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【電子書籍化】婚約破棄され、廃城へ  作者: 三羽高明
後編 宝石探しを、名城で

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もう一つの、私の魔法(1/1)

 翌日の婚約記念パーティーは、予定通りの時間に問題なく開催された。


 庭園に設置された料理のテーブルの前で、参加者たちが和やかに話をしている。ビュッフェ形式の格式張らないスタイルは、トリスタン様の希望だった。


 堅苦しくない雰囲気は妖精たちも気に入ったのか、オリーはリラックスした表情で、クインなんてお皿に料理を山盛りにしている。


 会場で使っている備品や食材は、全て中央商会が用立ててくれたものだった。王太子の婚約記念パーティーに全面協力したことで、右肩上がりだった中央商会の業績はますます順調なものになっていっているようだ。


 侍女のベラの恋人も異例の出世を遂げたため、近頃の彼女は私のお世話も時たま忘れてしまうくらいにうわついた気持ちになっていた。


 孫娘の痴態にばあやは呆れ返っていたけど、同時にちょっと嬉しそうにも見える。全てがいい方向へ向かっているこの空気を堪能しているんだろう。


「トリスタン様、サディア、おめでとう」


 私は本日の主役に挨拶をしに行った。


 お薬と休養のお陰か、ありがたいことに風邪はほとんど治っていた。まだちょっとだけ鼻声だけど、昨日みたいに何を言ってるか分からないほどじゃない。


「ありがとう、コンスタンツェ」

「こんな素敵なお庭を貸し切りにしてくれて、とっても感謝してるよ!」


 トリスタン様とサディアは華やいだ顔をしていた。


 並んで立つ二人は、中々お似合いだ。トリスタン様の物静かな雰囲気と、サディアの朗らかさは一見すると対照的だけれど、それが絶妙な具合にお互いの足りないところを補い合っているんだ。


 この二人なら、きっとこれから先も上手くやっていくだろう。友人の明るい未来に想いを馳せ、私は温かな気持ちになる。


「ねえ、コンスタンツェ。もうすぐスピーチの時間だよね?」


 サディアが声を弾ませる。興奮で体を揺する度、豪華なドレスが可憐に揺れた。


 まだトリスタン様が戻ってから一ヶ月ほどしか経っていないのに、サディアの体重は周囲が驚くほどのスピードで落ちていっていた。今では、以前に着ていた服は全てサイズが合わなくなってしまっていると聞く。


 運命の相手に相応しい人になりたいという彼女の決意は本物だったのだ。


 まあ、肝心のトリスタン様の方は、サディアがどんな体型をしていても受け入れる気でいるようだけど。むしろ、過激なダイエットで彼女が体を壊さないか心配しているらしい。


 やっぱりこの二人は、仲のいい夫婦になれるに違いない。


「私、あなたのスピーチ、とっても楽しみにしてるの! 何を言ってくれるの?」

「それは聞いてのお楽しみ!」


 私は唇に人差し指を当てながらクスクス笑う。


 そうか……もうちょっとでスピーチタイムだ!


 会場の楽しげな雰囲気にすっかり浸りきっていて、時間が経つのを忘れてしまっていた。二人に「また後で」と声をかけてから、ステージへ向かう。


 野外劇場のような見た目の舞台の裏手には、すでにスピーチを任された何人かのお客さんたちがスタンバイしていた。皆セリフの最終確認をしたり、発声練習をしたりとチェックに余念がない。私も話す内容のおさらいをしておかないと!


 懐から原稿を出そうとして、手が震えているのに気付いた。会場には大勢の参加者がいたことを思い出す。緊張で肌がじっとりと汗ばんできた。


「しっかりしなさい、私! ここで失敗したら、トリスタン様とサディアに恥をかかせることになるでしょ!」


 一生懸命に自分を鼓舞し、景気づけにスズランの香水を振ろうとした。


 でも、小瓶の蓋をひねろうとしてはたと思いとどまる。


 ――【花のご加護をウィスパリングペタル】はね、生花にしか効かないんだよ。


「生花にしか……効かない」


 私はスズランの香水を見つめる。冷水を浴びせられたような心地がした。


 これは生花ではない。つまり、この香水にオリーの魔法はかかっていないのだ。この瞬間だけではなく、今までもずっと。


「コンスタンツェ!」


 まるでタイミングを見計らったかのように、オリーが登場した。心配そうな顔だ。


「後少しでスピーチの時間だけど、調子はどう? 緊張を和らげてくれるカモミールティーでも持ってこようか?」


「……できないよ」


 私の声は掠れきっていた。まるで天地がひっくり返ってしまったみたいに、ひどく動揺して呼吸が荒くなっている。


「スピーチなんてできない。言葉に詰まるとか、大事なセリフが抜けちゃうとか、どうせ何か失敗するに決まってるもの。それで私は笑いものになって、トリスタン様とサディアは、こんな人、推薦しなかったらよかったって思うんだ。そうなる前に、早く他の人に代わってもらわないと……」


