第五話:たまの休日を二人っきりで~家族だし当たり前のことだから~3
「ご、ごめん……。お、お待たせ」
それから一時間強、莉乃は慌ただしく身支度を整えた。
部屋にはどの服を着ていくかで迷走して散らかり放題、メイクは日ごろの積み重ねというのもあってお手の物。
だけど、普段以上に気合を入れていた。
最寄りのスーパーへと買い物に行く際には着にくく、杏莉と未華達と出かける時ですらも場所を選ぶ。莉乃としては可愛くて着てみたいのだが、あまり機会に巡り合わずにしまったまま。
購入したキッカケも未華に勧められてで、莉乃自身も興味があった。
だから今日、少しでも紫乃に見てもらいたいから選んだ一着。
全身を黒で統一したロリータ系ファッション。フリルのついた長袖のポロシャツ、腰回りを少しだけ引き締めるようにコルセット付きのスカート。丈は学院の制服よりも短く、もしかしたら紫乃は目くじらを立てるかもしれない。
ただ今は、関係のないプライベート。
足元も黒のロングブーツで覆い、踵も少しだけ背伸びしてみた。
少しだけ息を切らす莉乃を前にして、紫乃の視線は上から下へと往復する。
「そういった服も着るのね」
目を丸くさせて驚きを隠さない紫乃に、莉乃は顔をあげる。
「だって、どこに行くか教えてくれなかったじゃん」
「……場所によって服装を変えるの?」
「え?」
紫乃の素で驚いたような発言に、莉乃の表情は険しくなる。
上は白のインナーに、くすんだ青みのあるカーディガン。細身でピシッとしたパンツはカーディガンと同系色にしつつも濃い目で、足元はスポーツブランドのロゴが入ったスニーカー。
どこか近所をお散歩していても住宅街の風景から浮いた様子もなく、ラフでいてシンプル。
「何となくネットで買ったのだけど、気にしたことがなかったわね」
「……今度、一緒に服でも選びにいこっか」
決して似合っていないわけでもないのだが、まさかの方法での服選び。今どきとしては一つの方法で、試着して合わなければ返品することだってできる。
莉乃としては、紫乃にもう少しお洒落に興味を持ってほしいと感じてしまった。
その方が、紫乃の学院とは違った一面がみられるからという本音を含ませつつ。
「……そうね。次はそれを目的に出かけようかしらね」
顎に手を当てて考え込む紫乃は、サラッと次に莉乃と出かける予定を提案していく。
(次、次もあるんだ)
それはあまりにもナチュラルな誘いで、独り言として聞き流されてもおかしくない。
ただ莉乃としては願ってもない。
「とりあえず行きましょうか」
「うん」
結局、行き先を告げられぬまま改札を抜けていく。
電車内はそれほど混んでおらず、莉乃と紫乃は並んで座席についた。いつもの莉乃だったらスマホをポチポチしているのだが、今日だけは少し躊躇ってしまう。
隣に座る紫乃は背筋をピンと、背凭れに寄りかかることなく正面を向いている。
どこを見ているのかと気になり、つい横目で盗み見てしまう。
(なんだろ、別に会話がなくても居心地良いかも……)
だからといって、杏莉や未華との会話を無理しているというわけではない。それも莉乃としての自然体でのことで、気心知れた仲で繕っていない一面。
普段は賑やかな分、今日は静かで落ち着いた時間が流れていく。
「……ここ?」
それから移動すること数十分、莉乃達は目的に到着した。
最寄りの駅から少しだけ歩いた場所にある、水族館。休日というのもあってチケット購入窓口は列ができているが、待ち時間すらも楽しんでいる様子が見受けられる。同性異性問わず、年齢層の幅も広い。
それくらい人気で、たくさんの人が足を運んでいる。
「チケットはネットで購入しているわ」
