第四話:理想と現実の狭間は、なかなかに埋められない3
(莉乃!?)
身体を動かすことをあまり得意としない莉乃が、紫乃の目を見張るほどの速さで走り去っていく。
「それで、あの……五百瀬生徒会長……返事は……」
(……そう、だったわね)
どこか恐る恐るといった男子生徒の声に、紫乃の意識が引き戻される。
過去、現在を振り返っても、莉乃が傍にいる状況での告白をされたことがない。似たようなケースで公開告白はあったが、ここまで露骨な反応をされたことに頭の中が真っ白になってしまう。
だからといって、目の前での事を無視することはできない。
紫乃はゆっくりと瞼を閉じて意識を切り替え、凛とした態度で対応する。
「悪いのだけど誰とも付き合うつもりはないわ」
「でしたら友達。……いえ、先輩後輩という――」
「私はあくまで生徒会長という立場にいます。一個人として仲良くする生徒もいますが、貴方だけを贔屓するような関係を求めていません」
一度言葉を区切り、紫乃は両腕を組む。
「何より貴方、誰かしら?」
「わぉ、辛辣ぅ~」
隣で冷かす咲玖を視線だけで黙らせ、紫乃は男子生徒の前を後にする。
(……莉乃)
自然と足取りが早まるも、下駄箱に到着した頃には莉乃の姿は見当たらなかった。
「ちょ、ちょっと、どうしたのさ会長殿」
「……いえ、どうもしてないわ」
「だからってアレは、さすがにやり過ぎだって」
「……何がかしら?」
後から追いかけてきた咲玖は、少しだけ肩を上下させていた。
「今まででなかったでしょ、あんな断り方」
「……そう、だったかしら?」
過去を振り返ってみても、ほぼ似たような断り方をしてきたと自己分析する。
「というよりも、貴女がどうして知ってるのよ」
「ん? あ~ほら、まぁ……」
笑って誤魔化そうとする咲玖を、紫乃はジト目で見据える。
その圧に咲玖は耐えられなかったのか、降参したように両手をあげた。
「はい、すみません。場所や時間のセッティングから何まで、私が主導で管理してきました」
「……初耳よ」
まさかのカミングアウトに、紫乃はただただ驚かされる。
付き合いとしては中等部からを考えると、今日までよくバレずに隠してきたものだ。
だから、疑問が過る。
「立ち話も目立つわね、移動しましょう」
「……妹ちゃんのことは追わなくていいの?」
「……別に、今は関係ないでしょう」
本心からすれば莉乃の事を追いたい気持ちはあったが、さすがに教室まで行くと迷惑をかけてしまいかねない。
それを懸念して、紫乃は咲玖を連れて生徒会室へと向かった。
「それで、最後に何か言っておくことはあるかしら」
「いやいやいや、始まってもないから!」
普段であれば生徒会長席に腰かけるのだが、紫乃は咲玖と向かい合うために対面へ。副会長が使う椅子に腰かけて、咲玖を会計の席へと促した。
その開口一番に続き、咲玖の慌てた声が生徒会室に響き渡った。
「始まるも何も、さっき自らの罪を認めたでしょ? それ以上の事で私が聞くことってあるかしら」
「せめて弁明、理由くらい聞いてくれてもいいと思うんだが」
気づけば腰を浮かせていた咲玖だったが、改めて椅子に腰を落ち着かせた。
「おおむね、私に告白してくる生徒が殺到するための対処。そうすることで学院側への迷惑をかけない配慮、もとい風紀委員長としての手回し――」
「そうそう」
まったくその通りだという態度で咲玖は脚を組み、満足したように首を縦に振る。
だが紫乃からの懐疑的な視線、纏う棘のある圧は消えない。
「という名目の、貴女の私利私欲よね」
「……な、なぜバレた」
さっきまでの余裕だった咲玖の素振りは跡形もなく消え、露骨すぎる程に表情を強張らせる。
そんな咲玖に、紫乃は盛大にため息を吐いた。
「さすがに見縊ってもらっては困るわ。貴女との付き合いも長いのだから、さすがに理解できるわ。ただ……」
「ただ?」
紫乃は言葉を探すように目もとを細め、考え込むように人差し指で顎に触れた。
「どうして貴女が、周囲の恋心に干渉しているのかがわからないのよ」
「……どうして、か」
今度は咲玖も考えさせられる番だった。
「第一としてはアレかな」
「……アレ?」
当人である咲玖には心あたる部分があったようで、すぐに口を開いた。
それに紫乃はただ耳を傾ける。
