリアナ城を建てさせ、そこにオリーと住むことによってね。その内に他の妖精の住民や来客も増えた。……ボクが妖精を好きな理由、コンスタンツェには分かるかい? それはね……妖精が人間とは違うからだよ」


「羽があるとか、魔法が使えるとか、ってこと?」


「ちょっと違うかな。簡単に言えば、彼らは大らかなんだよ。そう……価値観や物の見方が、人間とは異なるんだ」


「妖精の価値観……」


「彼らからすれば、ボクは『普通の女性』なんだよ。軍装が好きな普通の女性。剣術の上手い普通の女性。『お姫様』になれない、哀れなメアリアナなんかじゃなかった」


 ――母さんは別に変わったところのない普通の人だったし……。


 オリーがそう言っていた。クインも同意見のようだったし、それが妖精の持つ「大らかさ」ってことなんだろう。


 夜会の衣装としてドレスを平然と着こなすクインや、彼の格好を本心から褒めるオリーのことを思い出す。そんな彼らが、パーシモンを「おかしい」なんて言うわけがなかった。


 彼らの前には、性別なんて些細な違いでしかないんだ。取り立てて話題にするほどのことじゃない。自由を愛する妖精の目には、好きな口調で喋り、好きな格好をする人間は、おかしな存在とは映らなかった。


 ありのままに振る舞うことこそが、彼らにとっては自然なんだから。


「妖精たちと過ごしていた頃は、本当に楽しかったよ。この離宮は楽園だった。ボクが愛するものだけがいる理想郷だ。やっと心の平穏を手に入れた。そう思っていた」


 ふと、穏やかだったパーシモンの顔が曇る。喜びを表していたオーラも、段々と別の色に染まっていった。


「お節介なことに、王城の者たちはボクを放っておいてくれなかったんだ。結婚話なんか持ちかけてきて……。しかも、それは政治的意図を含んだ婚姻だった。ボクは嫌だったけど、これは一個人の気持ちでどうにかできることじゃない。『姫様、いつまでもワガママを言っていてはいけません。そろそろ遊びは終わりにする時です』そう忠告されてしまった」


 その後のことは、クインから聞いて知っている。パーシモンは離宮から出ることにして、妖精たちにも別れを告げたんだ。


「花嫁として相応しい女性になるため、ボクは色々と教育を受けさせられたよ。『お姫様』になる教育をね。それはとても苦痛な時間だったけれど、何故か逃げ出す気になれなかった。ボクを迎えに来た使者の声が、頭にこびりついて離れなかったんだ。『姫様、いつまでもワガママを言っていてはいけません。そろそろ遊びは終わりにする時です』ワガママ? 遊び? 今までのボクは、ただの夢見る愚かな女性だったってことか?」


 そんな疑問を抱いてしまったからこそ、パーシモンは花嫁修業をやめなかったんだろう。間違っていたのは自分の方だったのかもしれないと、小さな不信の種が心に植え付けられてしまったのだ。


「でも、式の直前で気が変わった。花嫁装束を来て、控え室の鏡を覗き込んだ時、ボクの中で何かが爆発してしまったんだ。やっぱりこんなのはダメだ。ボクは『お姫様』にはなりたくない、って」


 パーシモンのオーラは怒りの赤色だった。彼女は何に対して怒っているんだろう? 自分をこんな目に遭わせた周囲の人たち? それとも、おぞましい存在になりつつある自分自身?


