241.そなたしかいない、の絶大な効果
「あたくしだけ呼ばれなかったのですね」
ぷんと頬を膨らませて怒るのは、ベルゼビュートだ。夫エリゴスや息子ジルと一緒に外回りをしている間に、戦艦のお披露目やら蟹パーティーが開かれ、さらにカキによる集団食中毒も起きた。忘れられたと気分を悪くするのも当然だった。彼女だって大公の一人なのだから。
「悪かった。ベルゼを呼ばなかったのではなく、安全を確保してから来て欲しかったのだ。今回の集団食中毒でオレや大公達が倒れたら、治療や城を任せられるのは、そなたしかいないからな」
にっこりと笑顔で誑かす。作った原稿を後ろから吹き込んで喋らせるアスタロトも、にっこり笑って付け加えた。
「ええ、その場合ベルゼビュートしか頼れませんね」
「め、珍しいこと言うのね、いいわ。許してあげる」
動揺したベルゼビュートは「お前しか頼りにならない」と褒められご満悦だった。だが原稿を作ったアスタロトの意図は「ほかに誰もいなければ、お前しか選択肢がない」という意味で使った。真意を知らなければ、どちらも幸せになれるセリフだ。
「ベルゼ姉さん、一緒にお茶しましょう」
後ろめたいのは、ルシファー達だけではない。リリスや大公女も「忘れていた」事実を誤魔化そうと、お茶会の誘いをかける。ちらりとエリゴスに視線をくれた後、ベルゼビュートは頷いた。
「分かったわ、行きましょう」
ご機嫌でリリスと手を繋ぎ、ジルを夫に預けて去っていく。彼女の後ろ姿が見えなくなったところで、ルシファーはもう一度謝った。
「本当に悪かった。ちょっと忙しくて」
「いいえ、私は事情を理解しているので平気ですよ」
人型のエリゴスは、息子ジルの灰色の髪を撫でた。むっとした顔で指を咥えているが、機嫌が悪いわけではない。その視線はじっとリリス達が向かった先へ固定されていた。
「母親が恋しいのか」
「たぶん……イヴ様を視線で追ったのかと」
言いづらそうにしながらも、嘘が付けない男エリゴスはぼそぼそと事実を話した。何度か保育所で一緒になるうちに、イヴと仲良くなったジルは、また彼女と遊びたかったのだろう。しかしリリスに抱かれてイヴは去ってしまった。がっかりしたらしい。
指を咥えていたのは、その抗議に近い。ルシファーは顔を近づけると、まだ2歳前後の男児に凄んだ。
「いいか。イヴを口説きたければ、オレを倒してからにしろ。全力で相手をしてやる」
「何を馬鹿なことを……私やベールでも勝てないではありませんか」
呆れ顔でぽかりと魔王の頭を叩くアスタロトへ、ルシファーは怖い形相で振り返った。
「お前、まさか19人目の妻にイヴを狙ってるのか? 絶対に許さんぞ!!」
「……話を聞いてましたか? 事実確認をしただけで、私がイヴ姫を妻にする話ではなかったでしょう」
通常で考えても、19人目の妻という単語は異常だ。長寿で8万歳以上の年齢を考慮しても、なかなかに強烈な響きだった。
「蟹の魔法陣、売れているようです。ルキフェルが改良したそうで、果物の皮むきにも活用しています」
睨む上司の意識を逸らすために、別の話題を取り上げる。まだ胡乱げな眼差しは健在だが、ルシファーは話に乗ってきた。
「改良したなら、他の生き物にも使えるんじゃないか? 魚の鱗取りとか」
一般的な事例を挙げたルシファーに、ふわりと舞い降りたルキフェルが口を挟む。
「ねえ、ルシファー。これ、改良したら凄いんだよ」
話題の魔法陣を持ち出し、栗の皮むきが出来たと喜ぶルキフェル。水色の髪を揺らして、興奮気味に成功事例を口にした。その中に、思わぬ生き物が紛れていた。
「ウミヘビ?」
「うん、皮を剥いて焼いたら美味しかったってさ。ぴりっと毒が効いててツマミに最適って……」
青ざめたルシファーの顔色に、首を傾げたルキフェルは気づいて口を手で押さえた。だが零れてしまった言葉は取り消せない。ウミヘビを分離した。それは過去のトラウマを呼び起こしたらしい。二度とあの皮むき魔法陣は使わないと決めたとか。
「分離魔法と皮むき魔法ではかなり性質が違うんだけどね」
残念そうにルキフェルは呟いた。




