SS8~沙那と桜花とレイヴィア~
ルビーンにて理不尽な模擬戦が行われている頃、ヴィステリア王国王都では何時もと変わらない日常が広がっていた。
昼食を終えた勇者パーティーの面々が、午後の訓練が始まるまで思い思いに過ごす。
先に訓練場に行って自主練に励む者は勿論、城下町へ繰り出してみる者も居る。
「今日のご飯も、美味しかったね」
「はい。でも、そろそろ庶民的な味も恋しいところです」
そして、沙那や桜花のように自分の部屋に戻って午後の訓練の時間まで休む者も居た。
彼女等は自分達に宛がわれた部屋へ向かいながら、今日の食事の感想を言い合っていた。
勇者である事から、衣食住において貴族や国の上層部レベルの待遇を受けており、出される料理も全て、この世界では高級品として認識されているものばかり。
そんな贅沢な日々を送っている彼女等だが、元は一般の高校生。
暮らしの全てを保証してもらっている身で我が儘は言えないと分かっていても、そろそろ何時ものような高級料理ではなく、一般家庭で出されるような料理を望むようになっていたのだ。
それから2人は、擦れ違うメイドや執事達に挨拶されながら廊下を進んでいくのだが、ある一室の前で立ち止まった。
其所は、かつて神影が生活していた部屋だった。
「神影君、元気にしてるのかな……?」
「…………」
切なそうにドアを見つめる2人。
神影が居なくなった事が判明した日から、彼女等の心にはポッカリと穴が空き、胸が締め付けられていた。
その正体は勿論、想い人と共に過ごせない事への寂しさだった。
失踪前は、勇者パーティーの訓練から外されていたとは言え、食事の時間になれば会う事が出来た。
ある時期からは、自分達の事など置いてさっさと食事を終え、何処かへ行ってしまうようになっていたが、それでも神影が居るだけで十分違っていた。
でも今、この城に神影は居らず、何処に居るのかも、無事なのかも分からない。そんな日々が数週間も続いている。
調査隊チームへの同行も出来なかった事で、彼女等の心には焦りの色も見え始めていた。
「あっ………沙那さん、あれ」
すると、何者かの気配に気づいた桜花が沙那の袖を引っ張り、空いている手である方向を指差す。
沙那がその方向へ目を向けると、此方へ向かって歩いてくる1人のメイドの姿があった。
「レイヴィアさんだ………」
沙那がポツリと、そのメイドの名を呟いた。
神影が失踪して以来、レイヴィアには仕えるべき主が居なくなってしまった。
そのため、他のメイド達の補佐をするように命じられていたのだ。
「あら、サナ様。それにオウカ様も。ごきげんよう」
2人に気づいたレイヴィアが軽く頭を下げて会釈し、微笑を浮かべる。
元々の妖艶な見た目や雰囲気と相まって、同性でありながら、沙那達は思わず頬を染めてしまう。
「ど、どうも………」
「お疲れ様です……」
それを隠そうとする沙那達だが、かえって挨拶がぎこちなくなる。
「ずっと訓練続きですが、お体の方は如何ですか?」
「は、はい。大丈夫です」
「それに、訓練で鍛えられたので………ステータスも、それなりに」
そう答える沙那達に、『それは何よりですわ』と相変わらずの笑みを浮かべて返すレイヴィア。
軽く首を横へ傾ける仕草の艶っぽさと相まって、それを見た沙那達の体がかぁっと熱くなる。
神影と言う想い人が居るとしても、彼女が相手なら仕方無い。
何せ沙那達以外にも、彼女の色気で頬を染めた女子生徒は多数居るのだから。
勿論、それは男子生徒も例外ではない。
「で、では。私達はこれで……」
「失礼します………」
そう言って、沙那達はそそくさと場を離れる。
そして曲がり角を曲がったところで立ち止まり、2人揃って壁に背を預けた。
「や、やっぱりレイヴィアさん………雰囲気とか、仕草とかが、その………セクシー、だよね………スタイルも良いし」
「はい………同性なのに、ドキッとしてしまいます……」
両手を胸に添え、呼吸を整えながら囁き合う沙那と桜花。
基本的にメイド達が着ている服のデザインは全て同じものなのだが、レイヴィアは纏っている雰囲気が影響しているのか、同じメイド服でも彼女だけが違うように映っていた。
「そう思うと、神影君って凄いね。あんな綺麗で色っぽい人と普通に話してたんだから」
「それは………まあ、相手が古代さんですから」
そう言って、2人は歩いてきた道をそっと覗き込む。
彼女等の視線の先には、レイヴィアが未だに立っていた。
「……………」
神影の部屋の前で立ち止まり、1歩も動かずドアを見つめるレイヴィア。
その表情は、先程の沙那達と同じく何処か切なそうなものだった。
「レイヴィアさん、神影君の部屋の前で何してるのかな………?」
「さあ………あっ、そう言えば」
すると、桜花が何かを思い出したようなハッとした表情を浮かべた。
「瀬上さんから聞いたのですが………古代さんが居なくなってから、レイヴィアさんの様子がおかしくなったそうです」
「え………?」
そんな彼女の言葉に、沙那が思わず聞き返した。
「おかしくなった………?それは、どういう意味?」
「何でも、時々あのように部屋の前に来て寂しそうにドアを見たり、夜になると彼の部屋へ入ったりしているとか………」
