seek[6]>>"待つものたちと行くものたち<中編>1";
SAVRでは、ゲームを始めるときに、どの街でスタートするかを選ぶことができる。
一つは俺たちがやってきた街、ウォータ国の首都ウォータ。そしてもう一つが、グランデの首都グランディアだ。
ウォータとグランデは海によって隔てられており、相当レベルを上げないと渡ることができない。海を渡ることができるほどのレベルになると、初期イベントをプレイしても大したメリットはないので、俺も面白半分にいくつかプレイした程度でしかない。
だが、SAVRの攻略情報を書き込む掲示板群はまめにチェックしていたので、グランデでゲームを始めるとどんなイベントが起きるのかはだいたい知っていた。
グランデでプレイを開始すると、初心者クエストを経て冒険者ギルドに所属し、軍からの依頼を引き受けてレベルを上げていく。
この辺りはウォータと同じなのだが、グランデ政府は冒険者を見下しており、グランデの民は冒険者を政府の犬だと軽蔑していて、総合的に非常に扱いが悪い。どのくらい扱いが悪いかというと、道を歩いてすれ違ったときに唾を吐かれるほどに悪い。
天候はいいが街並みは素朴なウォータに対し、グランデは古色蒼然としていかにもファンタジー世界といった雰囲気、文明も数百年ほど先んじている感じで、商店に出ているアイテムもウォータより断然良いものが揃っているのだが、冒険者相手だと、店に入ってもまともに物を売ってもらえないことすらある。
あまりの扱いの悪さに、オープンから間もなくして攻略掲示板ではグランデの評価が急落、アカウントを作り直してウォータでやり直す者や、ゲーム自体をやめてしまう者まで出てくる騒ぎになったものだ。
そんなわけで、冒険者の溜まり場である酒場でも店員は愛想がなく、居座ろうとすると追い出されたりするのだが、あるクエストをクリアしたときに、「あの酒場で蒸留酒を注文してみろ、ただしこういう言い方でだ」と言われる。
これを教えてくれるのが、ウォータでいえばマイケル的な立ち位置のNPCなのだが、これまたマイケルのように親切ではなく、ちょいちょい嫌味を言いながら絡んでくる。ただ、台詞の中に重大なヒントが隠れていることがあり、これもそのひとつだった。
言われた通りのやりかたで蒸留酒を注文すると、「それは別の部屋で出そう」と言われ、地下に案内される。
そこには数人の屈強な男たちと、少女めいた美貌の少年がいる。少年はグランデの第二王子ボー=コーミーだと名乗り、実はこの酒場はグランデに潜伏するレジスタンス組織の拠点なのだと明かす。
第二王子は熱を込めて語る。
グランデ政府は腐敗しており、賄賂や横領が横行している。役人にはやる気がなく、私腹を肥やすことにしか興味がない。
オーガ帝国と戦争をしているように見えるグランデだが、実はグランデ王はオーガ帝国と裏取引をしている。オーガ帝国と真っ向から対立していた先王は武力で廃され、現王、ボー=ミーグエンは、物資や生贄を差し出して、帝国との戦いを小競り合いに留め、見た目だけの交戦状態を維持している。この物資を徴収するためにグランデでは増税を重ねており、国民は困窮している。
第一王子ボー=クァンミーはそんな王を見限ったのか出奔し、現在の王位継承の筆頭は第二王子たる自分であるが、このように汚れた王座を引き継ぐことはできない。
オーガにおもねって国を傾ける政府を許すことはできない、と立ち上がったのがこのレジスタンスであり、我々は必ずグランデをあるべき姿に戻してみせる、国を救うためにぜひ力を貸してほしい、と第二王子は言い、承諾するとこれ以降、レジスタンスからの依頼を受けることができるようになる。
この第二王子が、なかなかの有名キャラというか、しばしばネタにされるNPCのひとりだった。
黒髪に褐色の肌の少女と見紛うような美貌と、どことなく甘えたような口調が、「母性本能を刺激する」と女性プレイヤーを中心に人気を呼んだのも事実なのだが、ネタにされるのは、それだけが理由ではない。
