286.育児論から始まる出産率の上昇
「育児に関する本の出版?」
イザヤが問屋から相談された案件は、作家である彼へのオファーではなかった。魔王ルシファーと親しい日本人なら、話を持ち込めると踏んだ商人の知恵である。知り合いの知り合いは、顔を知らなくても俺の知り合い。そんな商人ルールに取り込まれ、魔王城でイザヤは顔を合わせたルシファーへ話を持ち掛けた。
「本……」
出版経験はある。8万年も魔族の頂点に君臨すれば、様々な本の出版が行われた。魔族にとって本は高価な品物だ。特に10年に一冊発行される「魔王史」は絶賛好評中であり、続刊が待たれるベストセラーだった。どの種族も大抵揃えており、貴族の中には魔王史を同族に貸し出す者もいる。
高額な本なので、魔王城の一角に無料で読める図書館も作られ並んでいた。過去に育児の本を集めて読んだ記憶はあるが、ルシファー自身は発行していない。
「何を書けばいいんだ?」
育児書にある通り育てただけだぞ? 心底不思議そうに首を傾げるルシファーは、リリスを育てた自覚がない。というより、愛すべき伴侶をひたすら愛でただけ。時折彼女が脱線しそうになると軌道修正したくらいで、育児ではないと考えていた。
「リリス妃を育てた経験が記された本を、民が望んでいるそうです」
「ああ、なるほど。それなら書くことはないな」
あっさり断られ、イザヤは驚く。というか、魔王妃を育てた功績を隠すタイプには見えなかった。ならば、別の原因があるだろう。食い下がった彼が聞きだした内容は、日本人であるイザヤにとって意外な考え方だった。
育児書を読んでリリスを育てたので、知りたければその本を読めばいい。愛しい伴侶を可愛く着飾る内容なら、多少書けるかも知れない。周囲がいろいろ手助けしてくれた結果なので、自分の名で出版するのは間違ってる。各種族で育て方が違うため、魔王がそういった本を発行する弊害も懸念していた。
「育て方が違うのですか?」
「全然違うな。リリスは背に翼があるが、普段は空を飛ばない。そのリリスを同じように抱き上げて育てたら、ドラゴンやハルピュイアの子は飛べなくなるぞ。それに角や牙がある種族の子は、その扱いも覚える必要がある。精霊のように半透明なら育て方も違うだろうし……蜘蛛の子と植物であるアルラウネでは、食べ物や眠る時間帯も正反対だ。千差万別、育て方に正解などない」
説明されて納得する反面、今聞いた内容の深さに唸る。いっそ、これをそのまま本にしたら、売れるのではないか? イザヤはそう感じた。
「リリスの子であるイヴですら、全く違う能力や性格なんだ。同じ子育てなんて出来ないさ」
からりと明るく笑う魔王に、イザヤは深く影響された。その後の彼の作品は深読みできる部分が増え、徐々に難解さも加わっていくのだが……不思議と魔族の読者は付いて来る。どうやら一作品ごとに深まっていく考察を読み解く集まりも出来たようで。
魔王様の教育論は、イザヤのメモの中に残された。それから数百年後に発見され、忘備録として発行されることなど知る由もない。
「魔王様、今度討論会をしませんか」
「議題を決めて話し合う、あれか。いいんじゃないか? ベールに提案しておく」
実現した討論会の議題は子どもの教育について……ではなく、まさかの「異種族間における求愛方法について」だった。議題は複数検討され、参加者の投票で決まる。ちょうど異種族間の恋愛問題が噂になっていたこともあり、深く熱く議論は繰り広げられた。
もちろん正解が出ることはない。しかし議論が行われた事実や内容を知った民の間で話が過熱し、しばらくは異種族結婚が大いに世間を賑わせた。
「まあ、私達も異種族結婚だもの」
魔王妃リリスが肯定したことで、さらに異種族結婚が増え……魔族の出生率は急激に右肩上がりとなったらしい。




