第271話 渚さんと無知なる者
『そもそもの話だけれどね。なぜ渚は裁定者に選ばれたんだい?』
渚の中に浮かんだ疑問をミケが口にする。少なくとも目覚めたばかりの渚は勝気なだけのただの少女だったし、それをミケはよく知っていた。対してジョージの返答は「君は知らないのかね?」であった。それにミケが目を細めながら自分の知っている情報を口にする。
『彼女の姉が何かしら特別な存在だった……というのは知っているけど、それだけで渚が特別かというと違うだろうしね』
「え、姉貴が特別? マジで?」
目を丸くする渚にミケが頷く。
『特別な立場にいた人物らしいけど僕も詳しくは知らないんだ。ミケランジェロから得た君のプロフィールデータにそれらしい記述があっただけでね。詳細についてはジョージ、君の方で把握はしていないのかい?』
「残念ながらその件に関しては私も知らない。ユイハマナギサという少女のプロフィールは極めてレベルの高い秘匿情報として扱われている。それこそ他の裁定者よりもな」
その言葉に渚が眉をひそめた。自分の存在がそこまでシークレットなものだとは夢にも思わなかったのだ。
「君が埼玉圏で生まれた理由も正直に言えば私には分からないんだよ。埼玉圏内で機械種になれば黒雨ではなく浄化物質への耐性がついていたかもしれないしね。まあ現実として君たちはここに来たわけだからその判断は間違いではなかったのかもしれないし、或いは別の目的があったのかもしれないが」
「なあジョージさん、アンタ大統領なんだろ? なんであたしや姉貴の情報ぐらい手に入らないんだよ。それにさっきから妙だぜ。どうにも他人事って感じだ。竜卵計画ってのはアンタのところで進めた計画なんだよな?」
「確かに竜卵計画はパトリオット教団内で進められていた計画ではある。けれどもそれはダーパの管轄であり、大統領とは言っても私はこのワシントンSDCのいわゆる管理者なんだよ。つまりは地下都市の市長と同じで、私は私の管轄以上のことは知らされてはいないというわけだ」
「は、嘘だろ? マジでなんにも知らないってことかよ?」
「程度にもよるがね。計画についてはコシガヤシーキャピタルの間諜の方が詳しいかもしれないな」
『つまりジョージ、君は竜卵計画に関わっていないんだね?』
その問いにジョージがコクリと頷いた。
「そういうことだ。むしろ私こそ竜卵計画について知りたくて君たちを呼んだわけだよ」
その言葉には渚もミケも流石に面食らう。計画を行なっていたはずの黒幕が教えてくれと尋ねてきたのだ。渚もそれではここまでの思わせぶりな対応はなんだったのかと言いたくもなったが、それよりも先にミケが口を開いた。
『なるほど。君が無知であることは理解できた。けれども、君達が竜卵計画について聞きたいのであればそのダーパという組織に尋ねれば良いんじゃないのかい? それが許されない立場だというなら僕らから聞くのも悪手であるように思えるけど?』
「確かにな。けれども現状で私たちはダーパに尋ねることを許されていないのではなく、尋ねることが不可能な状態でね」
その言葉に渚が眉をひそめる。
「なんでだよ?」
「計画を知るメンバーは全員が裁定者を生むためにここから旅立ち、未だ誰も戻らないからだ。ご丁寧に計画のデータは全て消されてもいて、我々が知っているのは提出された報告書に書かれた簡単な概要だけなのさ」
『なるほど。つまり詳しい者はもうここにはいないということだね?』
ミケの再度の問いにジョージが首を横に振った。
「いや、ひとりだけいる。あの方は彼らの行動を把握していたはずだ」
「あの方っていうことは賢人のことか?」
ここまでの話の流れから該当する人物は他にはおらず、ジョージもその問いには首肯で返した。それから渚とミケから目をそらし、まるで独り言のように口を開く。
「我々は何も知らない。そして彼らは消えた。関西圏が壊滅したのは知っているかな?」
『空から天遺物が落ちてきたと聞いているよ。まあここまでの話を考えれば結論は出ているけどね』
「それって多分、機械種反応が関西圏にふたつ以上あったってことだよな」
複数の機械種の核の反応を検知すると天国の円環から質量兵器が落ちてくると渚は知らされており、瘴気に覆われていない西日本に裁定者がいたのであれば、それが原因で起きた災害であるのだろうと想像するのは難しくない。
「関西圏は暴力が支配する世界だ。私たちの同胞は恐らく囚われ、裁定者を覚醒させたか、あるいはチップを無理矢理に起動させられたのだろう」
『そう聞けば関西圏の自業自得と言えるけど、だとしても被害が多過ぎはするか』
「そういうことだ。我らが同胞が結果として人類の生存域を脅かしたという事実には変わらない……で、あるにも関わらず私たちは何も知らぬままだ」
そう言って握りしめた自らの拳をジョージが睨みつける。
「かといって我々に何ができるわけでもないがね。ただ竜卵計画を開始したパトリオット教団の人間として何が起きているのかだけは把握しておきたい。だが賢人は現在稼働していない」
「稼働していない?」
『もしかして壊れたのかい?』
ミケの問いにジョージが首を横に振った。
「あの方は今、機械種の核をすべて切除して非活性状態となっている。チップに使用するためにね。だから代わりの核が必要なんだ」
その言葉に渚とミケの表情に警戒の色が浮かんだ。核ならば現時点でも渚は所持している。脳内にあるチップという形で。だがそれを使うということはすでに癒着している脳から取り出すということであり、それは渚が死ぬか、或いは重要な障害を残す可能性があった。
「君たちの懸念は分かるが、そう心配することはない。代用は存在している」
「代用?」
「ああ、そうだ。問題なのは保管している場所でね」
そう言ってからジョージは目の前の机を指差した。そこにはこのアカギマウンテンの周囲が描かれた地図が置かれており、ジョージの指差した先はとある場所を指し示していた。
「グンマエンパイア。君たちがそう呼ぶところに核がある」
「!?」
驚く渚に横でミケが訝しげな顔をしてジョージを見た。
『ねえジョージ。君は賢人については後ほど本人と会って確認をとって貰えばいいと言ったね? それは話したければ取って来いという意味だったのかな?』
その問いにジョージは含み笑いを浮かべて頷いた。そして、それこそがここに呼ばれた本題であることに渚も気づき、ジョージへと鋭い視線を向ける。
「先ほども言ったように我々は裁定者を縛らない。けれども我々は無条件で何もかもを教えるつもりも、差し出すつもりも、従属するつもりもない。さて、君たちの要件を聞こうか地下都市のメッセンジャーよ。我らの望みと引き換えに君たちの望みも叶えよう」
【解説】
ダーパ:
無論かつてのアメリカ国防高等研究計画局そのものではない。
大統領も命令する権限も持たず、黒雨などの現状への対策を主とした独立した組織であり、また現在はメンバーのほとんどが不在で組織として機能していない。