この第二王子は、やたらと「兄上」の話をしたがるのだ。
序盤の間は、第二王子はだいたいレジスタンスの拠点にいて、《プレイヤー》は第二王子から依頼を受けるのだが、何の話をしていても、二言目には「そういえば兄上は」と言い出す。
場所の説明をすれば、
「この場所は兄上と行ったことがあるんだ」
地域の特産物の話になると、
「この果物は兄上の好物なのだが」
標的の話をすれば、
「兄上ならあんな魔物はあっという間に倒してしまうのだが」
褒めるときは、
「きみは強いね! ちょっと兄上のようだ!」
一事が万事この調子なのだ。
第二王子に会うあたりまでは俺も実際にプレイしたことがあるのだが、「兄上が」と語るときの第二王子の目は輝き頰は紅潮し、まるで恋する乙女のようで、こいつどれだけ兄貴のこと好きなんだ、と呆れたものだった。
何かにつけて持ち出されるのに、肝心の兄上はゲーム中には登場しなかったので、どんな人物なんだろうと多少の興味はあったのだが。
(あの「兄上」はこういう奴だったのか……)
気づかぬうちに、俺は王子の後ろ姿を凝視していたらしい。
視線を感じたのか、王子が振り返った。日除けの布が翻る。
「どうしたんだい、カツミ? 僕に見とれていたのかな?」
大仰な仕草で手を広げながら問いかける。
「え、あ、別に」
「照れることはないさ! 前にも言ったけれど、僕の姿は大地に生み出された奇蹟のようなものなのだからね! 見とれてしまうのも無理はない!」
何度言われても慣れない。なんなんだ、このポジティブさと押しの強さは。
マウンテを出て、数日が経っていた。俺たちと王子たちの一行は、山のさらに奥深くを目指して進んでいた。
たまに魔物に出くわすものの、先日までのような凄まじい百鬼夜行には遭遇していない。また、一緒にいる面子が手練ればかりなので、それほど心配もいらない。ピクニック気分の平穏な旅が続いていた。
「馬鹿ばっかり言うのもいい加減にしてよね。それよりそろそろ休憩の時間じゃないの」
言葉を失った俺の上に、冷たい声が降ってきた。蝙蝠少女のキキが、俺たちのすぐ上方にまで降りてきている。
「ああ、そうだね、ありがとう! あの木のあたりで休むとしよう!」
一向に堪える様子もなく、王子はさわやかな笑顔で応じた。
王子が指し示した木の下に、一足早くキキが舞い降りた。スカンタに騎乗したサヤがそれに続く。
当初、 サヤは俺と一緒に歩いていたのだが、やはり体力が違う。どうしても遅れがちになるサヤにキキが喧嘩を吹っかけ、挑発されたサヤがスカンタで追いかけて、いつの間にやら、男は徒歩、女性陣は飛行という形に落ち着いた。もしかしてサヤを気遣ってくれたのだろうかとも思うのだが、本気で腹を立てていたようにも見える。どうもキキの考えていることはよく分からない。
木陰に荷物を下ろし、思い思いの場所に座って、各自持参の軽食を取る。俺とサヤの食事は、干し肉、干した果物、ビスケットなどだ。
「いい匂いがするのです!」
さあ食べよう、というところで、ディーが這い出してきた。こんな乾物ばかりの食事でいい匂いも何もないと思うのだが、どうして分かるのか。
「やあ、かわいいお嬢さんのお目覚めだね!」
王子はいつもの調子でディーに声をかけ、キキはちらりと視線だけをやって、そのまま平然と食事を続けている。
そして狼は、
「あ、アタシちょっとお花を摘んでくるわね……」
あからさまに不審な様子でそそくさと森へ姿を消した。
そう、この面子には、なぜかディーが見えているのだった。
旅の初日、やはりこうして食事を取ろうとしたときにディーが出てきた。三人はディーを明らかに認識していながらそれぞれに大して驚きもせず、むしろ俺とサヤのほうが驚いた。
