第四話:理想と現実の狭間は、なかなかに埋められない2
「お~い、生きてるかぁ~」
「っ!?」
杏莉の声に、莉乃は我に返った。
しきりに周囲を見渡し、ようやく自身のいる場所に思考が追いつく。
「教室?」
「あ~うん。そうだけど……大丈夫か?」
不安げに顔を覗き込む杏莉に、莉乃はどこか惚けた表情で首を縦に振る。
「……うん、なんか悪い夢でも見てたかも」
「そ、そっか」
引きつった笑みを浮かべる杏莉とは対照的に、未華は興味なさげにスマホを弄っていた。
「夢じゃなくてぇ~現実だよぉ~」
「おいっ」
語気を強めて窘める杏莉に、未華は無言で席を立って去っていく。
「ちょ、ケンカとかやめてよ」
「そんなんじゃないけど、さすがに莉乃の様子がさ……」
「……私?」
ひそひそと聞こえてくるクラスメイト達の会話は、どれも紫乃の事ばかり。
「そうだ! しー姉さんが告白されたんだ!?」
「はぁ、思いだしまったか……」
そしてリフレインする、今朝の出来事。
勢いよく立ち上がったばっかりに注目を浴びる莉乃。
だがそんなことはお構いない。
「何、何々……え、あの男、誰? てか、あの後どうなったの!?」
「おぉどうどう、落ち着け。私らも急に莉乃が走り去るから知らないだ。ただ……」
「た、ただ?」
口を紡いだ杏莉は、視線を周囲へと向けた。
「誰かと付き合ったって一度も聞いたことないぞ」
「……それは、そっか」
その一言に、莉乃も納得してしまう。
「だけどさ! あれってどうなの!?」
「あ~めんどくせぇ~」
背もたれに寄りかかる杏莉は、本音を隠すことなく言葉にする。
「めんどくさいって何よ! 実際そうでしょ!」
そんな杏莉に、莉乃は目じりを吊り上げて噛みつく。
「まぁまぁ、落ち着けって」
「これが落ち着いてられないって! い、今すぐしー姉さんのところに――」
「とりゃ」
勢いのままに教室から出ていこうとする莉乃に、杏莉は容赦なく手刀を頭頂部へと落とした。
「少しは落ち着いたか」
「い、痛い……」
杏莉はおもむろに席を立ち、若干涙目で見上げてくる莉乃に場所の移動を無言で促す。
いたる所から聞こえてくる、紫乃が告白されたという事実。どうやら一つ下の学年で、中等部の三年生の頃には生徒会長をやっていたらしい。他にも勉強もでき、所属するサッカー部で女子からは人気者とのこと。
一切そんな生徒に関して情報のない莉乃は、ただ聞き流しながら杏莉の後をついて歩く。
「ここならいいだろう」
辿り着いたのは、購買部近くの自販機前。下駄箱から近いというのもあって人通りはあるも、誰も莉乃達に興味を抱いていない。
話題はやはり、紫乃が告白された件ばかり。
「……ごめん、取り乱した」
自販機の隙間に身体を滑らせるように、莉乃は膝を抱えてしゃがみ込む。
「自覚あり、と……なら、多少はましになったか」
首を縦に振る莉乃に、杏莉はポケットから小銭を取りだした。
それを自販機に入れてボタンを押す。
「とま、生徒会長さんのことは信じていんじゃね?」
「……まぁ、そうだけど」
紙パックのコーヒーミルクを一口、杏莉は肩を竦めてみせた。
けど莉乃には引っかかることが一つある。
「いつかはさ、しー姉さんも誰かと付き合うことになるんだよね」
「……まぁ?」
脈絡のなさに小首を傾げる杏莉。
「確かにしー姉さんは勉強に運動もできるから魅力的で、異性どころか同性からも好かれるよ。それは事実として認めるけどさ……私としては複雑なんだよ」
「出来る姉と比べられるからか?」
一人っ子として生まれ育った杏莉にはわからない、家族の誰かと比べられる環境化。ただ似たような境遇、運動部に所属するからまったくわからないわけではない。
実際、部の中では一プレイヤーでしかない杏莉。
それから導き出した答えの一つだったが、莉乃は首を左右に振った。
「姉の隣にいていいのは、やっぱり妹だけだと思うだよね!」
真顔にさせられた杏莉は、どこか遠い目をしていた。
「だってさ、産まれた時から一緒にいるんだよ。確かに数時間の差かもしれない知れないけど、私のお姉ちゃんだし、何者でもないと思うんだ」
