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渚さんはガベージダンプを猫と歩む。  作者: 紫炎
第5章 首都攻防
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第161話 渚さんとチンチクリンの道

「おお、近くで見るとホント水が綺麗だなぁ」


 埼玉都庁アースシップとクレーター内の内街を繋ぐ空中回廊を進みながら渚がそう口にした。クレーター頭頂部の展望台よりここまで案内された渚は途中の活気溢れる街並みにも驚いたが、それ以上に目の前に広がるクレーター湖に目を奪われていた。


『周囲に川もないし、おそらくは内部で循環しているのかな』

「そうだね。アースシップがやってるんだよ。あの船は周辺環境を住みやすいようにする機能もあるからね」


 ミケの言葉にガヴァナーであるウィンドがそう返す。

 その彼女の後ろには少しばかり小太り体形の警護兵が付いていた。このコシガヤシーキャピタルのトップの警備にしては手薄すぎるのではないかと渚は感じたが、そのことを尋ねられたミケは小太りの兵はウォーマシンの可能性があり、それ以上の警護は必要ではないのだろうねと返していた。


「けど水の奥の方は暗いな。濁ってるのか?」

「いいえ、ナギサ。あれは食用藻ですわ。わたくしたちがいつも食べている藻粥はここで生産されていますのよ」

「ああ、あれかぁ」


 渚が少しだけ顔をしかめて答える。顔に出すつもりはなかったのだが、埼玉圏で主食となっている藻粥は食えないことはないというだけで決して美味しいシロモノではないのだ。


「はは。その顔を見る限り、やっぱり味は不評みたいだね」

「そんなことは……まあ、あるけどな」


 渚の言葉にリンダが「ナギサ、失礼ですわよ」と注意したがウィンドは笑って頷いた。


「いや、うん。それでいいんだよ。結構イケるぜ……みたいなことを言われたら、もう少し味を落とすことを検討しないといけないところだった」

「は? なんでだよ?」


 眉をひそめた渚にウィンドが肩をすくめる。


「実はあれ、必要な栄養素を加える際に満足できない味ギリギリに加工しているんだよね。あくまであれは栄養補給のための代物だから」

「いや、だからなんでだよ。わざわざ不味くして配ってるって……そりゃまるっきり嫌がらせじゃねえか!?」


 渚の抗議の言葉にウィンドは「まあねえ」と苦笑いしながら頷いた。


「嫌がらせというのは的を外れてはいないかな。アンダーシティとの契約があるんだよ。娯楽の提供は許可されていないから、食事を楽しませることができないんだ」

「契約? なんだって、そんな」

「美味しいものが欲しければVRシアターを使えばいいって言われてるでしょ?」


 ウィンドの指摘に渚は眉をひそめながら頷く。


「ああ、そういやそうだったな」


 渚自身に関していえば狩猟者ハンターとして否応無しにスリリングな日常を送っているので忘れがちだが、確かに地上の都市の娯楽はVRシアターしか存在していないのだ。


「私らはアンダーシティの条件を飲むことで埼玉圏内に藻粥を提供することを許されているんだよ。だから不満があるのは当然だとしても改善はできない」

「それは……仕方のないことですわね」

「リンダ?」


 横からのリンダの言葉に渚が首を傾げる。

 

「アンダーシティの決定ですもの。ガヴァナーは疑義がおありですの?」

「アンダーシティのお嬢さんはないのかい?」

「ありません」


 リンダの即答にウィンドが「優秀な元市民だ」と返して笑う。


「とはいえ、私も心情的な部分を除けば同意見だよ」

「そう……なのか?」


 渚は何と無くではあるがウィンドは首を横に振ると思っていた。だからアンダーシティに肯定的な反応は予想外であった。


『渚、娯楽に向けられるだけのエネルギーは地上にないんだよ。アイテールは常にアンダーシティに引き上げられているし、かと言って地上はアンダーシティに頼らざるを得ないからね。カツカツでも生きていられる状態を維持するためには消費を抑えるしかない。それは管理する側が行うべきことで個人では抑制が難しい。渚、君がプリンを食べているようにね』


 ミケの言葉に渚が「うっ!?」と呻いた。実のところアレも正しくは違反行為である。ただし狩猟者ハンターという立場であることや個人のうちで収めている場合に限っては取り締まられないというだけなのだ。それが商売に移った段階で取り締まりは厳しくなる。


「そうだね。ミケの言う通りだ。アンダーシティが使い古して不要だと排出したナノミストでも、地上にとっては命を繋ぐための大事なものだ。地上はアンダーシティに依存している。その代価として地上の人間は制限を受けているし、それにVRシアター自体は娯楽としては非常に優秀だよ。値段は相応にするが定期的に無料提供も行っているから地上の人間も過度な不平不満もない。ここを除けばだけどね」