人目を気にせずディーと話せるという点では助かったのだが、狼はなぜかディーが苦手なようで、ディーが出てくるとこうして俺たちから距離を取るのだった。
申し訳ない気もするのだが、「彼女は気紛れだからね、好きにさせてあげるのがいいのさ!」と王子が言うので、なんとなく俺たちもディーが出てくるに任せている。まあ、基本的に食事のときにしか出てこないというのもある。
なぜ彼らにディーの姿が見えるのかは分かっていない。フェンならば分かるのかもしれないが、さすがにフェンとゆっくり話をするような機会は得られていなかった。
ディーに横取りされながら、軽食を腹におさめる。
食べるものは十分あるし、水波能売命石のおかげで飲み水にも不自由しないが、そろそろ水分の多い、あったかいものが恋しい。
マイケルの料理が食べたいな。そう思って顔をあげると、サヤと目が合った。
「お兄様のシチューが食べたいですね」
干し肉を睨みながら言う。
「会ったら作ってもらおうよ」
異国に上陸したウォータの軍人に料理をしている暇があるのかどうか知らないが、ぜひ作っていただきたい。
ウォータ軍はもうグランデに着いたのだろうか。グランディアに行けばそのうち会えるのだろうと勝手に思っていたが、そもそも俺がグランディアにいつたどり着くのかすら定かでない現状だ。
そういえば俺には、グランディアでしなければならないことがあったのではないか。
ふと思い出して、俺は今更ながらに焦りをおぼえた。
ウォータ軍御一行様は目立つだろうし噂も聞くだろうからどうにでも探しようがあるが、対オーガの同盟がそう堂々と居場所を明らかにするものだろうか。首脳会議みたいに大体的にやってくれるならいいが、それだって俺が潜り込むのは至難の技だし、密談だったらお手上げだ。
(気軽に押しつけてくれるよな……)
心中で水神に文句を言う。
どうしたらいいんだ。グランディアに着いたら、グランデ政府の内情に詳しい人間に当たりをつけて、どうにか会談の場にもぐりこむしかない。
しかし、そもそも俺にとってグランデはアウェーなのだ。そうそう心当たりの人間なんているわけがない。
と思ったところで、ふと気がついた。いるじゃないか。目の前に。グランデ政府の内情に詳しい人間が。
どうやって探りを入れようかと考えてはみたものの、俺には頭脳戦は無理だ。真っ向から聞いてみることにする。
「クァンミーはさ、グランデでヒトと鳥人とデモン族が、対オーガの同盟を結ぶって話、聞いたことある?」
俺の問いに王子は顔を上げ、さわやかに笑ってみせた。
「さあ、聞いたことがないな」
はぐらかされたか? と思ったところで、王子が俺の顔をのぞきこんだ。
「というか、僕はカツミがどうしてそんなことを考えたのか、少々気になるな」
きょとんとする俺に、王子はまたさわやかに微笑みかけた。
「僕は、グランデでヒトとハーピーとデモン族が同盟を結ぶという話は聞いたことがない。他にも聞いたことのある者はいないだろう。なぜなら、そんなことはありえないからだね」
「「えっ」」
期せずして、サヤと声が揃ってしまった。
輝かしい笑顔はそのままに、王子は続ける。
「ハーピーとデモン族は、ヒトのことを対等な相手だと見なしていない。ハーピーとデモンも決して友好的な間柄とは言えないが、ヒトについてはそれ以前の問題なのだね」
そういえば、そんな設定があったかもしれない。俺はぼんやり思い出す。
ウォータでも、ヒトはマーマンに対して圧倒的に格下の存在という話だった。ゲーム内ではその設定が生きてくる場面はなかったし、中級以上では魚人をがんがん倒してレベル上げをしていたので、実感がなかった。
だが、俺は確かに水神にそう頼まれたし、だいたい、あの場にはフェンもいたのだ。もし同盟が存在しえないものだったとしたら、フェンが止めたのではないだろうか。
「でも、水神様が」
同じことを考えたらしいサヤがそう口走り、慌てたように口をつぐんだ。
「なるほど、水神殿の思いつきというわけだね。それなら理解できなくもないな!」
