402.やれやれ歳はとりたくないものだ
出産ラッシュ、妻の懐妊、海の爵位……あれこれと指折り数えるが、ここ数ヶ月は忙しかった。正直、アスタロトが早く復帰してくれて助かっている。口うるさいが仕方ない。
戻って早々、書類の処理を言い渡されたルシファーは、執務室の机で処理を始めた。得意ではないが、嫌いと表現することもない。ただ時々面倒になって放り出すだけ。ルシファーは書類の山を黙々と切り崩した。新しく積まれる量が、以前と比べ半減している。お陰ですぐに処理は終わった。
「よし、リリスとイヴを連れて温泉へ行く」
「乱入者防止用に結界を使ってくださいね」
「ああ、そうか。結界を張ればいいのか」
アスタロトの指摘に、ぽんと手を打つ。妻の裸を誰かに見せるのは言語道断だし、可愛い娘も同様だ。よく乱入するのはベルゼビュートで、好き勝手に屋敷を利用していた。彼女の場合、妻子と遭遇しても何ら不都合はない。ルシファーが同行するから問題なのだ。
妻帯者であり愛妻家で知られる魔王が、女大公のけしからん我が侭裸体と対面する。露天風呂だからと許される話ではなかった。悪い噂はすぐ広がる。ルシファーがベルゼビュートを女として見ていなくとも、女大公が夫にベタ惚れで魔王を弟感覚で可愛がっていても。その辺は噂に押し潰されてしまう。
「分かった、気をつける」
軽い足取りで退室した魔王を見送り、アスタロトは手元の書類を束ねて箱に片付けた。彼の処理する書類もすべて決裁済みだった。魔力を遮断する箱にきちんとしまい、蓋をして安堵の息をつく。うっかり魔法を使ったり、魔力を流してしまえば仕事がやり直しだった。
身重の妻アデーレが心配なアスタロトは、そそくさと階段を降りて中庭から転移した。直後、ルシファー達も中庭経由で温泉街の屋敷へ飛ぶ。誘われたが断ったヤンは、一人を満喫していた。
「たまには一人も良い」
お気に入りのクッションは、コカトリスの羽毛が詰められている。体重をかけても破裂しないよう、オークの丈夫な腹皮を利用した。肌触りのいいカバーは、アラクネ達が編んだ絹である。豪勢なクッションをプレゼントした魔王妃に感謝しながら、ヤンは全身で寛いだ。
「ママぁ!」
「っ、ピヨか」
居留守を使いたい。だが、以前に同じことを考えて実行した結果、泣き叫んだピヨが発火する事故もあった。鳳凰種はフェンリルと相性が悪いのだ。燃やされる前に顔を見せることにした。ちらりと顔を覗かせたヤンの鼻先で、ピヨがくるりと回る。まるで踊るような仕草に微笑ましさを感じたヤンだったが、違和感を覚えて二度見した。
羽が……増えた? 老いたせいで目が霞んだのだろう。歳はとりたくないものだ。こういった症状に、治癒魔法は効くだろうか。ごしごしと目元を洗うように前脚を動かし、ヤンは溜め息を吐いた。
「やれやれ……」
「母上殿、幻覚ではございません。本当に羽が増えました」
アラエルの言葉に、もう一度じっくりピヨを観察する。本当に増えたのか? 右側の二枚の羽が別々に動いた。左側も同様で、まったく違う動きが出来るらしい。大き過ぎる前脚をそっと近づけ、爪の先でそれぞれの羽を突いてみる。
両方にピヨは反応した。つまり神経が通っていて、感覚がある!
「母上殿ではない! なんたること! 我が君にご相談しなくては」
「魔王様なら、先ほどお会いしました。まあいっかと仰って。それとピヨは褒めて欲しいので、めいっぱい褒めてください」
脳裏に浮かんだ大切な主君は、確かにそんな発言をしそうだ。というか、別件でしていた。つまり……これは夢だ。
「ピヨ、素晴らしい羽だ。増やすなど見事である。今日はアラエルと仲良く休みなさい。我は寝る」
完全に現実から逃避したフェンリルは、突き出した鼻先を引っ込めると出入り口を閉めた。明日になれば、すべて元に戻る。自分を納得させて、お気に入りのクッションに顔を埋めた。




