295.変色布は完成してしまった
アラクネ達は張り切った。女郎蜘蛛の手足をフル活動して特殊な艶を帯びた変色絹を織り続け、目元に隈を作って現れる。この時点で断ることが出来なくなった。ほぼ無理難題に近い変色の要望に、彼女達はことごとく応えてきたのである。
ここまで努力させておいて、今更「要らない」は言えなかった。笑顔で受け取るが、普段見慣れた紺や黒がこんなに派手だったことはない。光によって赤や青、金銀の光沢を帯びる様はとても珍しい。綺麗だと素直に思うが、それは自分が着用しない前提での感想だった。
「無理をさせた、感謝する」
ルシファーはにっこりとアラクネ達にお礼を言った。
女郎蜘蛛姿の彼女達だが、上半身は見目麗しい女性である。蜘蛛の8本脚に加え、人の両腕も備える彼女らは両手で頬を覆って「眼福」と呟いた。ちなみにアラクネは、蜘蛛部分に4個から8個の目を持っている。上半身の両眼とは違う物を見ているのだとか。魔力の大きさで蜘蛛の目の数が増えるらしい。
「いいえ。これからまだ布を織らないと足りませんし、この生地は今後の注文殺到が予想されるので、ハンカチを量産しておきたいんです」
魔王夫妻や大公、大公女までが宣伝してくれる。それは魔族にとってハンカチ程度の生地でも手に入れたいだろう。いわゆるアイドルグッズを集める感覚だ。憧れの人が身に着ける生地と同じ色が欲しい。魔族にはごく普通の感覚なので、今後に備えてハンカチ用の生地を量産するようだ。
「ハンカチサイズで満足するのか?」
「魔王様は気になさらないでしょうが、この生地とても高価なんです。ハンカチでもかなりのお値段ですよ」
アラクネは説明しながら、そっと納品予定の見積額を提示した。一人当たりの金額が、軽く通常ドレスの数倍である。思ったより高額だった。桁が違う。
「……なるほど」
「魔王城の衣装の予算は余っていますので、十分補えます」
にこにこするアラクネだが、実は彼女達はとても散財する種族だった。というのも、自らの身を守る手段をほとんど持たないのだ。戦うことは無理で、脚や体は見た目に反して脆い。糸を作り出す蚕を保護したり、その餌になる葉を養殖する作業は外注だった。
手先の器用なコボルトやエルフがよく手伝っている。それに加え、火や水への抵抗もあまりなく、ラミアのように性転換しての繁殖もないため、とにかく個体数が少なかった。魔物に襲われる可能性が高い彼女らは、護衛に巨人族やドライアドを利用している。
生きていくだけでも金のかかる彼女らは、布に関する権利を独占して得た金銭を使う。だから批判されることが少なかった。お金がかかるなら自分達の特技を生かして稼ぐ方向なので、他種族も同情こそすれ彼女らの仕事の領域に手を出さない。まあ、もし服飾に手を出しても勝てないのが重要な理由だが。
「今日はこれで失礼します。お持ちした分はサンプルなので、改善点があればご連絡ください」
そそくさと帰っていくアラクネの後ろを、デュラハンが護衛に入る。窓から見送る魔王とアスタロトは、中でサンプルを手にはしゃぐ大公女達に視線を向けた。やたら煌びやかな、あの布で作った服は遠慮したい。華美な装いを好まない二人の意見は、ぴたりと一致した。
「もう少し地味な衣装がよかったのですが」
「裏切ったのはお前だろ」
溜め息をつく側近に、ルシファーは容赦なく指摘した。義娘の笑顔に釣られ、許可を出したのはこの男だ。ベールやルキフェルも含め、オレは巻き込まれた被害者だぞ。訴えるルシファーへ、アスタロトは目元を手で覆いながら呟いた。
「分かっています。だからこそ辛いんです」
「ルーサルカに「やめる」と言ってみたらどうだ?」
「冗談でしょう? そんなことしたら、私の信用が台無しです」
「お前の信用のせいで、オレが被害を被るんだな」
「じゃあ、リリス様にそう言ってごらんなさい」
「ぐっ……」
結局似た者同士の二人は、それ以降、余計な口を開かなかった。