俺とサヤは首をかしげた。
「マーマンはヒトを格下の存在だとみなしているが、共に水神を信仰しているから、水神の命があれば協力することもやぶさかではない。実際、過去にはそういうこともあったと僕は聞いている」
そうなのか。俺は初耳だが、サヤはこくこくと頷いているので、ウォータでは有名な話なのだろう。
「だが、デモン族とグランデの民はそうではないのだね。どちらも土神を信仰しているが、互いに関わることはない。土神がそう働きかけることもない。同じ神を信仰しているが、別の宗教だと言っても過言ではないくらいだね。
そして風神を信じる鳥人は、何かに縛られることのない種族だ。他の民と共闘することなどないだろう」
王子の口調は相変わらず大仰で身振りも派手だったが、言うことは不思議なくらい素直に腑に落ちた。
「じゃあ、どうして水神様は、あんなことをおっしゃったのかしら……」
サヤが呟く。
「おや、サヤは不思議に思うのかい? 聡明な僕には分からないでもないよ!」
さすがにこれはうさんくさい。俺は胡乱な目を向けた。
「水神殿がどうしてそんなありえないことを思いついたのか。それは、実際にデモン族と鳥人とグランデの民とが手を結び、その噂が流れていったからじゃないのかな?」
「だって、それはありえないんだろ?」
俺が問い返すと、王子は両手を広げ、謎のポーズを取った。
「国として、種族としてならありえない。
だけど、考えてもみたまえよ。いまここで、デモン族の王位継承者、風神の巫女、そしてグランデ国第一王子の僕が行動を共にしている。
僕らは国の代表者ではなく、個人としてたまたま一緒に動いているわけだが、この状況を見た人が、三つの種族が手を結んだと誤解したとしても、僕は驚かないね!」
……確かに。狼の立ち位置はよくわからないが、王子が国を出奔してふらふらしているのがそもそも不思議な立場だし、キキだって風神の巫女だ。そんな立場のやつらがたまたま行動を共にしているというよりは、それぞれの種族の使命を受けて共闘していると思うほうが自然だろう。
「そうだったの……」
サヤが小さくため息をついた。
「サヤはどうしてそんなに残念そうにしているんだい?」
面白そうに言う王子を、サヤがきっと睨む。
「私たち、水神様に同盟に加わるように言われていたのだもの。残念でないわけないでしょう」
異種族間同盟に加わってくれという水神の頼みは、ウォータを救うための数少ない希望だったのだ。
俺たちに何ができたかは分からないが、そもそも同盟自体が存在していなかったと言われたら、途方にくれる。
しかしサヤは王子にはわりと強気に出るんだな、と思っていたら、王子が軽快な笑い声をあげた。サヤの顔がさらに険しくなる。
「オーガに抗するために異種族が手を結ぶ。その中に加わるように言われてきたのだったら、現にいま、そうなっているんじゃないのかな?」
「あ……」
「僕たちは同盟を結んでいるわけではないのだけどね、オーク帝国と戦うという目的が合致しているので、その間は行動を共にしている。その僕らに力を貸してくれているのだから、これは水神殿の意図していた状態とほぼ同じなのではないかな?」
「……っ」
サヤは不本意そうな顔をしていたが、確かに王子の言うとおりだ。
会議の場を突き止めて潜入して、その場でウォータを同盟に加えてもらうよう頼み込むなんて大変そうなことをせずとも、この状態でいいというのは大変に助かる。
もしかして、フェンが何も言わなかったのも、それが分かっていたからなのかもしれない。
「でも、あなたが知らないだけで、実はグランデ王も、密かに鳥人やデモン族と同盟を結ぼうとしてるって可能性はないんですか?」
サヤが言い募る。食い下がるな。水神から頼まれたことだから気負っているのか。俺としては、現状このままでいいと言われたほうが気楽なんだが。
