第209話 渚さんと伝説のババア
「おや、帰って来たようだね」
クキアンダーシティ第二階層の北西部にあるバーナム家の屋敷。その中に渚たちが入ったと同時に凛とした老人の声が響いた。そして、それに最初に反応したのは嬉しそうな顔をしたリンダだった。
「お祖母様、お久しぶりです。戻ってまいりましたわ」
広い玄関の中央、大きな階段の上にいる車椅子の老婆に対しリンダがそう返し、老婆も満足そうに頷いた。
そのやり取りの通り、そこにいたのはリンダとアルの祖母であるトリー・バーナムだ。かつて狩猟者として名を挙げ、上級市民となってアンダーシティに移住した女傑がそこにいたのである。
「それと申し訳ございませんお祖母様。ヘルメスを壊してしまいました」
「ふん、お前の命が残っているなら問題ないさ。それと修理の仕方はデウスが知っている。アレに聞けば直してくれるだろう」
「あ、そうでしたの?」
リンダが目を丸くし、トリーが頷いた。コシガヤシーキャピタルでも直せないとのことで機械人でも修復は無理だと考えていたのだが、どうやら問題は予想よりも簡単に解決が可能なようだった。
「あの、他の機械人の方にも見てもらって駄目だったのですけど?」
「連中はすべての情報を共有化しているわけじゃあないからね。デウスなら問題ない。連中は個体差を出すことで精神的な病のパンデミックによる集団自殺化を防ぐんだそうだ。まあ、あたしにゃ何のことやらさっぱり分からんがね」
そう言ってから、トリーがリンダを改めて眺めた。
「しかし、一年で見違えたね。それにマーカス・ウィンド。あんたがそのチンマイの下に付くとはね。マザコンとは分かっていたがロリコンでもあったのかい」
「トリー・バーナム、母上の知己とはいえ、憶測でものを言わないでいただきたい」
どうやらふたりは知り合いのようであった。
「はっ、こっちはあんたがガキんちょの頃も知ってんだよ。ほれ、あの五歳の頃にいったときにお前さん、確かママのおっぱいを吸いたいとかなんとか」
「幼児の頃のことをほじくり返すのは止めていただきたい」
マーカスが必死になっていた。その様子に渚とリンダが目をパチクリとさせ、リンダが「お知り合いでしたの?」と口にする。
「まあね。ま、坊やのことはいいさ。ナギサ、それにミケ。挨拶が遅れたが、あんたがたには感謝しているんだよ。孫がたいそう世話になったようだね」
「いんや。お互い様だぜ」
『そうだね。彼女は渚の良い相棒だ』
「猫が喋った!?」
アルが何気にミケが喋れることに驚いていた。
愛玩用の猫型ロボットだと思っていたらしい。
「アル、驚き過ぎだよ。擬似生体さ。本物の猫じゃないんだから喋るのもおかしくは無いだろう」
「は、はぁ。すみません、お祖母様」
そのアルの反応にやれやれと言う顔をしたトリーが目を細めて渚を見る。
「息子と娘の無念を晴らしてくれたこと、感謝している。本当ならあたしが出向きたかったんだけどね」
「流石にご勘弁を、お祖母様。あなたが上級市民ではなくなった時点でバーナム家が立ち行きません。叔父様や叔母様に顔向けもできませんよ」
「そういうわけでね。しがらみも多いのさ」
現状のバーナム家は上級市民であるトリーという柱があってのものであるらしく、アルの言い様にトリーは肩をすくめた。その様子に渚がトリーに口を開いた。
「あんたは駄目で、リンダは良かったのか?」
「孫は自分で己の道を決めた。その上で命を散らすのであれば、それはリンダの問題さ。そいつは地上で生きているあんたになら通じる理屈じゃ無いのかい?」
「ん……まあ、そうだな」
「分かってるならいいさ。とはいえ、こうも早く目的を遂げられるとは思わなかったけどねぇ。あたしの血を引いているとはいえ地上は過酷だ。アルじゃあ一日と保たなかっただろう」
「……その苦労を知らぬ僕は否定できませんがね」
「ありがとうございますお祖母様。きっと出会いが良かったのですわ」
そう言ってリンダが渚を見た。ライアンとルークはトリーが繋いだ縁だが、渚は彼女自身が掴んだものだ。もっともリンダはその表情に影を落としながら「ですが」と口にした。
「結局わたくしが討てた仇はひとりでしたのお祖母様。ザルゴは今も生きております」
「ふん、そいつはまあいいさ。リンダ、あんたが生きてさえいればそれでね」
その言葉にはアルも頷く。リンダが地下都市を追放されてまで地上に向かうことを認めたのはトリーだが、孫を復讐の道具として考えて送り出したわけでは無い。彼女は孫の意思を尊重し、それを認めただけであった。或いはかつての自分が歩んだ道に続いてくれるのでは……との期待があったのかもしれないが。
「リンダ、あんたの目を見れば分かるよ。今はもう納得をしているね。それにだ。あたしがアンタに望んでいたのはハイアイテールジェムの行方、その取っ掛かりを掴んでくれるところまでだったからね。それから先はこちらで動くつもりだったさ」
「そうなのか?」
渚の問いにトリーが頷いた。
「ナギサ、今アンタが持っているケースの中にあるのは、このアンダーシティの中でも非常に重要なものなんだ。ここを出ていくリンダにも伝えられなかったほどのね」
トリーの言う通り、リンダは両親や己がなぜ襲われたのかを知らされてはいなかった。それは決してリンダに冷たかったわけではなく、何を運んでいたのかを外に漏れることが危険だったからだ。それはアンダーシティの最重要機密のひとつであり、その事実を知っていると知れた時点で様々な問題が生じる。
「都市そのものを生かすほどのエネルギーの集合体。圧縮の結果、核が存在しているハイアイテールジェムは微量ではあるがアイテールを生成もするんだ。実際には引き上げたエネルギーを結晶化しているだけなんだが……ね」
「ん? ってことはこれってアイテール結晶侵食体と同じなのか?」
ふと呟かれた渚の言葉にアルとリンダが首を傾げ、トリーが渚を睨んだ。
「口が軽いねナギサ。それはちょっと踏み込みすぎだ」
「お祖母様?」
唐突なきつい物言いにリンダが目を丸くすると、トリーがハァとため息をついてリンダを見た。
「リンダ、今の言葉の意味をあんたは理解しているのかい?」
「い、いいえ」
「なら聞かなかったことにしておきな。アル、お前もだよ」
「はい」「はい」
兄妹が恐々とした顔で頷き、渚が眉をひそめた。それからトリーが肩をすくめながら渚、ミケ、マーカスへと視線を向ける。
「アル、リンダを連れていきな。ナギサたちはあたしがもてなそう。ちょいと話さなきゃならんこともあるしね」
そう言ってトリーは車椅子を操作して通路の奥へと進み出した。その様子に少し戸惑った顔をした渚だがリンダと顔を合わせて頷き合うと、ひとまずはトリーの指示に従って後を尾いていくことにしたのであった。
【解説】
機械人の集団自殺:
人間と同等、或いは上位の精神性を会得するに至ったAIは精神病を患うこともあり、機械的に最適化した思考は素直過ぎるが故に思考のループを加速させ、時には衝動自殺を行う。
またAI同士の情報の共有化はネガティブな思考のループを拡大させる傾向にあり、過去の事例を遡れば一都市すべてのAIが自殺を行い、結果として大災害に発展したケースもあった。故にそうした精神病のパンデミック化を防ぐための防衛手段を機械人も確立しており、そのことをトリー・バーナムはデウスより教えられていたようである。