幸雄から聞いたと言う情報を話す桜花。
勇者達の居住スペースでは男女でフロアが違っているため、まさか自分が知らない間に、男子のフロアでそんな事が起こっていたとは思わなかったとばかりに、沙那は目を見開いた。
「もしかして………レイヴィアさんも、神影君の事が………?」
「……………」
自分達と同じように、レイヴィアも神影に対して特別な感情を抱いているのではないかと考える沙那。
桜花は肯定しなかったが、否定もしなかった。
神影とレイヴィアが共に過ごしたのは、部屋割りが決まってから彼が失踪するまでの約2ヶ月間。
自分達と比べると、知り合ってから好意を持つまでの期間は短いが、相手は神影だ。
他人の肩書きや身分には全く興味が無い彼は、"三大美少女"と呼ばれて特別扱いされていた自分達を普通の女の子として見ていた。それと同じように、メイドである彼女にも普通の女性として接するだろう。
それに、他人から向けられる好意には鈍感である上に興味が無い事にはかなりドライだが、それでもある程度の気配りは出来る人間だ。
ふとした拍子にレイヴィアが好意を抱いても、何ら不思議な話ではない。
それに幸雄も、レイヴィアが神影に好意を抱いている可能性を桜花から訊ねられた際には『古代なら有り得る』と答えていたのだから、尚更だった。
「神影君、あちこちでライバル増やしちゃって………」
「ま、まあまあ。別にそうだと確定した訳ではないのですから………」
頬を膨らませ、不満げな表情を浮かべる沙那を桜花が宥める。
彼女の言う通り、これはあくまでも幸雄から聞いた話であって、それが100%正しい訳ではない。
沙那の考え過ぎである可能性もあるのだ。
「そ、それより、早く部屋で休みましょう。休憩時間が無くなってしまいますし」
そう言う桜花に押されるように、沙那は自分の部屋へと向けて階段を上っていくのだった。
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「また、来てしまったわね………」
沙那達が立ち去った後、レイヴィアは神影の部屋に入っていた。
部屋の明かりは全て消えており、カーテンも閉めきられているために昼でも暗い。
「彼はもう居ないって分かっているのに、気づいた時には此処に来ているなんて…………全く、何しているのよ私は?」
先程までのメイドとしての振る舞いを消したレイヴィアが、椅子に腰掛けて呟いた。
「観察対象の1人が居なくなった。ただそれだけの事なのに………何も、変わらない筈なのに………」
──どうして、こんなにも寂しいと思ってしまうの?
思わず口から溢れそうになったその言葉を胸の内に留め、メイド服を押し上げる豊満な胸に手を添えるレイヴィア。
魔人族幹部である彼女は、このヴィステリア城でメイドとして働きながら王国に関する情報を魔王グラディスへ伝える事を任務としており、勇者召喚が行われてからは、彼等を観察し、その中で魔人族側に理解を示しそうな人間が居るかを調査する事も任務に加えられた。
神影の専属メイドとして働いている間も、最初は任務として彼と接していた。
勇者達の機嫌を損ねないようにするためか、メイド達には勇者達の要望には逆らわないように命じられており、また王国へ繋ぎ止めるためか、時折誘惑するように接しろとも言われていた。
それを知らない男性勇者達の大半が鼻の下を伸ばしていたため、神影も自分がちょっとその気になれば、直ぐに堕ちるだろうと思っていた。
そんな単純な男に思われていた神影だが、蓋を開けてみれば考えや常識が通じない上、メイドである彼女を気遣い、はたまた世間話まで持ち掛けてくる始末。
まるで近所のお姉さんを相手にしているような感覚で接してくる神影に戸惑わされたのを、彼女は今でも覚えていた。
そして何時の間にか神影のペースに飲み込まれ、彼女自ら話を持ち掛けたり、主と使用人、または魔人族幹部と観察対象と言う関係など知った事ではないとばかりに、敬語ながら軽口を叩き合ったりするような関係になり、レイヴィア自身も、そんな関係に心地好さを感じるようになっていた。
そして彼が出ていく日も、普段の彼女らしくもない言葉を口走ってしまった。
まるで、自分が神影に好意を抱いているかのような言葉を。
「本当に、彼にはペースを乱されてばかりね………この変な感情が何なのかも、未だ分からない訳だし」
そう呟いた彼女の視界に、ベッドに腰掛けている神影の姿が浮かび上がった。
「………!」
彼女と目が合った神影は、何か面白い話題を思い付いたとばかりにニッコリと笑みを浮かべる。
これは、部屋で神影と居る時によく見た仕草だった。
こう言う時に、神影は世間話を持ち掛けてきたものだった。
「ふふっ、何か思い付いたのですか?ミカゲ様………」
当時の癖で思わずそう言ってしまうレイヴィアだったが、神影の姿がそのまま消えてしまった事で現実に引き戻される。
「またこんな幻覚を見るなんて………どうなってしまったのかしらね、私は」
そう呟いたレイヴィアは立ち上がって部屋を出ると、仕事に戻るべく歩き出した。
この理解不能な感情を植え付けておいて勝手に居なくなった少年に、一言、『馬鹿』と呟いて。




