416ー母様の絵
伯父様が懐かしそうに、優しい声で話してくれた。
「私たちが幼い頃はよく家族画を描いてもらっていたのだけど、私が学院に入ってからは少なくなった。寮に入っていたからね」
そんな話を聞きながらお邸の奥へと向かう。一つの部屋の前で伯父様は止まった。
「エル、よく絵のことを覚えていたな」
「らって、おおばあばと、いっしょにみたじょ」
「そうか、母上と」
ガチャリと音をたてて、伯父様がドアを開けて入って行った。カーテンが閉められた薄暗い部屋だった。
カーテンが閉められているのは、きっと絵が傷まないように直射日光を避けるためだろう。それでも掃除が行き届いているのは分かる。空気が澱んでいないし、埃っぽさもない。
絵の具の匂いなのかな? かすかに独特な匂いがした。
「一応、状態保存は施してあるのだけどね」
そう言いながら、伯父様が灯りを点けてくれた。
広い部屋の壁には幾つもの絵が掛けられていた。額縁の木が変色しているような古い物もある。きっと代々のこの家の人の絵なのだろう。
「ぴか、おりるのら」
「わふん」
伏せてくれたピカからヨイショと降りる。あれ? エルは降りないのかな?
「ぼくは、のってるじょ」
何故かエヘンと胸を張っているのだけど。ふふふ、とても可愛い。
俺は部屋の端からゆっくりと絵を見ていく。
「私たちのご先祖様の絵だ。古いだろう?」
「けろ、しゅごいのら」
「凄いか?」
「うん、ボクはこんなの、みたことないのら」
「そうか、ロロたちもここにいる間に描いてもらおう」
「え? ボクも?」
「そうだ。ロロたちも私たちの家族だからな」
「ふふふ、うれしいのら」
伯父様は当たり前のように「家族だ」と言ってくれる。俺にとっては全然当たり前じゃないのだけど。だって、今まで会ったこともなくて知らなかったのだから。
それなのに、温かく迎え入れてくれる。それはとても嬉しいことで、当たり前なんかじゃないと俺は知っている。
入って両側の壁は、伯父様が話していたご先祖様の絵が掛けてあった。一体何年前のものだろう?
状態保存を施してあると伯父様が言っていた。それは、物を劣化させないようにする魔法だ。だからこれだけの状態で残っているのだろうと思う。
だって何代続いているのかも分からないくらいにあった。
奥の壁の前に、絵画用のスタンドのようなものに立て掛けてある一枚の絵があった。
「あれがここにある中で、一番新しいクロエの絵だ。新しいと言っても、アルと婚姻する前のクロエだがな。クロエが出発する少し前に、家族全員で描いてもらった最後の絵だ」
魔道具で見たよりも若い母様が、花が咲いたように微笑みながらそこにいた。
スポットライトを当てられているわけじゃないのに、その絵だけ浮かんで見えた。ここにいるわよと、呼んでいるみたいだ。
まだ若いお祖母様と母様が座っているその後ろに、お祖父様と伯父様が立っている。みんな幸せそうに微笑んでいた。
これから、母様が旅立って離れてしまうというのにみんな幸せそうだ。
いや、違う。幸せそうではなく、この絵が描かれた頃の母様は本当に幸せだったのだ。それが伝わってくる。
「アルのことは皆よく知っていたからね。二人がまだ幼い頃から、きっと二人は将来一緒になるだろうと話していたくらい仲が良かったんだ。だから、それが現実になって皆喜んだんだよ」
俺たちの知らない母様だ。レオ兄と同じ藍色の長い髪とラベンダー色の瞳。レオ兄とそっくりだ。やっぱレオ兄は母似だ。
凛とした佇まいで綺麗なドレスを着て、髪にはふんわりとしたおリボンを結んでいる。
お祖母様と一緒に静かに微笑んでいる母様は、魔道具で見た俺を抱っこしていた母様と重なって見えた。
「ロロの瞳の色と同じだろう?」
「ボクと……」
そっか、俺も母様の色をもらっているのだ。ラベンダー色の瞳。そう考えると、心がポカポカしてくる。お鼻の奥がツーンとしてきた。
あれれ? 母様の絵が滲んできちゃった。俺は自分でも気付かないうちに涙を流していた。瞬きをすると、涙がポトリと落ちた。
「ロロ……」
「う、ぅえ……ひっく、かあしゃま……」
伯父様が黙ってしゃがみ、優しく抱き寄せてくれた。背中を撫でてくれる温かい大きな手。こうして母様にも、優しいお兄さんだったのだろうな。
「これからは私たちがいる。甘えて欲しい、頼って欲しいんだ」
「ぅえッ……ひっく」
「たくさんクロエの話をしよう」
「うん……うん。しりたいのら」
「ああ、私が知っているクロエを話してあげよう」
俺は悲しいわけじゃないのに、何故か涙が止まらなかった。胸がポカポカを通り越してしまっている。
ここでは、この絵の母様のまま時が止まっている。伯父様だって悲しいのだ。伯父様だけじゃない。お祖父様やお祖母様だってそうだろう。
父様と婚姻してから一度も会えなかったのだから、悔やむことだってあるだろう。それなのに、俺たちの気持ちを優先してくれる。優しく慰めてくれる。
泣いてばかりいても仕方ない。涙で濡れたほっぺを、グイッと拭いた。ふぅ〜ッと大きく息を吐く。
「ろろ……」
声を掛けられて振り向くと、エルが心配そうなお顔で見ていた。
「える、らいじょぶなのら」
「ほんちょか?」
「うん、ほんと」
もう大丈夫だ。母様がいなくて悲しいのは俺だけじゃない。たくさん思い出がある分、伯父様たちの方が辛い思いをしただろう。それに、ずっと何年も会えていなかったのだから。