「そ、そうだな」
「それを、どこぞの骨とも知らない奴に取られるっとどうなの?」
「えっと~」
「もう最悪どころか、毎日枕を濡らすはめになるの! 毎日毎日丹精込めて、栄養バランスに彩りまで考えてご飯を作ってあげてるんだよ。その容姿を少しでも保つどころか、これ以上ないくらいに誰もが振り返る存在になっていくの!」
普段から莉乃が紫乃に対するどういった感情を抱いているか知っている杏莉だったが、改めて聞かされると上手い言葉がでてこない。
「それくらいしー姉さんには血潮を注いで、私なりに愛情表現してきたの!」
「重いなぁ~」
今さら感もないが、自然と本音しかでてこない。
「いいもん、周りがどう思おうが関係ないもん」
「今度はスネ始めたよ……」
何度目となるため息を吐きながら、杏莉は莉乃に付き合ってあげる。
それも中等部で知り合ってからで、年間を通して大小様々のことで莉乃が感情を爆発させる現場を目の当たりにしてきた。
ここ一か月前まで春休みというのもあって、紫乃が誰かとという話を耳にしていない。
何かあれば莉乃の口、トークアプリ伝手で聞くことになる。
だから今回は、かなりの特大という杏莉の予感。
「まぁあ、しー姉さんに目をつけたのはいいセンスだけど、付き合うにしたってどんな関係なわけ? さっきの男ってどっからどうみても初対面でしょ? しー姉さんの何を知って付き合いたいと思ったわけなのさ」
「大なり小なり、生徒会長さんは有名だけどな」
莉乃以上に紫乃のことを知らない杏莉は、ただただ事実だけを述べていく。
「もし付き合ったとて、莉乃は許せないの?」
「……それは、しー姉さんの意志を尊重したい」
「め……」
咄嗟に本音を呑みこむ杏莉は、いつの間にか空っぽになっていた紙パックを弄ぶ。
「ただ、もし傷つけたり振るようなことがあれば、地球の裏側までどころか何十周だってして引き摺りまわす」
「怖っ……」
声音を低くした莉乃に、杏莉は少し肩を身震いさせる。
「けどさ、フラれて悲しむしー姉さんを慰めるのもいいんだよ」
「……これっていつまで続く」
不気味な声を発して笑いだす莉乃に、杏莉の声は届かない。
「それで私だけに甘えるようになってくれてさ、フフフ……」
首を少し捻れば莉乃がどんな表情を浮かべているか見れるが、声音から振り返るのが怖くて遠くを眺めるしかない。
「逆にさ、将来的にしー姉さんが結婚までして家庭を築いた時も考えちゃうんだ」
「話が飛躍してくよ……」
がばっと莉乃は顔をあげ、一つの可能性を煌々と語り始める。
「子供ができてさ、私からすれば甥っ子か姪っ子になるわけじゃん。その子はさ、どこかしー姉さんに――」
「戻って来い、戻って来い! さすがに今日の莉乃は見てるあたしが怖くなってきた!!」
がくがくと両肩を杏莉に振られ、莉乃の意識は引き戻された。
「あ、杏莉……く、首がとれる……」
「わ、悪い……」
力加減を間違ったのか、慌てた様子で離れる杏莉。
多少乱れた襟もとを正す莉乃は、深く長い息を吐いた。
「うん、さすがにもう大丈夫」
「ほ、ホントか?」
恐る恐るといった杏莉に、莉乃は勢いよく立ち上がって笑ってみせた。
「とりあえず教室に戻ろ、HR始まるよ」
「お、おう……」
既に空っぽになっていた紙パックをゴミ箱に捨て、杏莉は先を行く莉乃の後を追いかけた。時々あるプチ発散とは違い、どれだけ莉乃が紫乃を想っているかという闇を垣間見せられた瞬間。どう声をかけていいかわからない。
ただそれでも、足取り軽く階段を上る莉乃の後ろ姿に自然とため息を吐いてしまう。
「素直に気持ちを伝えられないのも辛いんだな」
「ましてや姉妹……て、何のこと?」
「……今さら惚ける?」
「え、だから何のことよ……」
決して莉乃は惚けた様子もなく、まるで紫乃へと抱く気持ちが知られていない素振り。
そんな親友に、杏莉はゾッとさせれる。
「さっきまでの事、覚えてるよな?」
「何で私、あんなところに挟まってたんだろうね」
「ああ、うん……そう、だな……」
ひやりとした冷たいモノが、杏莉の背中を流れるのだった。