「ボクは式場を抜け出し、メアリアナ城に戻った。ここに来れば、安らぎが待っていると思ったから。でも……それは間違いだった」


 パーシモンの口調が沈む。


「誰もいない庭園。薄暗い城内。ボクが追い出してしまったんだ。大切な妖精たちを。ボクの理解者たちを。そう思い出した時、ボクは悟ったよ。もう何もかも終わりだ。ボクに道は残されていない。希望なんてどこにもない、と」


「でも、オリーがいたでしょう?」


 彼女の悲痛な声がいたたまれなくなり、私は口を挟む。


「オリーは皆が出て行った後も、ここに残ったって聞いたよ」

「そうだよ。彼にとっては不運なことにね」


 パーシモンが皮肉な笑いを漏らす。


「ボクが戻ってきたことにオリーはすぐに気付いた。彼の姿を見た時……ボクは最低なことを思い付いたんだよ」


 パーシモンの言う「最低なこと」が何なのかは、聞かなくても分かる気がした。でも、そのまま彼女の話に耳を傾け続ける。


「希望がないなら作ればいい。そのための力はここにあるじゃないか。ボクの息子の瞳の中に……」


「それで、オリーからフェアリー・アイを奪ったんだね」


 私は力なく首を振った。


 パーシモンの凶行は発作的なものだったのだ。


 きっと、自分でもどうしたらいいのか分からなくなっていたんだろう。ただ目の前の救済に飛びついてしまった。追い詰められていたパーシモンには、その結果オリーが傷付くということまでは頭は回らなかったに違いない。


「ボクは変えたかった。その対象が他人なのか自分なのか、そこまで考えている余裕はなかったけれど。あの時のボクはすっかり狂気に駆られていたんだよ。フェアリー・アイを飲み込んだのは、オリーに取られないようにするためだった。まずは片方だけ。もう一方も、後で丸呑みしようとした。その前に死んでしまったけれど」


「どうしてあなたは息を引き取らないといけなかったの?」


 フェアリー・アイの在処は推測できた私だったけど、何故パーシモンが死んだのかは分からないままだった。


 パーシモンはやり切れなさそうに目元を細める。


「フェアリー・アイに願ったんだよ。『助けて』と」


 彼女はオーラをまとっていてもなお、質量を伴わない自分の体を見つめた。


「そうしたら魂が肉体を離れ、いつの間にかこの姿になっていた。ボクにとっての救済は死だったんだ。フェアリー・アイはボクの心の奥にある願いを汲み取った。『こんな世界からいなくなりたい』という願いを」


 時には流言が正しいこともあるらしい。メアリアナ城を取り巻く黒い噂通り、パーシモンの死は自殺だった。絶望が彼女を殺したのだ。


「ボクは本当に愚かだよ。オリーに目を返さなければならないと心のどこかでは分かっているのに、こんな姿になってもまだ、フェアリー・アイに固執する気持ちが残っているんだ」


