286.情緒
(すごく、静か)
キィー…………ン。
――静寂が生む、音無き“おと”。
(顔を見て、お話がしたい)
「あの、ノワさん。よろしければお部屋へ入りませんか?」
ほぼ毎朝、挨拶へ来てくれる彼女に悪い印象がどうしても持てなかったアメジストはそう思う気持ちが心底溢れ、意を決して伝えた。
もちろん、良い返事は期待出来ない。
これまでも扉の外から聞こえるお手伝いに声をかけることはあった。しかしノワだけは部屋へ入ってくれたことがない。扉越しにアメジストが笑って話しかけても言葉少なに答えるノワはいつも「はい」か「いいえ」の、一言であった。
それでも今、アメジストの志は皆との関係をよりもっと良い方向へ変えていきたいとの思いが強い。
――たとえそれが、継母スピナの専属お手伝いであるノワであっても。
「いいえ、用件をお伝えしましたら失礼します」
「そう……そうですよね。すみません、お忙しいのに無理を言ってしまって」
(やっぱり、ダメよね。急に上手くいくわけなんて……)
「いえ、アメジスト御嬢様のお気持ちにお応えしたかったのですが。今は都合がつきません」
「――エッ!! ノワさん!?」
「ですので、本日は取り急ぎ」
これまでは断るだけだったノワのいつもとは違う、反応。
ただ少しそれだけの“変化”にもアメジストは嬉しくなり舞い上がるように心は躍った。
「はい! ありがとうございます」
「いえ、私は何も」
抑揚のない声は相変わらずだがやはり、その奥深くに隠された“ノワ”が持つ澄んだ美しい光を、アメジストは感じ取る。
ふと、静寂がいつの間にか緩和されていることにアメジストは、気付いた。それは自身の魔力開花で起こる、普段とは違った現象なのか? そんな考えが過ぎり無意識に部屋の扉へ手を当てた瞬間――「では簡潔に」と、ノワは端的に話し始めた。
「本日夕刻より、奥様……スピナ様は御屋敷にいらっしゃいません」
「あ……えっと、夜にお出かけになったと? お継母様はどちらに」
「三日後のお茶会の前にはお戻りになります。それまでに御嬢様、ご準備をなさって下さい。では――」
「待って、ノワさん!」
アメジストの質問へ答えることなく淡々と伝えたい事だけを話したノワは部屋の前を、去ろうとする。それに気付き間髪入れず引き留めたアメジストの大きめの声はもう一言、彼女へ問う。
「どうして、そのような話を私に?」
スピナが茶会の日まで不在との情報、そして意味深な言葉にアメジストは戸惑った。