それにしてもまたあの調子で煙に巻かれるのだろうに、ある意味果敢なことだ。
……と思ったのだが、予想に反して王子は何も言わず、ただ微笑んで目をそらした。らしくない態度に、どきりとする。
「さて、そろそろ出発する頃合いじゃないかな。僕は彼女を探してくるよ」
王子はそう言って糧食の残りを袋にしまうと、狼が消えていったほうへ踏み込んでいった。
「あ……」
サヤが当惑したような声をもらす。確かにサヤがやたら絡んでいたのは否定しないが、王子のキャラクターからして、何を言っても柳に風で受け流すだろうと思うのも無理はない。
「グランデ王が他の種族と同盟を結ぶことはありえない。あるとしたら、レジスタンスの方だわね」
そこまで傍観者を決め込んでいたキキが、ちらりと俺たちを見やると、静かな声で言った。
サヤはわけが分からなかったようだが、俺ははっとした。思い当たることがあった。
俺の様子を見て、キキが小さく笑った。
「そう、思ったほど間抜けじゃないのね。……知ってるのなら、その子にも教えてあげて。知らなくて当然だから怒ったりしないでしょうけど、まだしばらく顔を突き合わせるのに、面倒な思いをしたくないのよ」
そう言うとキキは視線を逸らし、黒いスカートをはたいて身支度を整え始めた。
「カツミ……」
「大丈夫。後で話すから」
不安げなサヤを安心させるようにうなずくと、俺も食料を袋にしまい、ついでにいつの間にか寝こけていたディーを懐に放り込み、出立の準備を始めた。
ゲームでの話。
レジスタンスへの協力を承諾して地下室を出ると、街の住人の態度が激変する。
それまで野良犬か何かのように扱われていたのに、店に入ると挨拶される、食堂で注文したいつもと同じ料理が、明らかにいつもよりよい素材になっている、武器屋や道具屋にはいままで見たことのない品物が並ぶ。警戒していてもスリに遭っていたのに、まったく被害に遭わないどころか、道行く人がアイテムをくれたりする。
あまりの扱いの差と情報の早さにうすら寒くなるが、つまり街の住人はほぼ全てがレジスタンスの人間なのだと知る。
レジスタンスの依頼は、金銭的報酬は非常に少ない。なので、平行して軍の依頼も受け続ける(レジスタンス側もそれを勧めてくる)。
レジスタンスでは、少ない報酬の代わりに様々な情報を与えてくれる。この情報を利用して軍の依頼をクリアしていくと、次第に軍の上層部に認められるようになり、軍や政府の中枢に近い人間と接するようになる。
そうなると、いままで見えなかったものが見えてくる。
確かにグランデ政府は全体として腐敗しているのだが、上層部の人間はそうではない。むしろ非常に優秀な切れ者揃いだ。国のそこら中で行われている不正に気づいていないわけでもなさそうだ。
ではなぜ、無能な役人たちを、分かっていながら放置しているのか。
やがてゲームが進み、プレイヤーはグランデ政府の意図を知ることになる。
グランデ国王、ボー=ミーグエンは、若かりし頃はグランデ一の呼び名も高い猛将だった。よく兵に慕われ、自ら陣頭に立って兵を率いていた。
だが、自ら最前線に立ったある戦いで、ミーグエンはオーガ軍とグランデ軍との圧倒的な戦力差を目の当たりにし、絶望する。
真っ向から戦ったところで、到底勝てる相手ではない。このままではグランデは滅びるしかない。
ならば自分は、グランデが生き延びる道を取る。
そう決意したミーグエンは、父王を弑して王位につく。そうして、表向きはオーガ軍と戦争をしながら、裏では物資を横流しし、奴隷を送る。オーク帝国にとって、生かしておいたほうが価値のある餌であろうとするのだ。
帝国に送る物資のために増税を繰り返し、国民が生活苦に喘いでも、ミーグエンの意志は揺るがない。
「清廉なまま滅びる国よりは、汚れても生き延びる国のほうがよかろうよ」
そううそぶきながら、しかしミーグエンはレジスタンスの存在を放置している。クァンミーが出奔した後、王位の筆頭継承者であるコーミーがレジスタンスに関与するのを止める気配もない。