 パーシモンがフェアリー・アイを諦めていないのも本当だろうけど、それと同じくらい本来の持ち主の元へ戻って欲しいと感じているのも事実に違いない。


 もしフェアリー・アイを手元に置いておきたいなら、私に偽の情報を与えるか何かして捜索を妨害していたはずだ。


「幽霊が宝石の魔法を使えるわけがないのにな。大体、使えたとしてどうなるんだ? ボクはもう死んでいるんだぞ。未来も希望もない存在だ」


 パーシモンの声には諦念がにじんでいる。


 このままじゃダメだ、と思った。


 このままじゃ、フェアリー・アイを棺に戻そうが、オリーに返そうが、パーシモンは苦しみ続ける。


 今の彼女に本当に必要なのはフェアリー・アイじゃない。「救済」だ。それは、かつてパーシモンがフェアリー・アイに託した「希望」だった。


 でも、彼女はその「希望」はもう失われてしまったと思い、嘆いている。


 けれど私は、「希望」の生み出し方をちゃんと知っていた。


「パーシモン……。希望なんて、ないなら作ればいいんだよ。あなたもかつてはそう思っていたんでしょう?」


「それは生きていた頃の話だ」


「生きてても死んでても同じだよ。……何なら、私が手助けしてあげようか?」


 懐からスズランの香水瓶を取り出す。パーシモンは「何をする気だ」といぶかしむ。


「これは魔法の香水なの。一振りで希望がむくむく湧いてくるんだよ!」


 元気な声を出すように心がけ、パーシモンに向けて香水を振りかけた。彼女は顔をしかめる。


「そんなのボクには効かない。何が『希望の香水』だ。そんなの、ただのインチキじゃないか」


「そうだね、インチキだよ」


 私はにっこりと笑った。


「でも、私にとっては本物だったんだ。本当に魔法の香水だったんだよ。あなたにとっての魔法は……このメアリアナ城そのものじゃないかな?」


「コンスタンツェ、君が何を言いたいのかさっぱりだよ」


 パーシモンは困惑していた。


「このメアリアナ城が魔法? 確かにここには魔法が使える妖精たちが住んでいたが……それは過去の話だ。今も妖精はいるけれど、彼らはボクの声すら聞こえていないじゃないか」


「……パーシモンは言ってたよね。ここは不可能を可能にする場所だ、って。それって、妖精たちと過ごせて、あなたが素の自分でいられたってことでしょう? 他では無理だったけど、ここでなら自分を偽らなくていい。だから、メアリアナ城は『不可能を可能にする場所』なんだよね」


 パーシモンとの出会いを思い出す。


「あなたは、『この城の在りし日の姿をもう一度取り戻してくれるか?』って私に頼んだ。荒れ果てたメアリアナ城を見ていられないから、って。でも、本心はちょっと違ったんじゃない? 本当は、『あの頃に戻りたい』って思ってたんでしょう?」


「……叶わない夢だけどな。もうどうやったって、昔は戻らない。仮にここが妖精でいっぱいの城になったとしても……ボクがその輪の中に混じることは、二度とないんだ」


 私は黙ってパーシモンに香水を振りかける。彼女は素早くそれを避けて「コンスタンツェ」ととがめるような声を出した。


「さっきから何なんだ。こっちは真剣に話してるんだぞ」

「私も真剣だよ」


 きっぱりとした口調で返す。


「あのね、あなたは色々と間違ってる。メアリアナ城は『不可能を可能にする場所』なんかじゃない。正しくは、『不可能だと思い込んでいたことが、可能だったと気付く場所』なの。ここはあなたにとって今も楽園なんだよ。……ううん、オリー以外の妖精が皆いなくなった後だって楽園だった。あなたがそう信じる限りはね」


「何だって……?」


「パーシモン、あなたのしたことで、何が一番良くなかったか分かる? 『お姫様』になれなかったこと? オリーの目を盗ったこと? どっちも違うよ。自分にとって正しくないことから距離を置けるのは勇気だし、どんな手段でも目的を叶えようとするのは一種の強さだから」


 パーシモンのオーラが驚嘆の緑に変わる。重大な罪だと思っていたことが最悪の間違いではなかったと言われ、戸惑っているようだった。私の話に一気に引き込まれたような顔になる。


「あなたの最大の失敗は、信じる心を持てなかったことだよ。このお城は楽園なんだから、ここにいれば安全だって、そう信じ切れなかったこと。信じる心を持ち続ければ、いつかきっと気付けたはずなのに。もしここから出る日が来ても、自分は大丈夫だということを。思うままに生きて、最後まで意志を貫けたってことを」


 パーシモンは打ちのめされたような表情をしている。緑だったオーラは紫に変化していた。まさか、ここでこんな色を見るとは思わなかった。これは畏敬を示す色彩だ。


「大事なのは、『自分ならできる』って思うことなんだよ。魔法の香水や魔法のお城、魔法の宝石がなくても幸せになれるの。魔法が……希望が本当にある場所は、私たちの中なんだから。香水やお城や宝石は、ただそれを引き出す手助けをしてくれるだけなんだよ」


 紫のオーラをまとったまま、パーシモンはポカンとして黙り込んでいた。私の言葉は今、彼女の胸の中に染み込もうとしている。かつてオリーに私が救われた時のように。


 私は待った。私の放ったセリフが……「希望」が、パーシモンの心の中心まで届くのを。絶望が別の色で染め上げられるのを。


 それは不可能なことではないと、私にはきちんと分かっていた。

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