訪れなかった未来③ ※レナード視点
「ご長男がお亡くなりになったのが、本当に悔やまれますね」
その言葉が、僕の胸を突き刺す。
「彼はスコット家の中でも、群を抜いてセンスがあった」
そこで言葉は切られたが、その口ぶりからは「それに比べて」という意図が透けて見えた。
兄であるアレクシス・スコットが亡くなって、二年が経った。
死因は事故。
エルヴィス王子殿下の護衛をしていた兄は、視察途中の崖崩れに巻き込まれて命を失った。
兄は天才だった。
史上最年少で騎士団への入団試験に合格し、学生でありながらも騎士見習いとして実務に携わる兄を、周囲の人々は褒めそやした。
兄がいるのだから次世代のスコット家は安泰だと、誰もがそう思っていた。
そんな兄を失って、僕達がどれほど失望したことか。
必然的に次男である僕が騎士団長の跡を継ぐことが決まった時、周囲の人間が浮かべた絶望的な表情が、どれほど僕を追い詰めたことか。
僕はいまだに、それに囲まれる悪夢に悩ませられているほどだ。
そこから、僕の生活は大きく変化した。
「今はとにかく、騎士になるための稽古に集中なさい」
そう言われ、今まで愛読していた学術書の類は残らず処分された。
「いくら勉強ができても、戦力にならねば意味がないのです」
これまでの自分を、全て否定された瞬間だった。
「仕方がないことだ」と自分に言い聞かせながらも、虚しさが消えることはなかった。
いくら稽古を重ねても、思うような結果が出せない僕に、周囲の人々が落胆するのがわかる。
「やはりアレクシス様でなければ…」
そんな言葉は耳が腐るほどに聞いたし、自分が一番そう思っていた。
そしてついに、決定的な出来事が起こった。
兄の婚約者だったその人が、僕と婚約を結び直すことになったのだ。
そのことを告げられた時、僕は自身に求められている役割を悟った。
「アレクシスになれ」ということか。
髪を切り、兄のような言動を心掛けると、それだけで周囲の人間は喜んだ。
「まるでアレクシス様のようだ」
「アレクシス様が生きていらっしゃるようだ」
そんな言葉を聞くたびに、求められているのが“レナード”ではないことを思い知った。
しかし、いくら容姿を兄に似せたところで、力の差が縮まることはなかった。
「アレクシス様であれば」
「アレクシス様が生きていらっしゃれば」
そんなこと、言われなくてもわかっている。
私がスコット家の出来損ないであることは、私自身がよく知っている。
騎士になること以外、何もかもを手放した。
好きだった勉強も、今の私にとっては無意味なものなのだ。
いくら知識があろうとも、それでは認めてもらえない。
とにかく剣の腕を磨かなくては。
強くなれ、兄のように。
何かに追われるような日々を送る中で、僕は一人のクラスメイトに出会った。
サラ・ベネット。
隣の席に座る彼女は、いつも何かに夢中だった。
愛らしい容姿をしているものの、これと言った特徴がある子ではない。
席が隣だから知っているというだけで、とりわけ目立つ存在ではなかった。
けれども、彼女には人を惹きつける何かがあるようだ。
いつの間にか高位貴族の子息だけでなく、担任教師までが、彼女に他とは異なる視線を送るようになっていた。
当初私は、彼女に対して恋愛感情は抱いていなかった。
むしろ、いつも楽しそうにしている彼女に対して、嫉妬のようなどす黒い感情を向けていた。
くるくると変わるその表情を見て、心の中では「負うべきものがない人間は気楽でいいな」などと、意地の悪い言葉を吐いてた。
ある時、彼女と個人的な話をする機会が訪れた。
「あれが好き、これが好き」と目を輝かせて言う彼女に対して、「なぜいつもそんなに楽しそうなのか」と嫌味のつもりで問うた時、彼女は満面の笑みを浮かべてこう言った。
『その時に面白そうだと思ったことをやっているからね』
彼女のその言葉を、僕は鼻で笑った。
「君は気楽でいいね。理想を押し付けられずに生きていける君が羨ましい」
なぜそれほど親しいわけでもない彼女にそんなことを言ったのか、それは今でもわからない。
ただ、その言葉は、兄が死んでからずっと僕の心の中に沈めていた本心だった。
そんなことを言って、彼女を困らせてしまったことだろう。
良い感情を抱いていないとはいえども、僕の事情に無関係な彼女に言うようなことではなかった。
「八つ当たりだ、忘れてくれ」と、そう言おうとした時だった。
『あなたは大変な状況にあるのね。だからと言って、どうして好きなこと全てを諦めなくちゃいけないの?』
彼女の澄んだ瞳に覗き込まれて、僕は言葉を失う。
好きなことすら全て手放した僕の人生とは、一体何なのだろう。
『レナード君がレナード君らしくいられるなら、その方が私は嬉しいわ』
目の前の少女は、なんと無責任なことを言うのだろう。
僕が本来の“出来損ないの僕”として生きることが、どれほど多くの人間に迷惑をかけるかわかって言っているのだろうか。
けれども、彼女のその言葉はとても魅力的なもののように聞こえた。
兄のように生きなくとも、僕自身らしく生きることで、喜ぶ人間がここにいるのか。
それは完全なる責任転嫁だった。
本当は僕自身が、手の届かない完璧な理想である兄を目指すことに、疲れ果てていたのだ。
『私は、ありのままのレナード君が大好きよ』
天使のように微笑む彼女のその言葉が、僕を破滅へと誘い込んでいることはわかっていた。
わかっていながらも、その誘いに乗ってしまうほどに、僕はもう限界だった。
…彼女のそばで生きたい。
重圧から逃げ出した僕を、唯一認めてくれる彼女のその言葉を聞いていたい。
兄のことを知らない彼女と、共に過ごしたい。
どうして僕は、兄のようになることに固執していたんだろう。
スコット家だって、僕のような出来損ないなど必要ないだろう。
自分の人生なのだ、好きに生きて何が悪い。
“天才”を追いかけることに疲れ果ててしまった僕には、周りのことを気にする余裕など残されていなかった。
「あら、レナード君? 起こしてしまった?」
僕が目を開けると、目の前には声の主が立っていた。
部室で教科書を読んでいる途中で、眠ってしまっていたらしい。
「昨日遅くまで勉強していたの? ほどほどにしないと」
そう言ってローナの手が、僕の髪をさらりと撫でる。
「そういうわけではないんだけど、なんだか嫌な夢を見ていたみたいだ」
それが夢であったことに安堵はしているものの、その内容は全く思い出せない。
どうしようもない世界で見つけた仮初めの光に縋りつこうとする、そんな夢だった気がする。
僕の言葉を聞いて隣に腰掛けたローナは、何も言わずにぴたりと僕に寄り掛かった。
ローナに触れた部分から彼女のぬくもりを感じて、鼻の奥が熱くなる。
こんな穏やかな幸せこそが僕の求めていたものだったのだと、なぜだかそんな風に思った。
「今週末、どこかに出掛けない?」
僕がそう提案すると、ローナの表情がぱっと明るくなる。
「素敵ね! サラの予定も聞いてみましょう」
弾むような彼女の言葉を押しとどめるように、僕はローナの唇に自身の人差し指を当てる。
「違うよ、デートなんだよ。ローナと僕の、二人きりの」
僕のその言葉を聞いて、目の前のローナの顔が真っ赤になる。
ああ、幸せだ。
僕はローナの額に口づけると、そのまま彼女を抱きしめる。
僕が呟いた「幸せだ」という言葉を聞いて、腕の中のローナが軽く笑ったのがわかった。