「あ、うん」
莉乃としては並ぶことを厭わなかったが、紫乃の先んじた行動に従わざる得ない。
別で設けられている列を進む紫乃の後ろをついていき、チケットを受けとって館内へと入場した。
「……混んでるわね」
「休日だからね」
話し声で騒がしいわけでもないが、周囲を行き来する人の流れがそう感じさせる。
水族館だからという特別性があるわけでもなく、休日はだいたいそうだ。
そんな認識がある莉乃からすれば普通の事だったが、紫乃のどこか怪訝めいた口ぶり。
「どうしてここ選んだの?」
紫乃がインドアかアウトドアなのか、莉乃は定かじゃなかった。時折制服で外出する姿をみかけるが、行き先は訊かずともわかる。今日みたく休日に私服で紫乃が出かけていく姿を、あまり見たことがなかった。
だから気になる。
入り口付近で立ち尽くすのも邪魔になると思い、少し離れた場所に移動した。
「どうしてと訊かれると、そうね。……ここなら人目を気にしなくていいと思ったのよ」
「人目を気にしない?」
何か目的があっての場所選びではなく、周囲の目を気にした紫乃。
あれだけ普段から学院で注目され、誰がどうみても一目を置かれている。だから人目に慣れているかと思いきやの、意外な紫乃の発言。
それが余計、莉乃の脳内で疑問を生んでいく。
(しー姉さんの事だから昨日の続きなのか……)
言葉を探すように黙り込む紫乃を急かすことなく、莉乃は館内の奥へと進んでいく数人のグループをただ眺める。
急な誘いに最初は舞い上がっていたものの、今では少しだけ冷めた陰鬱な気持ちになってしまう。
「ごめんなさい、やっぱり上手い言葉がでてこないわ」
いつもだったら堂々とした紫乃の振る舞いは、同性からカッコよく映るらしい。
一切のフィルターを抜きにした紫乃を知る莉乃からすれば当然で、時折その話題を耳にすると、内心で誇らしく思ってしまう。
ただ今は、そんな面影すらない。
真っすぐと見据えてくる紫乃の瞳が揺れ、心の動きすらも手に取るように伝わってくる。
「……体育の授業が苦手かと思えば休日は頻繁に出かけていくし、だからといって私が傍にいるとどこか居づらそうにするでしょ? 何よりも昨日の事で怒らせた。このまままた莉乃から距離を置かれることに不安で、どうにかしないとって思ったの」
紫乃なりの、莉乃との関係を鑑みての行動。
今までそんなことがなかったというのに、どの感情が紫乃を揺れ動かしたのか。
「昨日の晩と今朝もだけど、食事に何処か味気なかったわ。それもこれも莉乃が毎日作ってくれるご飯が美味しくて温かいのと、飽きさせない工夫だと思うの。……これ、前も話したわね」
スッと目もとを細める紫乃に、莉乃は待ったをかけた。
「ストップしー姉さん。……何となくだけど、事情は察したから」
莉乃としては今さらなのかもしれない。
全ては莉乃が招いた、己の自制心を保つための行動。
それがこうして紫乃を困らせ続け、姉妹という関係を拗らせてしまったのかもしれない。
(謝るのはこっちの方だよ、しー姉さん)
内心でそう告げ、莉乃なりの言葉を探す。
空調の利いた館内にいるにもかかわらず、喉の渇きを感じていく。
「私がしー姉さんを避けてたのはその、好きだからで……」
決して悪いことをしているわけでもないのに、莉乃の言葉尻が萎んでいく。
「好きなのは私も――」
「た、たぶんだけど、しー姉さんの好きと私の好きは違うと思う」
震える喉から絞り出す、紫乃の言葉を遮る莉乃の本心。
この認識の違いが、莉乃を困らせてきた。
(こんなこと急に告げられたら、しー姉さんの事だから困るんだろうな)
これから紫乃にどう思われようが、お構いなしに莉乃の気持ちは高ぶっていく。
