第四話:理想と現実の狭間は、なかなかに埋められない6
(……こうして放課後の教室に残るのって、ちょっと変な感じだな)
午後の授業を終えた莉乃は、部活に向かう杏莉を見送り。未華から数人の男子生徒達と遊ぶ誘いを上の空で断りを入れ、気づけば下校時刻が迫る時間帯まで教室でぼんやりと過ごしていた。
いつもだったら即座に帰宅し、家事をしている。
だけど今日は、そんな気分になれずにいた。
原因としては一つしかないのだが、毎回のようにこうではない。
……いや、今回は異例ではあった。
(結局のところ私は関係ないしな……)
今朝方に繰り広げられた、姉である紫乃への公開告白。
その光景を目の当たりにさせられたのは初めての事で、いつもだったらそういった噂を耳に、誰かに訊く必要もなく結末まで知れる。
だから今回の結末も耳には入っているのだが、気がかりでしょうがなかった。
あの時に紫乃がどんな表情を浮かべ、その告白を受けたのか。それがいつもの生徒会長と化した紫乃として振舞うのか、もしくは別の、莉乃が知らない表情や雰囲気を醸しだすのか。
莉乃としては気になるところだが、見たくない普段とは異なる紫乃の一面。
もしそれが、異性にだけ向けるモノだとしたら……。
「ああ、しー姉さんに限ってそんなこと――」
「私がどうかしたの?」
「し、しー姉さんっ!?」
机に両肘をついて頭を抱える莉乃を、紫乃はどこか怪訝そうな声で呼ぶ。
その不意打ちに声を荒げてしまった莉乃は、慌てたように口を両手で塞いだ。
(やばっ……いつもの癖で……)
普段から会話どころか、極力同じ空間にいないように努めている莉乃。それは全て自身の気持ち、紫乃へと抱く感情を爆発させないため。
つい数日前にその関係に変化が生じ、今では出来る限り一緒に登校をしていた。
「……まだいたのね」
「あっ……うん。……ちょっとね」
紫乃の目線が動くのに、莉乃は曖昧な笑みを浮かべた。
放課後だから杏莉や未華とでもいっしょなのかと思われたのだろう、だけど今は何をするでもなく一人で教室に残っている。
何かの部活や委員会に所属していない莉乃を、紫乃が把握していないわけじゃない。
「……良かったら、一緒に帰らない?」
だというのに、紫乃からの気にした様子の無い素振り。
「……う、うん」
わざわざ教室まで訪ねてくるあたり、何か急ぎの用事でもあるのかと身構えていた。
だけど、何気ない誘い。
少しだけ間が抜けた返事をしまいながらも、莉乃は机の脇にかけていた鞄を手に取った。
(……なんか、嫌な予感がする)
特進コースと普通科コースの生徒が利用する教室は、各階に通ずる中央階段に分断されている。
だからといって生徒同士の交流がないわけでもないが、頻繁には行われない。
それが生徒会長でもある紫乃で、個人的に莉乃を訪ねてきた。
莉乃の脳内には警笛が鳴り響きながらも、紫乃と誰もいない廊下を並び歩く。
「……」
「……」
射し込む夕日に照らされる紫乃の横顔はどこか陰鬱気で、何やら思い詰めた表情とも受け取れる。
普段から口数も多くないというのもあって、莉乃の不安を掻き立てていく。
(ここで逃げても、帰る家が一緒だしな……)
それどころか運動神経といった点で、莉乃が紫乃に勝てるわけがない。
これといった紫乃との会話はなく、学院最寄り駅の改札を抜ける。ホームには莉乃達と同じように下校する生徒、どこかくたびれた面持ちの社会人が入り混じっていた。
すぐに莉乃達が乗る電車が到着するも、帰宅ラッシュというのもあって満員状態。
(うわ~乗りたくなぁ~)
莉乃はげんなりとした気分にさせられながらも、帰るには乗らざる得ない。
「莉乃、離れないのよ」
「うん」
何本か電車を見送るのも一つだったが、急に手を握ってくる紫乃に従うしかない。
(……って、えっ?)
周囲に他人の目があるというにも関わらず、紫乃のとった行動。
そのことに遅れて気づき、驚きを隠せないながらも電車に乗り込む莉乃。手を引く紫乃の後ろ姿が、どこか懐かしく映ってしまう。
人の流れに身を任せながらも、紫乃は莉乃の手を引いて奥へと進む。
「……莉乃、大丈夫?」
(いやいやいや、大丈夫じゃないですがぁ!?)