「他人の恋路ほど面白いモノはないからね」
「……ゲスね」
「おぅ……ちょっと背筋が震えた……」
身体を抱くようにして二の腕を摩る咲玖を、紫乃はさらに冷ややかな視線を向ける。
「で、いつまで悪ふざけに付き合えばいいのかしら」
「ごめん、マジで怒らないで下さい」
背筋をピンとさせる咲玖。いい加減やり過ぎたという自覚があるように、緩めていた首もとの帯を正し、紫乃には見えない膝上で両手を置いた。
だからといって、紫乃の態度が緩和されることはない。
僅かな重い沈黙の中、それでも咲玖は口を開いた。
「確かにどこか面白がってる部分はあるけど、やっぱり念頭にあるのは学院の風紀を守るため。それは紫乃の考えてる通りで、だからといって教師がそれを注意喚起したところで無意味でしょ?」
「あまり決めつけるのは良くないけれど、可能性としてはそうね」
逢籃学院としては一生徒に向けた、複数とある色恋沙汰の一部でしかない。それが不純異性交遊ともなれば別だが、あくまで片想いという域。学生生活における一つの青春であり、酸いも甘いも大人への第一歩とも言える。
それは紫乃も頭の片隅で自制の利かない感情だと理解していた。
「となると誰かが取り締まらないといけなくなる。そこで人員を割こうにも有志を募る? それこそ下心ある生徒しか集まらない」
「だから風紀委員?」
「いや、風紀委員は関係ない」
首を横に振った咲玖に、紫乃は眉間にシワを寄せた。
「風紀委員の中にも紫乃に想いを寄せる生徒が一部はいるんだ。それを委員長権限で抑制とか、可哀そうでしょ? だから付き合いの長い親友でもある私が中立の立場で調整、そうすることで学院の風紀を保っているってわけ」
これまでの苦労を一切鼻にかけるどころか、淡々と語った咲玖。
それが本当か、いつものような冗談かを見定めようと黙る紫乃。
生徒会室を支配する沈黙に混じり、登校してきた生徒達の賑わう声が遠くから聞こえてくる。
「……言い分はわかったわ。少なくとも、貴女は私への好意を抱いていないということね」
「そう受け取ってもらって構わないよ」
短く息を吐いた紫乃に、咲玖は微かに口角をあげてみせた。
それに対して、少しだけ目もとを細める紫乃。
「私としては多少なりの好意を寄せていたのだけれど、少し寂しいわね」
「待て待て、急に梯子を外してくるなってば!?」
しみじみとした紫乃の口調は、さっきまで剥きだしだった怒りの矛はない。
ただ純然とした、親友へと向ける思いが感じられた。
「だってそうでしょ? これまで学院のために頑張ってくれて来た親友が、まったくも好意を抱いていないって告げられたら――」
「それ以上言わなくていいから、私が悪かったって!!」
もしこの光景を他、莉乃を含めた逢籃学院に通う生徒が目の当たりにしていたら、咲玖は大半を敵に回しかねないだろう。
「とま、これくらいで許してあげるわ」
それを理解した上での、紫乃の仕返し。
「ま、マジで勘弁してくれよ……」
心の底から安心したように胸を撫で下ろす親友に、紫乃は笑ってみせる。
「何となくだけど違和感はあったの。だからもしかしてと思っていたのだけれど、色々と迷惑をかけていたのね」
「最初に言ったかもだけど、一部は趣味も兼ね備えてるから」
「その点はどうにかした方が良いと思うわよ」
冷たく突き放してくる紫乃に対して、咲玖は食い入るように身を乗りだす。
「とは言え、実際にはどうなのよ。さっきのはイレギュラーだったけど、本当に知らないのか?」
「今年の四月から中等部から上がってきた男子生徒。名前は……真島新羅。私が生徒会長の席を開けた次に就いた生徒よ。テストの成績もよく、所属しているサッカー部のレギュラーというのもあるのか一部の女生徒から人気がある」
「……そこまで知ってて、誰って」
スラスラと出てきた新羅という生徒のプロフィールを耳に、咲玖は疑念を抱く。
「……そこまでしか知らないのよ」
「そこまでって……いや、なるほどね」
咲玖がよく目にする、生徒会長然とした紫乃の表情。それを目の当たりにして、咲玖も何となく察しがつく。
「あくまで一生徒としての最低限の情報ね」
「引継ぎの際に何度か会話はしたけど、それ以降の接点はないわ」
「そういうところが人気の一つなんだけどな……」
「何か言ったかしら?」