「ど、同性として、恋人的な恋愛対照としての意味で好きなの。……姉妹どころか家族なんだよ、変でしょ?」
そう言葉にした途端、莉乃の目じりが熱を帯びていく。
女の子同士、仲が良ければ多少なりのスキンシップはある。それは手を繋いだり、肩と肩どころか、人目を気にしないハグだったり。周囲には公言していないが、中には付き合っている話なんかもチラホラと耳にする。
それを莉乃は懐疑的な気持ちを抱くどころか、少しだけ羨ましいと感じていた。
だからといって周囲に姉が好き、それも恋愛対象としてカミングアウトできるわけでもない。
その相手が紫乃。学院の誰もが多少なりの好意を寄せているともなれば公言しづらい。
ただでさえ姉妹という事を疑う生徒は少なくなく、莉乃はよく疑いの眼差しを向けられてきた。
今となっては些末な事で、周囲がどう思おうが事実でしかない。
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
「しー姉さんの事は誰にも譲りたくない。妹だからじゃなくて、好きな相手だから」
そういった意味合いも含めて、周囲とフラットな関係性でいるための適切な距離感。同じ屋根の下で過ごすアドバンテージを振りかざすどころか、あえて主張はせずに紫乃の生活を陰ながら支える。
それが莉乃なりに考えた、紫乃への好意を抱き続けるための処世術。
(これならいっそ……)
莉乃は真っすぐ、紫乃と向かい合う。
「好きです。私と付き合ってください」
微かに震えた声で告げる、莉乃の紫乃への率直で素直な想い。
これまでにない程に緊張して、全身が熱を帯びて脈動し続ける。
(こうして誰かに好きって伝えるって、こんなにも大変なんだ……)
普段からどうやって呼吸をしているのかを思い出せない程に息苦しくなっていき、周囲の音が次第に遠ざかっていく感覚に陥っていく。
ちょっとしたノリなのか、今までで異性からの告白を受けたことのある莉乃。中には本気だった相手もいたとは思えるが、一途に紫乃が好きだから断ってきた。
さっきまで居心地よく感じていた沈黙が重苦しく、今すぐにでも逃げたしたい気持ちが膨れ上がってくる。
時間からしてほんの数分、莉乃の体感からして数時間。
さすがにこれ以上は耐え切れず、莉乃は口角をあげた。
「ごめん、急だったから驚いたよね。忘れて――」
「ありがとう、莉乃」
気づけば俯いていた莉乃の顔をあげる、紫乃の手を握ってくる行為。
「いつまでもここに留まっているのも変だから、行きましょう」
「う、うん……」
辛うじて返事をできた自身を褒めてあげたい程、莉乃はテンパってしまっていた。
ゆっくりとした歩調で館内の奥へ、同じように来場したお客さんが各々の時間を過ごす。
(しー姉さん、これってどういう……)
いつまでも離れることのない、繋がれた右手に意識が集中してしまう。
隣に並び立つ紫乃は無言で、幾つもある水槽を眺めている。
入り口から少しだけ進んで行くと、急に照明の光量が落ちた。ただそれでも展示されている水槽内がライトアップされていて、様々な種類のクラゲが揺蕩っている。
「こんなこと訊いていいのかわからないのだけれど、莉乃はいつから好きでいてくれたの」
他のお客さんに迷惑をかけない、二人っきりだから聞き取れる紫乃の声量。口調には抑揚もなく、淡々とした面持ちが薄暗闇の中でも想像できる。
ただ一つ、繋がれた右手から伝わってくる異なる感情。
「いつからって訊かれると分からないけど、自覚したのは中学上がったあたりかな」
「……中学。……そう」
微かな衣擦れる音に、紫乃は俯いたのだろう。
(ねぇ、しー姉さん。今、何考えてるの?)
