10話
ダンジョン、「深緑の庭」へは最寄りの街である、アレクの街までそれぞれの馬車で行くことになっている。
俺は護衛として参加するので、先に一人だけでアレクの街まで行くということはできない。詳細はまだ連絡されてはいないが、休日明けにはラズリーから行きの馬車について案内があるだろう。
エルドリアからアレクの街までは、そこまで遠くはない。朝早くに出発すれば、きっと夜前には到着するはずだ。
「確か、ダンジョン探索は二日に分けて行う予定だったよな?」
問題のイベントが起きるのは二日目である。初日は第一階層を少し探索する程度で切り上げるからである。
そのため、初日の探索が終わり、二日目の探索が始まるまで少し時間がある。護衛の任務も夕食が終われば、自由時間になるはずだ。
「つまり、夜に予め一人でダンジョンを潜ることになるな。」
念のため蛍石は持ってきているが、実は深緑の庭には発光草という植物が生えており、昼夜問わず明るい。夜でも探索そのものは問題なくできるだろう。
今回出てくるゴブリンが原作のゴブリン程度の実力であれば、問題なく倒すことができると思う。しかし、俺はこちらの世界で実際にゴブリンと相対したことがないので過信は禁物だ。
そして、何よりもイベントが発生する場所までの道はうろ覚えであるので、一日目でおおまかな場所を把握しておく必要がある。
「っと。集中、集中。」
いつの間にか手に集めていた闘気が霧散していた。魔力は他のことを考えながらでもある程度自在にコントロールできるが、闘気はまだまだそういうわけにはいかない。
瞑想で少しコツを掴んだので、今度は開眼した状態で闘気の流れを把握してみようと鍛錬を行っているが、これがどうして難しい。
目標はあの蛇が用意した岩を拳で砕くことだが、まだまだ道のりは長そうだ。
魔力の方は、例えば講義を受けながら魔力集中を行ったり、ランニングを行いながら魔力集中を行ったりと、他の何かを行いながら魔力集中を行う鍛錬をしていて、実際にその方法が役立った。
しかし、闘気の場合は、魔力の様にはいかない。集中を途切れさせると、せっかく集中させた闘気の流れがどこかにいってしまうのである。
「だが、戦闘をする際には、無意識でも使用できていたはずなんだよな。」
―その違いは?
何度か闘気を集中させる鍛錬を行う中で気が付いたことがある。それは、この闘気を鍛錬するには集中力が必要ということ。
いや、当り前だろうというかもしれないが、例えば、講義を聞いたり、ランニングを行ったりする場合は、常に目の前の講義やランニングに集中しているわけではない。そういった場合、ある程度自分の集中力には波があるものだ。魔力の場合は、そのような波がある中でも、自身の魔力をコントロールできるという状態にすることが重要であった。
しかし、闘気の場合は、それを発動させるためには、自身の集中力が研ぎ澄まされていることが前提になる。これまで実戦でのみ闘気を発することができたのはおそらくはそういう理由のためだろう。実戦では、この集中力を研ぎ澄ますと言うことが自然にできていたということ。
特に、より強力な相手であればあるほど、自身の集中力を研ぎ澄ますことが必要である。そうでしなければ相手を打倒することができないことなど言うまでもない。
他の例としては、瞑想をするにしても、集中力を研ぎ澄ますことで初めて、闘気の流れを感じることができる。すなわち、闘気を鍛えるために必要なことは、魔力を鍛えるために行った鍛錬のやり方や工夫といったものではなく、純粋に自分自身の集中力を鍛える行為に他ならない。
改めて意識してみると、どのようにして闘気を鍛えていくべきか、自分の中ではっきりとしてくる。
ハーヴェルやプリムやアイリス、そしてセフィリアやラズリーに負けないようにしなければならないといった漠然とした焦りがあったが。
「―やはり俺はまだまだ強くなることができるではないか。」
俺は人知れず、ニヤリと笑うのだった。




