455.感動して泣きそうだ
ルシファーは驚いて目を見開いた。水没した地域の水抜きを行うため、大地に穴を開けようとしていたら妻が来た。正確には息子シャイターンと、大公ルキフェル、翡翠竜アムドゥスキアスも付いていたが。
「どうしたんだ?」
「ルシファーが泣かないように来たのよ」
「……感動して泣きそうだ」
ぎゅっと抱き締める。リリスは魔の森の化身であるリリンの娘だ。実際のところ、親子というより双子に近いのだが、中身はとにかく幼い。ルシファーはそれが当たり前と受け止めていた。
この世に生まれて僅か数十年だ。ルキフェルが一万五千年以上生きて、まだ性格に子どもっぽさを残している。二十数年生きた程度のリリスが幼いのは、極々普通の状況だった。たとえ二人の子を産んでいても、16年で成人したとしても。
魔族にとって百歳未満は幼児と同じだった。そもそもルシファー自身が八万年以上生きているのだ。数十年など誤差の範囲だった。
「これから穴を開けるの?」
「そうだ、この辺りは誰も住んでいないからな」
他種族の住居近くに穴を開ければ、水が消えても今後の崩落の対策が必要になる。森の中ならば、多少の崩落は後から対策しても大丈夫だろう。そう説明し、ルシファーは岩盤地域の森を見下ろす。
針葉樹ばかりの森は、岩肌に根が広がる。地面が硬いので、地中に潜れない根が地上を這っていた。
「岩盤を崩しても、根が崩落を食い止めそうだね」
「……通りかかりの魔獣や魔族が穴に落ちる可能性も、考慮した方がいいか」
ルキフェルとルシファーは何やら相談をはじめ、空中でリリスは翡翠竜と待機だ。落ちる心配はしないが、そろそろシャイターンが目覚める頃だった。
「ルシファー、シャイターンが起きちゃうわ。授乳したいの」
目覚めればお腹が空いたと泣くのが、赤子の仕事だ。先ほどの授乳タイミングから、時間だと判断したリリスにルシファーは慌てた。
「分かった。すぐに対策する」
まずは雷をひとつ。水の上で散ってしまい、周囲の木々が数本燃え上がった。
「ルシファー、大地に命じた方が早いって」
言いながら手本を示すように、ルキフェルが魔法陣を投げ込む。水中を抜けて、大地に張り付いた魔法陣が発動した。魔法陣と同じ大きさの穴が開く。
「あれ? 小さい」
「かなり硬そうだ」
岩盤が硬く、何度も魔法陣を投げるうちに、小さな穴が複数開いた。そこから水が地下へ落ちていく。リリスの話した通り、地下にある巨大空洞は、大量の水を受け入れて海へと流し始めた。
「大きな穴を一つより、小さな穴を複数の方が安全かも……」
知れない。続けられるはずだった言葉は、轟音に飲み込まれた。いくつも並んだ穴は、その隙間を埋めるように崩れていく。歪な形ながら、巨大な穴がひとつ……そこに大量の水が流れ込み、湖を形成した。
「ミヒャール湖みたい!」
大喜びするリリスの腕で、轟音に起こされたシャイターンがぱちくりと瞬きした。驚きすぎて泣きそびれたらしい。きょろきょろと忙しく目を動かす息子に、ルシファーが微笑んだ。
「仕事は終わりだ。帰ろうか」
「そうね。シャイターンも起きたし、授乳しなくちゃ」
手を取り合って転移する魔王夫妻を見送り、ルキフェルは呆れ顔だった。この巨大湖は海へと水を流すが、海流が逆に流れ込んでいる。おそらく湖として残るだろう。
「いつもながら、後始末がね」
「いつものことです。帰りましょう、ルキフェル大公」
「こそばゆいから大公は付けないで」
残された瑠璃竜王と翡翠竜は雑談を交わし、魔王夫妻を追って引き上げた。枯れたミヒャール湖の代わりに、この湖が観光地になるのは……僅か数ヶ月後のことだった。