つまりミーグエンは時間稼ぎをしているのだ。
グランデ国内にオーガ帝国に対抗しうる力が育つまでの時間を稼ぎ、レジスタンスが蜂起したときには、すべての罪を背負って倒されるつもりでいる。そのために、敢えて無能な人間ばかりを役人に残し、優秀な人材はレジスタンスに加わるような流れを作っている。
そのことに気づいているのは、王の周りのごく少数の有能な官吏だけだ。
グランデの現状を良しとせず、レジスタンスに身を投じたコーミー。
生き延びるために悪役となり、最後には息子に討たれんとしているミーグエン。
クァンミーはグランデの現状を良しとせず、レジスタンスに身を投じた。
ミーグエンは生き延びるために悪役となり、最後には息子に討たれんとしている。
では、クァンミーはいったい何を思って国を出たのか。いまどこで何をしているのか。
ひどく意味ありげに存在を匂わされながら、だが結局、俺のプレイしている間にクァンミーが姿を現すことはついになく、その心中が語られることもなかったのだった。
王子が狼を連れて戻り、さあ出発というところで、俺は「スカンタが拗ねているから」と理由をつけて、サヤと二人での別行動を申し出た。
キキや狼も時折一行から離れていたので、特別なことというわけでもない。あっさり承諾され、だいたいの行き先だけ聞いて、俺たちはスカンタに騎乗した。ディーは腹いっぱい食べて満足したのか、微妙な空気に気づく様子もなく寝こけていたので、懐に放り込んで出立した。
スカンタの背で、俺はサヤに、グランデのお国事情について、知っていることをかいつまんで話して聞かせた。
空に上がってしばらくすると、行く手を灰色の雲が取り巻きはじめた。スカンタに騎乗していれば暑さ寒さを感じることはないのだが、雰囲気が暗くなるのはいたしかたない。
「王子がなんで国を出たのかは分からないけど、王に対する反発はもちろんあったんだろうと思う。
だけど、クァンミーが国を出たとき、レジスタンス自体はもう存在していたんだ。普通に考えたらいちばん有力な勢力に身を寄せずに、一人で、デモン族や鳥人たちと行動してるってことは、お父さんの思惑も全部分かってて、親子で戦う道を取りたくなかったのかなって思うんだよね」
というのは、実は攻略掲示板の考察班の間で通説とされていた見解だ。デモン族と鳥人と一緒に動いていることまではさすがに分からないが、クァンミーがレジスタンスに入らなかった理由としていちばん支持されていた説だった。
「でも結局、グランデ国内では、弟が父親を倒すために動いてるわけで……お父さんのほうは納得ずくとはいえ、気持ちいいものじゃないし、クァンミーとしてはもどかしいんじゃないかな。勝手な想像だけど」
俺が付け加えると、サヤはしばらく考え込んで、ぽつりとつぶやいた。
「謝ってすむようなことじゃないですよね……」
「謝られたくもないんじゃないかな。サヤが悪いこと言ったわけじゃないし、クァンミーも怒ったんじゃないと思う。ただ、実際そうだけど言われると痛いことってあるじゃない、やっぱり。それだけ分かってればいいんじゃ……キキもそんな感じのこと言ってたし」
「そうですよね……」
サヤはしばらくうつむいていたが、つと顔を上げ、独り言のように語り始めた。
「……あの人たち、腹立つことも言うけど、私が水の巫女だって分かってても、持ち上げたり、遠巻きにしたりしなくて……カツミ以外にそんな風に接してくれる人、もういないんじゃないかなって思ってたから……全然、仲良しになるような関係じゃないんですけど、普通にしてくれる人は大事にしたいし……傷つくようなこと言っておいて厚かましいんですけど……これからも、普通にしてもらえたらいいなって……」
そうか。水神の巫女として崇められるようになって、サヤにはもう普通に接してくれる人がいなくなったのだ。