紫乃とはそれほど身長差もないというのもあって、莉乃の目と鼻の先に迫る顔。混雑しているのもあって身体も密着し、吐息すらも感じられる距離。
閉められている反対側の出入り口、その座席との間に存在する角っこ。
そこに莉乃を立たせ、紫乃が周囲から守る形で向かい合う。
あまりの紫乃との距離に、莉乃の心臓が早鐘を打ち始める。それが紫乃に聞かれてしまっていないかという不安と、未知の体験という興奮に苛まれていく。
微かに揺れる電車内、莉乃は己の自制心との戦いが再び始まった。
それも時間にしては十数分。
「……」
さすがに二度目というのもあったが、呆然とホームに立ち尽くす莉乃。
「莉乃?」
「あ~ごめん。大丈夫だから」
そんな莉乃を不安げに見つめていた紫乃だったが、莉乃は気丈に笑みを浮かべる。
「いっつもこんなのに乗って帰ってるって凄いね」
「……まぁ、慣れのようなものよ」
どこか不思議そうに瞳を丸くさせた紫乃だったが、誇るように胸を張らない。
それくらい、紫乃にとっては日常的な事。
「もうちょっと遅い時間だったら空いてるじゃない?」
「たぶんそうかもだけど、夕飯の時間に遅れるでしょ。……そうはしたくないのよ」
「……ふ~ん」
何やら紫乃なりのこだわりがあるのか、莉乃は生返事をしてしまう。
「それで何だけど莉乃、少し遠回りして帰らない?」
「……え?」
電車が到着しない時間だから、閑散とし始めるホーム上。莉乃と紫乃を残して、周囲には人がいない。
改札に向かおうとしていた莉乃の脚は自然と止まり、ゆっくりと振り返る。
決して冗談を言っている様子もなければ、紫乃はどこかバツが悪そう。
(……あのしー姉さんが、寄り道を……?)
莉乃が困惑を隠せずにいると、紫乃はゆっくりとホームへと歩き出す。
「別に校則を破ろうというわけじゃないわ。学校が終わってから塾に向かう生徒だっているし、それは違反とはならない。あくまでコンビニや――」
「あ~あ~わかったから、付き合うよ」
これ以上は莉乃が納得するまでといか、紫乃なりにしっかりとした理由を並び立てる説得に近い形での誘いになったかもしれない。
それを察しての、莉乃からのストップ。
それでも釈然とした面持ちを浮かべない紫乃の脇を通り抜け、莉乃は改札へと向かう。
「……何してるのさ、帰らないの?」
「今行くわ」
少し遅れて歩き出す紫乃を待つように、莉乃は改札を抜けた。
(……これは、覚悟を決めるしかないよね)
ただ莉乃の胸中は、複雑な感情の嵐に荒れていた。
今までもこれからも、莉乃が紫乃へと抱く気持ちは変わらない。それどころかさらに強まっていくことだってあるし、いつまでも思い続けていくのだろう。
だけど今朝、一石を投じた公開告白。
その答えがこれから告げられるのだろう。
周囲からの噂では振ったらしいのだが、もしかしたら気が変わったのかもしれない。だからそれに応えようと、紫乃は気持ちを固めたのだろう。
どこに向かっているのか分からない紫乃の後ろを、莉乃はただ歩く。
「……ここ、懐かしいわね」
「……ん?」
最悪の想像ばかりが支配する莉乃の意識は、紫乃の言葉に一度遮られる。
顔をあげた莉乃は、ゆっくりと周囲を見渡す。
「公園?」
「ほら、小さい頃によく来たじゃない」
「……あ~そうだね」
自宅から普段使う駅との中間地点。少しだけ道が逸れるが、小さい頃に五十鈴とスーパーの帰りに寄る事が多かった公園。これといって遊具が豊富というわけでもなければ、元気よく外を走り回る活発で幼い莉乃と紫乃じゃない。
だからといって五十鈴の無理矢理ではなく、逆に莉乃と紫乃がせがむように訪れていた。
目的は、公園内をただ一緒に手を繋いで歩くだけ。
その当時を知って語る五十鈴としては、仲の良い姉妹だなと連れて行っていたという。
今もよく聞かされるのだが、莉乃からすれば疑問でしかない。
「……どうして来たがってたのかしらね」
「どうしてだろうね」
夕暮れ時とはいえ、空が多少は明るい。だからでもないが公園内を元気よく走り回る子供の姿があり、遠くには自転車を止めて談笑する母親達が目につく。
懐かしむように目もとを細める紫乃の横顔を盗み見ると、ふと視線の先に止まった東屋。
「あそこで休んでいく?」
「……そうね」
ここで飲み物の一本や二本があればいいのだが、紫乃の事だから自販機での購入も認めないだろう。