何か物事を考える時、誰だってそんな仕草をするだろう。
それが人一倍多いなと感じる、紫乃のとる無意識な仕草に頬が緩む。
「何となく時期もキッカケもわかってきたわ」
「……いいよ、そんなことわからなくて」
「そうはいかないわ。今の莉乃に変わったのが私のせいで、これまでもたくさんの事を耳にしてきたと思うの」
莉乃はただ首を縦に振る。
いつどこで、誰が紫乃に告白をしたのか。もちろんその結果も込みで知っていて、その相手を軽く嘲笑ったりなんかも内心でしていた。
それは全て、莉乃自身はそうならないという謎の自信があったから。
いつかもしも、紫乃への気持ちがバレてしまっても受け入れてくれる。それが姉妹としてなのか、恋人としてなのかは別として、崩れることのない関係が成り立ってきた。
誰よりも安全な場所で、精神的に余裕があったから。
フラれて傷つくこともなければ、姉妹として抱いてもおかしくない感情。
この気持ちに蓋をすることで、いつまでも紫乃と一緒にいられるという考えが頭の片隅にあったのだ。
「こんな私だけど、ズルいと思う?」
頭の良い紫乃の事だ、そんな莉乃の浅はかでズル賢い考えはお見通しかもしれない。
「そんなことは……ないと思うわ」
一瞬言葉を詰まらせた紫乃に、莉乃は鼻を鳴らす。
「別に気とか遣わなくていいから」
「……遣ってないわ。ただ、私にはまだわからない気持ちだから」
(あ~あ、やっぱりそうだよね)
それを聞けただけで、莉乃なりに告白の答えを貰えた。
こうしていつまでも手を繋いでくれている事だけが気がかりだったが、莉乃は自身を嘲笑う。いつかの誰かに自身を重ね、そうはならないという安全な場所から見下ろしてきた頃が懐かしく思えてくる。
今となっては、その立場に落ちてきた。
ズキリと痛む胸に手を当て、莉乃は唇を浅く噛む。
「莉乃の言う通り、私の気持ちは別なのかもしれない」
「うん」
「だけどね、それがそうなのかもわからないの」
「……うん」
そう言われてしまうと、莉乃も少しだけ自信を失ってしまう。
誰にもとられたくないから紫乃の気を引こうと髪を染め、制服の着方だってだらしないと思われない程度に着崩し、校則なんていくら注意されたところでどこ吹く風。
周囲が紫乃と姉妹であることを半信半疑故の行動で、さほど迷惑をかけてないだろう。
……そう、あってほしいと願うばかり。
「だからなのだけど、私から一つ提案していいかしら」
「一つどころかいくらでもいいよ」
食い気味で早口になる莉乃に、紫乃は少しだけ震えた声音で応える。
「この気持ちに私なりの答えがでるまで待ってくれないかしら」
「そんな――」
(そんなこと言われなくても、いつまでだって待つよ!!)
莉乃は声を大にして叫びたい言葉を呑みこみ、できる限り平静を装う。ここが薄暗い展示スペースであったことへの安堵と、今紫乃がどんな表情をしているか見たいという興味の葛藤に苛まれる。
だが紫乃からすれば、莉乃の荒れ狂う感情は知り得ない。
「けどあれよ。もし私が答えをだすよりも先に良い人が莉乃の前に現れたら……どちらを選ぶことになったら好きにしていいわ。その結果がどうであれ、私が莉乃を引き留め続けることはしないから」
いつもは生徒会長として人前に堂々と立ち居振る舞い、男女問わず好感を得ている紫乃。
そんな紫乃が、莉乃を前にして弱気な姿勢。
それは姉妹という関係が故なのか。
それともこの空間が普段から秘めた想いを打ち明けやすくさせるのか。
もしくは、その先に広がる二人の将来を鑑みてか。
「まぁその辺は、大丈夫だから安心して」
「その莉乃の気持ちに甘えず、私なりに頑張るわ」
「う、うん」
改まってそう宣言させられると、身構えてしまう莉乃。
「その手始めなのだけれど、さっきみたく私の事を『しー姉さん』って呼んでくれない」
「えっ」
「私は……いつも通り『莉乃』って呼んでいくと思うけど、ダメ……かしら」
「し、しー姉さんがそれでいいなら……わかった」
これで話は終わりというように、繋がれたままの手に力が籠められる。
「せっかく来たんだから、今日は楽しみましょう」
「そうだね、しー姉さん」
ぽっかりと丸く繰り抜かれた壁際に近づき、水槽内を揺蕩う様々なクラゲを眺める。その際の紫乃との距離感にドギマギさせられながらも、ゆっくりとした時間を過ごした。




