169.嫉妬
「こんなに魅力的で聡明なスピナを目の前にして、一度も?」
――『聡明』ですって? やめて。その言葉……あの女が言われていた!
声にならぬ、叫び。
心の奥底から吹きあがる嫉みがスピナの情緒をさらに、狂わせる。
「えぇ!! そう、そうよ。あの人は一度も……この十六年間で、い・ち・ど・も! 抱き締めてもくれなかったわ。それどころか、数日前から急に冷たくあしらわれるようになったのよッ!? あ、まさか媚毒が切――」
少し興奮気味で勢いよく声を上げていたスピナは一瞬ハッとし、何かを思う。すると急に冷静さを取り戻しその口元はニヤリと、笑む。
「ンフ……い~い事、か~んが~えたぁ♪」
「ぁぁ、君の手は本当に綺麗だ。スピナ」
そして両手をカオメドの首筋から頬と順に捕らえると最後は耳たぶに軽く噛みつく。そして吐息混じりの妖しげな声を使い、囁いた。
「ねぇ、オグディア~? ほんの少し、手を貸してちょうだいな」
「えぇ、えぇ! もちろんですとも!! 貴女の為なら、何なりと」
耳元で囁き合う愛情表現のおかげで小さくこそこそと話し始めた二人の声は、距離のあるジャニスティまで届きにくくなる。
(何を、話している?)
「一体、どういうつもりなんだ。旦那様を貶めるような真似をする気なのか?」
スピナとカオメドには聞こえぬよう呟いたジャニスティであったが急に、背筋にヒンヤリと何かに触れられるような感覚を覚え、ぞわッとする。
それは警戒心や恐怖心ではない、“何か”。
(あいつらではない。何者だ……分かるが、感じられない。矛盾している)
――これはまるで“無”だな。
彼は目を閉じ自身の心を、集中させる。それは出会ったことのないような、桁違いな強い気だと感じていた。
(周囲の空気が変わった――微風が、吹いている?)
瞼を閉じその瞳に輝く光を遮断した、暗い闇の世界にあるモノ。それは一本の細く弱々しい糸、ゆらゆらと光る煌びやかな絹糸に視えた。それがジャニスティの中に沁み入れば沁み入る程、その奥から温かく切ない涙のイメージが浮かんでくる。
そしてその涙は流れ、雫となり――。
ぽちゃ……ん。
(優しい音だ。水の流れる音も聴こえてくる)
「これは……湖? 広がる波紋、なのか」
やっと感じた“気”。
それからジャニスティの心が創造した空想の世界には心地良さ、懐かしさが映る。どうやら悪いモノではなさそうだと判断しゆっくり目を開けた彼の瞳からはなぜか?
一粒の涙が地面まで、零れ落ちていった。