「コンスタンツェ、今日はやけに後ろ向きだね。昨日は『代役なんていらない!』ってあんなに言い張ってたのに」


 オリーは目を丸くする。


「何かあったの?」


 何か? あまりに他人行儀な言葉に笑いたくなる。でも、そんなことをする気力すら残っていなかった。


「効果はなかったんだよ」


 私は呟く。


「効果はなかった。初めから。皆嘘だったんだ……」

「コンスタンツェ、君、何だか変だよ」


 オリーはきょとんとした顔だった。


「効果はなかった、って何のこと?」

「香水だよ」


 ペンダントの小瓶を掲げ持つ。


「オリーが言ったんじゃない。【花のご加護をウィスパリングペタル】は生花にしか効果がない、って。だったら、この香水にだって効くはずがないでしょう?」


「……」


 オリーは黙り込んでしまった。その反応を見て、胸が冷たくなっていく。心のどこかでは、彼が否定してくれるのを望んでいたんだろう。


 でも、そうはならなかった。オリーの言っていたことは全部嘘。この香水には魔法が付与されていない。


 希望なんか、初めからどこにもなかったんだ。


「どうして……」


 私は涙ぐんでいた。心が痛くて、息ができなくなりそうだ。


「ひどいよ……。こんな嘘を吐くなんて、あんまりじゃない。この香水だけが、頼みの綱だったのに。私、変われたって思ったのに……」


 目元をこする。ひどく惨めな気分だった。


 モーリス殿下から婚約破棄を言い渡された時と、私は何も変わっていなかった。強くなったなんてただの勘違い。私は今でも、意気地なしで何もできない、弱虫のコンスタンツェのままなんだ。


「私、騙されてたんだね。自分が嫌になるよ。魔法なんて存在しなかったのに……」


「そんなことはないよ」


 今まで黙っていたオリーがやっと口を開いた。でも、少しも慰められた気分にならない。


「何が『そんなことはない』なの? 嘘を吐いたって、正直に認めてよ。私、もう怒る気にもなれないんだから……」


「僕は嘘なんて吐いてない。希望はあるし、この香水にもちゃんと魔法がかかってる。ただしそれは、【花のご加護をウィスパリングペタル】じゃないけどね」


「え、どういうこと?」


 私はポカンとした。


「オリーって、もう一つ固有魔法を持ってるの?」

「まさか。この香水に魔法をかけたのは、コンスタンツェだよ」


 オリーは優しく微笑んだ。


「魔法っていうのはさ、そんなにきっちりしたものじゃないし、解釈の幅も広いけど、僕ならこう定義するよ。奇跡を起こす力、誰かの背中を押してくれる力、って。君はこの香水が特別なものだと思った。そして、ここに希望を見出した。……分かるかな? その認識そのものが魔法と言えるってことだよ」


 私は目を見開いた。オリーが続ける。


「でも、その希望はどこからともなく湧いて出てきたんじゃない。初めから君の中にあったものだ。魔法の香水はそれを引き出す手助けをしただけ。何もかも、全部君の力だったんだよ、コンスタンツェ」


「私の……力?」


 胸に手のひらを当てる。いつの間にか、涙は止まっていた。


 希望の本当の在処は、香水の瓶の中じゃなくて私自身の内側だった。


 心の奥の見えないところで、ずっと眠っていたのだ。いつか目覚め、日の当たる場所に出られることを夢見て。


 そんな眠れる希望を心の最奥からすくい取ったのは、他でもない自分自身だった。それってつまり……。


「私……自分の力で強くなれたってこと? 自分で自分に暗示をかけて、そうしたらそれがいつの間にか本当のことになっちゃった……?」


「僕も初めはこんなことになるなんて思ってなかったけどね」


 オリーが香水の瓶に視線を落とした。


「ただ、ちょっとでも気休めになればいいかなって思ったんだ。君がここまで変わるなんて想像もしてなかったよ」


「オリー……嘘吐きなんて言ってごめんね」


 ペンダントを服の中にしまった。


 希望はなくなってなんかなかった。ただ、ちょっと見失っていただけ。でも、オリーのお陰でもう一度その姿をとらえることができるようになった。


「確かにあなたは魔法をかけてくれた。……っていうより、私が自分に魔法をかけるお手伝いをしてくれたんだね」


「……スピーチ、代役を頼む?」


「まさか! これは私の務めだもの! ちゃんとやり遂げてみせるよ!」


 舞台袖からスタッフが顔を覗かせ、「皆さん、そろそろ準備をお願いします」と言った。


「じゃあ行ってくるね、オリー!」

「あっ、ちょっと待って!」


 オリーに腕を掴まれる。そのまま額にキスされた。オリーがにこりと笑う。


「行ってらっしゃい」

「……行ってきます」


 おでこを押さえながらはにかんで、舞台袖へと足早に移動した。


 確かに緊張はしていたけれど、もう香水は振らない。そんなものに頼らなくても、私なら上手くやれるって分かっていたから。


 順番が来て、ステージの上に立つ。割れるような拍手が体を包み込んだ。


 深呼吸をしてから、ゆっくりと口を開く。


「トリスタン様、サディア。本日は誠におめでとうございます……」


 スラスラと言葉が出てくる。


 ほら、やっぱり私って、結構やるでしょう?

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