 そう言ってウィンドが周囲を見る。すでに渚たちはアースシップの中に入っていた。そして、この宇宙船は彼女の城であり、この都は彼女の国なのだ。


「私は地上にね。アンダーシティを頼らないという選択を作りたかったんだよ。どうであるにせよ首根っこを押さえつけられている状況は望ましく思えなかったからね」


 ウィンドの言葉にリンダは少しだけ眉をひそめたが何も口にはしない。

 それはリンダ自身も地上に出てから感じてはいたことなのだろう。


「その方法を模索しながら私はこのコシガヤシーキャピタルを大きくしていった。結果として藻粥は埼玉圏内に行き届くほどには流通できたし、騎士団を育て上げて機械獣に対抗できるようにもした。アンダーシティと二分できる……とは言わないまでも相当の影響力は手に入れられたと思う」

「あんたはそんなことをずっとやってたってのか?」

「うん」


 ウィンドが強く頷いた。


「最初はね。私はただ何も分からず生み出されて……まあ色々とあったんだよ。あの頃は今よりもずっとひどい状況だったし、けど周りにいたのがみんな悪い人たちじゃなかったのは幸いしたかな」


 その言葉を聞いて、渚はウィンドが自分に似た境遇で生まれたのだろうと知った。


「だから、まあ自分の手の届く範囲にいる人ぐらいは笑っていられるようにしようって思ってここまでずっと頑張ってきたんだよ」


 ウィンドがグッと握り締めた自分の拳を眺める。

 その手は小さい少女のものとしては傷が多く、外見通りではない月日を感じさせるものだった。


「頑張れば頑張るほど身内は増えていって、どうにもならないことだっていっぱいあって……ただ、それでもみんなと一緒に頑張って、ここまでどうにかやってきた。コシガヤシーキャピタルは私の家で、私の自慢の家族だ。自分でもよくやってきたとは思ってるんだけどね。どうかな?」

「ここまでって……それは一体どれほどの」


 ウィンドの言葉の意味を考えてリンダは戦慄した。

 口にしたことが事実であるならば、それは相当に長い時を要したはずなのだ。であれば、一体その少女の形をした存在はどれほどの時を生きているのだろうかと。数十年ではきかないだろう。百年か二百年か。或いはもっと……


『そう、外見通りの年齢ではないんだよリンダ。彼女は正しくこの組織の長なんだ』

「だから……ガヴァナーなのですのね」


 ミケの言葉にリンダがそう口にした。

 ようやくリンダの目にも目の前の少女とコシガヤシーキャピタルのトップの姿が重なって見えたようだった。そのリンダの横で渚が「悪くねえと思うよ」と言葉を返す。


「少なくとも、あたしが埼玉圏で見てきた中じゃあここは一番活気がある。人が生きてるって感じがしたもんな」


 そして渚のその言葉にウィンドが頷き、それから笑った。


「ありがとう。けど、時間は迫ってる」

「ウィンドさん?」

「だから覚えていて欲しいんだ。この街の今を。きっと未来にその光景はないはずだから」


 言葉の意味が分からず、渚もリンダも困惑した顔をする。

 けれどもウィンドはそのまま先に進みながら話を続けていく。


「つい数時間前にね。私は決断しなければならないタイムリミットを知ってしまったんだよ渚。それは予想以上に短かった。食べられるパイの数は限られていたから、私はパイの数を増やそうと努力してきたんだ。時間はかかるけど、後五十年もあればこの埼玉圏を豊かにできる算段もあった」


 そう口にするウィンドは悔しそうな顔をして「けど」と言った。


「今度は頑丈な家や丈夫な服も要求されてきてね。残念だけど、さすがに全員分は回らない。こればっかりはどうにもならない」


 その言葉にリンダは首を傾げたが、渚には意味が理解できていた。

 それはつまり、瘴気のタイムリミットを意味しているのだろうと。

 瘴気が失われてもこのアースシップ内ならば黒雨を免れることはできる。けれどもクレーター内の街は無理だ。黒雨を逃れるシェルターも防ぐスーツも足りていないし、黒雨が降るのであれば食用藻も全滅となるだろう。つまり破滅は確定されている。


「中途半端にやればきっと誰も救われない。だから多分、私はアンダーシティと同じ道を歩むことになるんだと思う。地獄には落ちるだろうけど、選択は私がするべきことだろうからね」


 一歩一歩を踏み出しながらウィンドは言い、渚はそれに言葉を返せない。


「期限を教えてくれた勇気ある愚か者には感謝をするしかないのだけれど、恨み言のひとつも言いたくなる事態だよね。まったく」

「ワンッ」

「あ、ユミカ」


 そして、鳴き声と共に正面から子犬がチロチロとやってくるのが見えた。その子犬はウィンドに向かって進んでいたのだが、途中の鉄柱の前に立ち止まっておしっこをかけ始めた。


「あれが犬のユミカか?」

「うん、また部屋から脱走したみたいだねえ。ああ、そんなところにオシッコしちゃったらまた整備の人に怒られるよ」


 そう言ってウィンドは頭を抱えながら、ユミカの元へと駆けていく。

 その姿を目で追った渚には、ウィンドの背中が小さく、けれども思った以上に大きく感じられていた。


(あれ……ウィンドさんって姉ちゃんに……)


 そして渚はようやくその背中が己の姉と似ていることに気付き、己の瞳から涙がスーッと溢れていたことを理解したのであった。

【解説】

ユミカ:

 シベリアンハスキーの子犬。

 暴れん坊だが、先輩である猫のユッコネエには敵わない。

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