訪れなかった未来① ※クリス視点
「君だけの責任ではない。けれども、第一王子が亡くなられたのだよ」
かつての学者仲間であったその人から発せられた言葉が、私の頭の中で渦巻く。
「申し訳ないけれど、これ以上君と親しくすることはできない」
一方的にそう告げて去って行く彼は、何も悪くない。
二年前のあの事故以来、私の周りからは急速に人がいなくなった。
「どうして計算方法に不備があったことを見抜けなかったんだ?」
「崖崩れが発生することを、なぜ予見できなかったんだ?」
無責任な言葉が、私を襲う。
「君がわざと崖崩れを発生させたのではないか?」
そんなことまで言い出す人間もいた。
それは不可能だと、言い返す気力すら私には残されていなかった。
「おまえは我がローレンス家の汚点だ」
幼い頃から私を「天才だ」「我が家の誇りだ」と言っていた家族までもが、虫けらを見るような視線を私に向けるようになった。
仕事が手につかなくなったのは、それからすぐのことだった。
周囲の研究者が、学園の生徒が、私を無能だと笑ってる気がする。
私はなるべく周りを見ずに歩くようになった。
あの事故以来、同僚であり婚約者でもあるレベッカも妙によそよそしい。
当然の態度だ。
間接的にでも第一王子を殺めた人間の婚約者で居続けるなど、誰が望むものか。
おまけに私は家族からも見放されている。
子爵家の子女であるレベッカが伯爵家に嫁ぐことの旨みすら、私は与えることができない。
賢い彼女のことだ、きっといつ婚約解消について切り出そうかと機会を見計らっているのだろう。
そのように鬱々とした日々を送る中で、私は一人の女子生徒と出会った。
サラ・ベネット。
今年度、私が担当するクラスの生徒だった。
整った容姿をしているものの、これと言って特徴がある生徒ではない。
王太子やその婚約者、宰相の子息といった、錚々たる顔ぶれが揃う私のクラスにおいては、むしろ目立たない人物であると言えるだろう。
しかし私は、暇さえあれば彼女を目で追っていることに気がついた。
そのうちにわかったことだが、彼女は人の感情を読み取る能力に長けた子だ。
困っていたり悲しんでいたりする人間を放っておくことができないようで、常に理性的であることが求められる貴族の中では、はっきり言って異端な存在だった。
けれども、良くも悪くも“普通ではない”彼女に、上位貴族の子息は心惹かれるものがあったらしい。
そして私も、例外ではなかった。
その頃には、「相手は生徒なのだ」と思いとどまることができないほどに、私の心は弱り切ってしまっていた。
おそらく私は、彼女に慰めてもらいたかったのだろう。
「私の過ちによって、この国の第一王子は命を落とされたのです。私は、大罪人として非難されて当然の人間なのです」
わざわざ彼女の前でそう言ったのが、何よりの証拠だ。
「もう誰も、私のことなど必要としてないのでしょう」
自分自身が発したその言葉が、重く重くのしかかる。
これまで、認めるのが怖かった。
周囲が求めていたのは“天才”の私であって、“天才”でなくなった私に価値などないのだと。
そのことに思い至った私の両手は、がたがたとみっともなく震えていた。
『クリス先生?』
彼女はそう言って、私の手に自身の手を重ねた。
ひんやりとした彼女の手が、私の身体の熱を冷ましてくれるように感じられた。
『たった一度の失敗で、クリス先生の功績全てが否定されていいわけがありません。先生は変わらず、偉大な土木工学者です』
おそらく彼女は、私の功績などほとんど知らないであろう。
けれどもその言葉は、打ちのめされた私を陥落させるには十分だった。
サラだけが、今の私を認めてくれた。
家族や婚約者にすら見捨てられた私を。
第一王子を殺した人物だと、後ろ指さされる私を。
…彼女のために生きよう。
夫婦になれなくてもいい、彼女の幸せを形作る一部になれるのならば、それが私の本望だ。
家族など、婚約者など、こちらから手放してしまおう。
周囲がどう思おうと、知ったことか。
彼女が幸せでさえあればよい。
他のことを気にする余裕など、もはや私には残されていないのだ。
「ねえ、どうしたの!?」
焦ったようなその声が、私を夢から目覚めさせた。
「うなされていたけれど、大丈夫?」
声の主に目を向けると、レベッカ…レベッカ・ローレンスが、心配そうな表情で私を見つめていた。
「いや、なんでもないよ。心配をかけてごめん」
何か夢を見ていた気がする。
どんな夢だったか、内容は全く覚えていない。
辛くて辛くて、僅かな光に縋りつこうとする、そんな夢だった気がする。
「まだ朝にもなっていないわ。もう少し眠りましょう」
そう言ってベッドに潜り込むレベッカの体温を感じて、なぜだか泣きそうになってしまう。
「…君と結婚できて、私は本当に幸せだよ」
思わずぽろりと漏れてしまったその言葉は、紛れもない私の本心だった。
唐突に告げられた愛の言葉を聞いて、レベッカは慈愛に満ちた表情を浮かべた。
「私もよ。愛しているわ」
頬を染めながらそう言った彼女は、すぐに私に背を向けてしまった。
それがただの照れ隠しであると知っている私は、今度こそひっそりと涙を流す。
ああ、幸せだ。
この幸せを離してなるものかと、私は最愛の妻レベッカを強く抱きしめるのだった。




