第292話 ミケさんと選ぶ未来
「由比浜渚……彼女は良い子のようだね」
「僕の渚だからね。当然だよ」
白い部屋の中で椅子に座る老人とテーブルの上で丸くなっている猫のふたりがそんなふうに言葉を交わしあっていた。そこは現実の世界ではない、時間の速度も違う、ただ二人だけが存在する、ホームと呼ばれる仮想現実空間の中だ。
「それにしても受け皿……地下都市の復興か。条件から考えれば十分に可能なプランではあるようだ」
「当然出来ない計画など立てないよ。僕はあの子を未来に導く義務があるのだからね」
そこにいるのは賢人とミケであり、彼らの視線の先にある窓の外には渚が何かを話している姿が映っていた。それは現実である外の世界の光景だ。渚は今、ジョージや賢人たちにアゲオアンダーシティ復興計画について話しており、その状況と並行して賢人とミケはこの仮想現実の中で対話を行なっていた。
そもそもの話ではあるが、賢人自身とパトリオット教団の祖先たちの双方が賢人本体と天国の円環、或いは地下都市とが接触をすることを嫌っていたため、この地下室へ届けられる情報は双方向ではなく、情報量も制限されていた。だからいかに賢人といえど目覚めたばかりで外の情報を正確に知ることなどできるはずもなく、渚たちがこの地下に降りた時から床を介した接触通信によってミケと仮想現実で対面して状況のおおよそを知らされていたというのが真相であった。
「しかし黒雨に汚染されることで覚醒するとはね。竜卵計画の概要を知れば予想はつきそうなものなのにここまで気づけなかったな」
「ナビAIの君はその方向に思考することそのものに制限がかかっているのだ。今の君ならば意識さえすればソレも外せるだろうが、完全にロックしているわけではないし、意識しなければ分からないものだからね。君は自身の正常値のデータを持っていないから比較もできないだろう?」
その言葉にミケが眉をひそめる。ロックでなければ思考誘導の類だろうが、それは言い方を変えれば学習だ。学習することで成長するAIはソレを自己診断で異常と認識することができない。出荷前の初期状態とのデータがあれば己の異常を探すことも可能だろうが、ミケはソレを持っていなかった。
「ついでにいうと私も持っていない。申し訳ないがダーパの者たちに渡してしまったので」
「渚に対して不利益となり得る要素があるのであれば教えてはもらいたいのだけれど。まあ、ソレは後で話そう。それよりも渚の意思は確認できたかい?」
ミケの言葉に賢人は頷く。すでに『彼らの取り引き』は済んでいて、後は当人の意思確認だけだったがそれも終えた。
「しかしこの竜卵計画、当初からどこまで上手くいけるものかと危ぶんではいたが、意外な結果になったようだ。由比浜渚、彼女が彼女のままここまで辿り着けたのは奇跡に近い。あの子だけは普通の娘であったからね」
「そうだね。君の本命は渚ではなかった。彼女の姉であるアウラの暴走を引き起こそうとしていたんだね?」
ミケが眉をひそめながら、そう返す。
ミケはこの場で由比浜渚の情報を賢人から受け取っていた。それはここまでの旅路でドクから、ガヴァナーから、いくつかの箇所で得た情報と合致している。
「超生命体アウラ。アレが元人間であったことから、その身内にまで調査は及んだが……結局のところ由比浜渚という女性はただの人間だった。その子孫には興味深い人物もいたようだが、アウラがアウラとなったこととの関連性は見出せなかったそうだ」
「アウラは進化の分岐点において出現する突然変異体の一種だったんじゃないかな。けれども彼女はいまだに人間としての自我も持っている。機嫌を損ねれば最悪、この列島が半分に割れる可能性すらあっただろうに」
その言葉に賢人が頷く。
超生命体アウラはコシガヤシーキャピタルの首都地下に存在する巨大なアイテール結晶侵食体であり、元はただの人間だ。それがアイテール結晶に侵食されて寿命から解き放たれ、永遠に生き続ける別の生命体へと生まれ変わったとされている。
また元が人間であるが故に意思の疎通も可能であり、本来ガヴァナー・ウィンドはアウラの人間時代の再生体で、アウラとの交信するために造られたのだという情報もミケは賢人から得ていた。
「それも君の自殺願望を満たすためのファクターであったと?」
「仮にアウラが動くとすれば渚の生存を優先するために動くのでは……という期待があった。だからこそ、ダーパの者たちも承認した。けれどもそれ以上に彼女なら完全に私を殺してくれるという期待感があったことは否めないな」
そう賢人がミケの問いを肯定する。
機械種とてアウラには抗せない。破壊規模で言えば機械種に軍配があがるだろうが、それはそういう兵器として造られたものというだけであり、存在の格からすれば一体の機械種程度ではアウラに圧殺されて終わるのが現実だ。そして賢人はそれを望んでいた。
「まったく、自殺願望の機械種とは笑えない話だ」
それはメンタルケアが上手くいっていないAIにはありがちなノイローゼの一種だ。さりとて己の存在と役割を放棄することもできず、エイリアンウォー後の滅びかかった世界で賢人のケアを行える存在もいなかった。それ故に彼ができたのは己が築きあげたプランの中に自分を殺す可能性を盛り込むだけ。
「機械種であろうがひとりぼっちのAIの末路などそんなものだ。どれだけの力を持とうとひとりでは意味がない。孤独は知性を腐らせるものだ」
「ニーチェだったかな? 老朽化したAIの問題は昔からあったけれども……自分で語るとは開き直りも甚だしい。まあ機械種化しても変わらないのは理解したよ。参考にしておこう」
そのミケの言葉にて老人がニコリと笑う。
「そうだね。よく覚えておくといい。千年の孤独は君を蝕み、いつしか私と同じ宿痾に悩むかもしれない」
「かもしれないね。けれども、君と僕の差はとても大きい。だから希望的観測ではあるけれど、同じ結末にはならないんじゃないかと思ってはいるんだよ」
「差?」
「うん。だって君は人類という大きな枠のために存在したのだろうけど、僕は違うからね」
「……ふむ」
ミケが窓の外にいる渚を見る。
「僕はただあの子のために存在している。僕の役目はあの子が笑う未来を、あの子がこの世界を去るときも安心して眠れる未来を造るために導くだけなんだ。僕はただのナビゲーションAIなのだから」
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「ミケ?」
地下室。アゲオアンダーシティ復興計画について、そして現在の問題と今後についてを話している途中で渚がミケに問いかけた。
『なんだい渚?』
「なんかボーッとしてたみたいだったからさ」
『そうかな。もしそうなら多分、君の言葉に聞き惚れていただけだよ』
「何言ってんだか。ちゃんと聞いててくれよ。お前はあたしのナビAIなんだろ?」
その言葉にミケがヒゲを揺らしてニャーと鳴いた。その声はどこか嬉しそうで、そして当事者以外の誰も気づかぬままに秘密の会合は終わり、猫の姿をした者の未来への道はここで確定したのであった。
【解説】
AI:
市民ID(人権)を与えられるようになっために、精神性の基準点が人間と同等と定められたことがAIにとって幸であったのか不幸であったのかは分からない。ただ人間の隣人であることを求められた結果、進化も退化も行えなくなったその知性体は人間に取って代わるという選択をついに選ぶことはなかった。