もともとハーフエルフとして忌まれ、友達の少ないサヤに、隔てなく付き合ってくれたのはルサ=ルカの部隊の人間くらいだが、相当恐れ知らずの彼らもウォータの軍人で、水の巫女に対しては礼を取らざるをえない。
だが、あの三人は、それぞれ自分が国の要人だからか、自分たちの実力に自信があるからか、サヤが水の巫女であることを知っていながら、そういった遠慮が一切なかった。それがサヤには嬉しかったのだろう。
そんなことを思っていたら、サヤがいきなり振り向いて、俺をひたと見据えた。
「でも、カツミはどうしてそんなにグランデのことに詳しいのですか」
「えっ」
……確かに、グランデ王家のここまで突っ込んだお家事情なんて、普通の冒険者では知り得ない話だろう。
いったいどうごまかしたら……と考えて、ふと、ごまかさなくてもいいんじゃないのかと思った。
いつかはサヤに言わなければならないと思っていた話だ。二人でゆっくり話す機会がなくて、と先延ばしにしていたが、それなら今しかないんじゃないのか。
信じてもらえるかどうかは分からないけれど。
「それは……俺がこの世界の人間じゃないから、それで、この世界に来る前に、この世界の未来を見たから、かな……」
どう言葉にしたものか分からなくて、考え考え口にする俺に、サヤは静かな目を向けた。
「それが、《プレイヤー》?」
サヤの口からその単語が出たことに、どきりとする。
だが、本当は驚くことじゃない。だって、フェンは水神にその話をしたじゃないか。そう、水の神殿の遺跡で、俺がアルミュスを手に入れたあのときに。
「《プレイヤー》は、元いた世界の人間が、この世界にやってくるときの呼び名かな。俺が元いた世界には、この世界によく似た遊び場があって、俺はその中でずっと遊んでた。その中で、グランデのレジスタンスだったことがあるんだよね」
語りながら、サヤが本当に聞きたいのはそのことではないのだと分かる。
そう、サヤはずっと知っていた。知っていて、俺が話すのを待っていてくれたんだ。
「……ごめん」
つぶやいた俺を、サヤが見つめ返す。
「何のごめんなのですか」
「サヤに、いろんなことをちゃんと話さなかったこと」
「いろんなこと、って?」
サヤの目は揺るがず、ひたと俺を見据えている。
「俺がこの世界の人間じゃないこととか、ディーの中にリゥ将軍の半身がいて、俺にいろんなことを教えてくれてることとか」
「…………」
静かな沈黙。
サヤは大きな黒い瞳で俺を見つめ……ふわり、と笑った。
「カツミは本当に大馬鹿野郎なのです。面白そうなことを追いかけるのに夢中で、一緒に歩いているはずなのに、いつも置いてけぼりにされる人間のことなんてちっとも考えていないのです」
たじたじとなる俺に、サヤは微笑みかける。
「でも、いまの私には追いかけることができるのです。だから、お馬鹿さんが危ないことに突っ込んでいっても、助けてあげられる。それにカツミは、私が困ったときには、ちゃんと助けにきてくれるのです……今みたいに」
ふと、雲が切れた。差し込んだ日の光が、サヤの黒髪の上できらきらと跳ねる。
「カツミがお馬鹿さんだから、またすぐ忘れてどこかへ行ってしまうんでしょう。私はよく知っているから、何度だって追いかけて、教えてあげます。だからカツミも、私を助けてください」
微笑むサヤが神々しくさえ見える。
守らないといけない存在だと思っていたのに、いつの間にか、魔力だけでなくこんなに強くなって、それでもサヤは、俺と一緒に行くのだと言い、見捨てないと言ってくれるのだ。
胸がいっぱいだ。
何か言わなければ。そう思うのに、言葉が見つからない。
懸命に言葉を探す俺と、それを見つめるサヤの上に、ここ数日ですっかり聞きなれた声が降ってきた。
……鈴を振るような可愛らしい声が、まったく可愛らしくない口調と内容で。
「盛り上がってるところ悪いんだけど、あんたたち、囲まれてるわよ?」