ぼそりと呟いた咲玖の一言だったが、紫乃の耳にはハッキリと聞き取れなかった。それについて視線で問い質すも、咲玖は素知らぬ顔。
「じゃあもしもさ、紫乃と親密な人から告白されたらどうするの?」
これ以上の追及から免れるように、話題を戻す咲玖。
「私と親密。……となると、限られるのだけれど……」
真剣な表情で考えだす紫乃に、咲玖はひっそりと胸を撫で下ろした。
(咲玖は確かに親しい中だけで好意はあるけど、それはあくまで恋愛には結びつかない。むしろ同性だから除外するとして、残るは生徒会の男子メンバーになるのだけれど……)
他にも委員会という枠で交流のある委員長や、部活のキャプテン達を順序に並べていく。
(……ダメね、まったくそういった気持ちを抱いたことがないわね。となると私って、誰かを好きになったことがないのかしら……)
その事実を認めようとして、ふと脳裏を過った一人がいた。
(莉乃は家族で私の妹だけれど、他とは特別な感情を抱いてるわね。いつも家事は率先としてくれて、毎日の食事だって飽きないようにバリエーションを変えてくれている。それもつい最近実感させられたことで、私の知らないところで他にも努力しているかもしれないわね)
莉乃の存在をこれまで忘れるどころか、常に意識し続けてきた紫乃。そのために生徒会長という立場に籍を置き、大なり小なりと都合をつけて接触を図ってきた。
咲玖のいう、私利私欲といっても過言ではない。
(……もしかしてこれを――)
「お~い、そんな真剣に考えなくてもいんだぞ」
一つの結論に辿り着こうとしたところを、咲玖の怪訝そうな声に遮られる。
「まったく、そういったところもだけどマジメすぎ」
「なら逆に訊くのだけれど、貴女はどうなのよ」
「私?」
「ええ、多少なりと周りから好意を抱かれているでしょう」
「……まぁ、そうだけど」
そのことに否定ではなく、肯定から入った咲玖。
「けど私の場合は好感からの好意だし、誰に対しても分け隔てなく接してるよ」
「それは……私と何が違うのかしら?」
紫乃としても過去に告白してきた生徒であろうと気にせず、決して避けるような行動をしたことがない。
「……いや、結構差はあると思うぞ」
ただ、咲玖のスタンスとは異なる点がある。
肩を竦めてみせた咲玖を、紫乃は不思議そうな視線を向けた。
「私としちゃどれだけ好きで、付き合えないと分かってても告白してくれて来た生徒には真摯に向き合うよ。たとえそれで傷つけたとしても、その時は優しくしてあげない。だけど翌日からは変わらず話だってかけるし、何度でも告白してくるチャンスを与えてるんだ」
「……それは、どうなのかしら」
まるで未知の生物と遭遇した面持ちで、紫乃は咲玖の事を見据えた。
「だからさ、そこがマジメなんだってば」
背もたれに寄りかかる咲玖は、少しだけ息苦しく感じていたのか帯を緩めた。
「あくまでただの色恋沙汰。一度失敗したからって諦めるのもありだし、そうじゃなくてもその生徒が納得する答えがでるまで付き合ってあげるだけだよ」
だからなのか、咲玖を取り囲む生徒は男女と問わない。
その光景はよく目にしていて、不思議に思っていた違和感。
そんな紫乃の疑問を今、拭い去るように語った咲玖。
「じゃあ、咲玖の想いはどこにもないの?」
それはそれで、紫乃以上に冷たい人間に映ってしまった。
「そんなことはないぞ?」
「え?」
だがそれも杞憂で、咲玖は盛大にため息を吐く。
「少なくとも私だって良いなって想う人はいるし、だから誰とも付き合ってないの。その辺オケー?」
「お、オケー」
キョトンとした紫乃の様子に、再びため息を吐く咲玖。
「これだから恋愛の『れ』の字も知らない紫乃は」
「ちょっと、それはさすがに心外よ」
「なら少しは周りを見回してみるんだな!」
まるで吐き捨てる咲玖の台詞と共に、HRを知らせる予鈴が鳴った。
そこでいったん話は終わり、咲玖が席を立つ。
「ほら、生徒会長ともあろう生徒が遅れるわけにいかないだろう」
「そ、そうね」
促されるように席を立った紫乃だったが、頭の中はグルグルと思考が巡り続ける。
(……周りを見回す?)
咲玖からの抽象的過ぎる疑問を投げつけられ、紫乃は再び答えが見つからない渦に飲み込まれていくのだった。