(へぇ~意外と手入れされてるんだなぁ)
日頃から陽に照らされ、雨風に晒されている場所の印象があった。
そんな莉乃の杞憂は呆気なくも裏切る形で、しっかりと人の手が入った痕跡が目につく。
「はい、これで良かったかしら」
紫乃から手渡される、紙パックの果汁百パーセントのリンゴジュース。
「……いつの間に買ったの?」
「学院の自販機で買ったんだけど、飲むのを忘れてたのよ」
「……二本も?」
「それは……たまたまよ……」
何ともらしくない紫乃に、莉乃は戸惑ってしまう。
それが余計、莉乃の心を苛んでいく。
(……らしくないよ、しー姉さん)
紙パックにストローを刺す紫乃の様子からは、一切の感情が汲み取れない。
リンゴジュースを一口、喉を潤した紫乃は背筋を真っすぐと伸ばす。
「それでね莉乃、今朝の事で少し話があるの」
莉乃は急に心臓を鷲掴みされた感覚に陥る。
「……うん」
それでも紫乃の言葉に耳を傾ける。
内心では今すぐにでも両耳を塞いで、何もかもからの情報をシャットアウトしたい。
「まず初めに、あの男子生徒と付き合わないわ」
「……うん。……っ!?」
聞く覚悟を決めて瞼を強く閉じていた莉乃は、紫乃の言葉に顔をあげる。
「それとね、これからも誰かと付き合うことはないわ」
そんな莉乃に目もくれず、紫乃は口を開き続ける。
「理由としては大層なものではないのだけれど、今まで誰か一人に特別な感情を抱いたことがないの」
どこか自嘲染みた声音で語る紫乃。
(……そう、これは私の一方的な気持ち)
握った小さな手を胸もとに当てる莉乃、長くて浅い息を吐き出す。
「けどそれは、私の中で既に特別に想う相手がいるからなの」
紫乃の口ぶりは確信を持っているようで、どこか見え隠れする不安の色。
(しー姉さんにそんな想ってもらえるなんて、羨ましいな……)
紫乃の交友関係をある程度は把握してはいるが、そういった間柄の相手がいるとは予想していなかった。
一番に思い当たるのは生徒会に所属するメンバーの男子生徒達。ぼんやりとではありつつも顔は思いだせるが、特別仲が良さそうな素振りを見ない。
もしかしたら、莉乃の目が届かない所では違うのかもしれない。
「……私って変よね。実の妹を好きになるなんて」
「……え?」
耳を疑う衝撃の事実。
その事を確かめようと莉乃が視線を向けると、紫乃は真っすぐと向き直っている。
「莉乃がどう思っているかわからないけど、そう……なのかもしれない」
「しー姉さん……」
普段はクールで理知的な印象を抱かれ、運動神経もいい紫乃。それは周知の事実であり、莉乃の身内贔屓というわけでもない。
だというのに今は、どこかバツが悪そうに照れを滲ませていた。
それはまさに、好きな相手を前に緊張しているようにもみられる。
「……学院でもそうだったけど、久しぶりにそう呼ばれるわね」
「うっ……」
嬉しさを前面に表す紫乃に、莉乃は言葉を詰まらせる。
(そんなの、そんなのズルいってば、しー姉さん……)
頬が熱を帯びていくのを感じながら、莉乃は渇きを覚える喉を唾液で湿らせる。
「わ、私も……しー姉さんのこと――」
「まあこれも、莉乃には日ごろからお世話になっているからだと思うの」
「……ん?」
だが気づけば、紫乃の雰囲気が一転する。
「毎日のように食事を作ってくれたり、掃除だってこまめにしているのは知ってるわ。ああ後、酔って帰ってくるお母さんの介抱だって大変でしょ?」
一度言葉を区切る紫乃は、莉乃との距離をわずかに詰める。
「前もこのことで話したけど、やっぱり姉としての立場もあるの。だから――」
「もぉいい! 帰る!!」
「莉乃!?」
勢いよく立ち上がる莉乃は、脱兎のごとく公園から離れていく。
その後を紫乃が追ってくるようだったが、一切振り返ることなく家に駆け込む。そして玄関に靴を脱ぎ捨て、自室へと引き籠る。
(もぉ! やっぱりそうだぁ! そういうオチだってわかってたけど、どうしてそうなるのかなぁ!!!? 何なの不安にさせるような素振りかと思ったら期待させて! 挙げ句がこれだよ!! 私の気持ちを弄んでない!?)
心の中で紫乃への不満が積み重なっていく。
それからしばらくして扉の向こうから紫乃の呼ぶ声が聞こえたが両耳を塞ぎ、全身を縮こまらせるように両膝を抱えて蹲る。
そして今日、莉乃は初めて家事を放り出して部屋から一歩も出なかった。




