305.魔王夫妻のすれ違い
「ダメよ、行かせないわ」
両手を広げてルシファーの行く手を阻むリリス。反射的にその腕の中に滑り込み、抱き締め返す魔王……を後ろから突くアスタロト。
「ルシファー様、急いでください」
「分かってる!」
カオスな状況に、誰も突っ込まなかった。あまりに日常的すぎて、今更なのだ。廊下で夫婦が出会ったら抱き合うルールでも出来たのかと思うほど、ルシファーとリリスは抱き合う。いつもは挨拶が終わったら離れるのだが、今日は違っていた。
「これから仕事だ」
「こっちも緊急事態なの」
がっちりと腕を回してホールドする妻に、ルシファーは首を傾げた。朝、何か約束したか考える。特に言ってなかった気がする。とすれば、突発的な事件や事故だろう。
「何があった?」
「イヴが太ったの、それも縦と横、同時によ? せっかくの可愛いドレスが着られないわ」
緊急性の度合いはともかく、事件なのは間違いない。魔王と魔王妃の一人娘が急激に成長したらしい。横は太ったと表現できるが、縦は身長が伸びたのか。魔力の多い種族の子は、稀にこういった成長の仕方をする。一定期間全く大きくならないのに、ある日突然身長が伸びたりする事例があった。
イヴもそのタイプのようだ。実際魔力量が多いので、成長が遅くても心配していなかったが……急な成長への対応も考えておくべきだった。よりによって、忙しい時期でドレスが完成してから大きくなるとは、予想外だ。
「どのくらい成長したんだ?」
「えっとね、このくらい」
こっちが縦で、こっちが横。そう言いながら両手で大きさの変化を表す。が、リリスの表現は曖昧すぎた。
「これくらいで、こう」
まったく伝わらない。動かす手も揺れて判断が出来ないので、イヴに会いに行くことにした。場合によっては、アギトの捕獲より優先だ。ドレスを大きく直すとしたら、早く注文しないと間に合わない。
足早に私室へ入り、寝室の手前にあるリビングで遊ぶイヴを見つけた。ルシファーを見て「ぱっぱ」と声をあげる。両手を伸ばした我が子を抱き上げ、「ん」と声が漏れる。
「重くなったな」
ぱちんと頬を叩かれた。手を出したのはリリスである。
「大きくなったの! 女の子に重いは禁句よ」
「すまない。大きくなったな、イヴ」
以前リリスにも使った表現を否定され、ルシファーはすぐに言い直した。これでやり直しを図る。自身が女性ではないので、女性が嫌がる表現は彼女達の指示に従うべきだ。そう考える魔王の腕で、やや大きくなった娘は銀の瞳を瞬いた。
身長は中指ほど伸びて、体重は抱き上げてすぐわかる程度に増えた。ひと回り大きくなったと表現すれば近いか。ぽんぽんと背中を叩いてあやしながら、ルシファーは眉を寄せた。
「これは……ドレスの手直しが大変だぞ」
「ルシファー様、お急ぎください。被害が広がります」
アスタロトが急かす姿に、リリスが「何かあったのか」尋ね、アスタロトは「コカトリスの死活問題です」と端的に返した。大好物の唐揚げの原料が大事件と聞き、リリスはルシファーの腕から娘を回収する。
「ルシファー、コカトリスをお願い。唐揚げが食べたいの」
ここで言葉が足りないのは、リリスの通常運転だ。大好物のコカトリスが絶滅しないよう、しっかり手配して欲しい。未来もコカトリスの唐揚げを食べたいのだ。そう伝えたつもりの魔王妃。
「任せろ!」
しかし、魔王は別の受け取り方をした。今夜はコカトリスの唐揚げが食べたい、と。足早に中庭へ向かう魔王の後ろで、アスタロトは溜め息を吐いた。
これは乱獲されないよう、監視につかなくてはならない。残った書類は夜片付けるしかないですね。そんな部下の心境を知らず、ルシファーはアギトが最後に目撃された森の奥へ、転移魔法陣を発動させた。




