第306話 渚さんと笑顔の姉妹
「それではハイアイテールジェムを渡そう」
戦いの準備も整い、渚たちが再び集まった市長室内で市長のミーアがそう言った。それからジュラルミン風のケースからふたつの緑色に輝く宝石を取り出すと、その場にいる渚たちに加えて地上の騒動の後始末に駆り出されていたために後から合流したリンダの兄アルが「おお」という顔をする。
結晶化したアイテールの透明度は決して高くはないが、ハイアイテールジェムは透き通った緑色をしている。圧縮し、結合そのものがさらに細かくなったことでそのような現象が起きているのだと渚は聞いていた。
「ある程度使ったところで大した消費にもならないくらいには圧縮してある。市民であるリンダには緊急戦闘への使用までを許可しよう」
「ありがとうございますわミーア市長。必ず目的を果たしてみせます!」
リンダがそう返してハイアイテールジェムふたつを受け取ると、マシンレッグの左右に新たに装着されたジェットパックのスロットに搭載していく。
『ドウデスカネりんだ?』
「はい。良い感じですわデウスさん」
そばにいた機械人のデウスの問いにリンダが強く頷いた。リンダが渡されたハイアイテールジェムはふたつ。片方は新しいもので、もう片方は渚たちが取り戻した、リンダの両親が届ける予定だったものを再精製したハイアイテールジェムだ。
そしてそれを収納したジェットパックは予め用意されていたリンダ用の追加武装であった。元々はトリー用に作成されたもので、さらなる高速機動と高処理能力が可能となり、クロのサポートもより向上することとなった。
「トリーお祖母様の装備を得て……お父様たちのハイアイテールジェムを受け取り、市民IDも戻ってきた。君はここまでやり遂げたんだねリンダ」
「お兄様。そんなこと言わないでくださいまし。やることはまだまだあるのですから」
アルの言葉にリンダが照れ臭そうな顔をする。
しかし、様々なものを奪われたリンダがこうしてこの場にいることを兄としてアルは誇りにせざるを得なかった。両親は二度と戻らないが彼らの想いを、様々なものを彼の妹は取り戻した。
また、現時点でリンダの市民IDも復活していた。
それは渚が最初に出会ったときからのリンダの目的であったものだ。両親を野盗に奪われ、復讐とハイアイテールジェムを取り戻すために市民IDを捨ててまで地上に上がったリンダはやがては戻るための道も模索していた。
とはいえ今となってはリンダの意思は渚とともにアゲオアンダーシティを復興することを目的としているために、これはリンダの要求によるものではなく、クキアンダーシティ側の都合によるものではあったが。
「リンダが市民に戻ったってのはいいけどさ。ミランさん、余計なことはしてないよな?」
以前のことを思い出した渚が眉をひそめてミーアを見ると、対してミーアも苦笑しながら首を横に振る。
「ミランも他の人間も犠牲にはしていない。これはお前たちの復興計画への賛同者が市民IDを返上したために空きが出たからできたことだ」
地下都市の運用のための技術者などの派遣はアゲオアンダーシティ復興計画でクキアンダーシティに要求したもののひとつだった。どうやら選ばれた賛同者はアゲオアンダーシティに骨を埋める覚悟で挑んでくれるようである。
「あのー、わたくしも計画のメンバーなのですけれども」
「リンダ、別に君に戻ってこいという話ではないよ。いや、戻ってくるというなら歓迎するがね。ハイアイテールジェムの譲渡に関しての手続きを簡素にするためのものだと認識してもらえればいい。これで君はご両親と同じ立場になった」
その言葉にリンダが顔を引き締める。ハイアイテールジェムは取り戻した。そして今、彼女は両親と同じ道へと足を踏み入れる。
「行き先は違うが、今度は君が届ける役割となった。次こそは無事に帰ってきなさい」
市長がそう口にする。アルもわずかに目を潤ませて頷く。一度は失敗したバーナム家の汚名を雪ぐ機会が巡ってきたのだ。難度は更に高くなったし、その肩には埼玉圏すべてがかかっているといっても決して過言ではなかったが、それでもアルにとっては立派になった妹の門出に感極まるものがあった。
「はい」
そしてリンダがゆっくりと頷きながら是と返す。それからいくつかのやりとりを経て、ようやく出発となったときにドクが渚に手を振った。
「ドク?」
「渚ぁ。ちょっといいかしらぁ」
「え? おう!?」
シュッとドクの手から何かが投げられ、それを渚が受け取る。
『ディ・マリア。それは!?』
それを見たニキータが慌てた顔をしたが、ドクは気にした風もなく肩をすくめながらクスリと笑った。そして眉をひそめる渚にドクが口を開く。
「コシガヤシーキャピタルについたらウィンドにそれを渡しなさい」
「これ……を?」
渚の手にあるものは写真だった。そこには二人の少女が映っていて、背景には渚が一度どこかで見たことがある家が建っていたのである。
**********
「クック、渚もいい具合に混乱した顔をしていたわねぇ」
『いい趣味してるよドク』
「あーりがとぅ相棒殿」
渚たちが去った市長室でドクと猫のミケランジェロがそんなやり取りをする。
残されたデウスは特に気にした風ではなかったが、ミーアはよく分からないという顔をして、ニキータはわずかに表情に怒りを帯びているようだった。
『どういうつもりだいディ・マリア?』
「どういうも何も……そろそろいいんじゃないかと思ってねぇ」
ドクの言葉にニキータが口元を歪めるのを見て、ミーアが眉間にしわを寄せる。
支配者級AIであるニキータがここまで動揺した姿をミーアはあまり見たことがない。それは機械種やグリンワームの知らせを聞いた時以上の反応で、であれば渚が受け取った写真に何かがあるのは明らかだった。
「ニキータ、あの写真は何なのだ? 映っていたのはコシガヤシーキャピタルのガヴァナー・ウィンドと……多分ナギサだったな? 彼女が小さい頃のもののようだが」
『そうだよ。絶対にあり得ないはずのものだ。けれども……なぜ今この時期に?』
「この時期だからよぉ。アレがどういう反応を示すか分からない以上は今ぐらい混乱してるときぐらいしか教えられないじゃぁない?」
『問題をひとつ増やした……くらいで済むと思うかい? 君の身がそうなった原因だというのに?』
ドクの言葉にニキータが眉をひそめながらそう返す。
「ニキータ、ドク。答えろ。さっきの写真は何なんだ?」
そのやりとりに危機感を感じたミーアが声を荒げるとニキータが観念したという顔で口を開く。
『サイタマシーキャピタルの地下に眠る怪物の過去だよ。残っていたのか……いや、そんなはずはないが、しかし……』
ドクはその様子をニタニタと笑って見ているが、ニキータにしてみれば先ほどのドクがしたことは火薬庫に火のついた煙草を投げ込むような行為であった。前回アウラが目覚めた時は意識を向けただけでその場所がアイテール結晶に侵食され、人間が結晶化したのだ。そしてただ怒りを煽るだけで自身を殺してくれるだろうと賢人は渚を計画に加えていたのだ。
『場合によってはグリーンドラゴンが動く前に埼玉圏が終わるかもしれないよ?』
その言葉にミーアが自身の顔を引きつらせたまま固まった。
【解説】
アイテール:
アイテールとは本来不可視で質量を持たない、存在の位相が異なるエネルギーだ。それを仮初めではあるものの物質としての状態に固定したのがアイテール結晶であり、ハイアイテールジェムは結晶化をさらに高圧縮したものであった。




