第三話:好きと嫌いの裏返し~ほんの些細なすれ違いでも一大事~10
(……莉乃?)
ロッカーの物陰。紫乃が視界の隅に捉えた、黒に混じった明るい茶色の髪をした女生徒。今朝もみたどころか、見間違えるはずがない莉乃の後ろ姿。
特進コースのある教室に用事があるとは思えなかったが、あまりにも不自然な光景。
ただ、生徒会メンバーが周りにいた。
活動としては特に集まる必要もなかったのだが、時々メンバーで集まって昼食を摂る機会を設けている。
それが今日であった。
何より、今朝の一件から安易に声をかけづらくもある。
未だに答えの出ない問題を抱えたまま、莉乃とは向かい合えない。
もしまた、自分の発言で泣かせてしまったら。
そんな恐怖心から、紫乃はあえて声をかけなかった。
生徒会室に到着すると、自然と各々の席へと腰掛ける。
「……それで、私の後がどうしたの?」
話題の途中、紫乃を抜きに話が盛り上がっていた。
だからあえて割り込むようなことはせず、ただ耳を傾けていたのだ。
だがあまりにも要領を得ず、点々と変わるから改めて問うことにした。
「紫乃生徒会長の功績からすると、今後立たされる生徒が比較されるんじゃないかなと」
誰が話そうかと目配せ、僅かな沈黙の果てに口を開いた女生徒は副会長――破瀬碧。高等部から生徒会に所属し、歴としては新参者。紫乃とは特進コースという繋がりはあるが、生徒会以外での関りは薄い。
短く切りそろえられた黒髪に、鋭利に鋭い目もと。
「破瀬さんの言うことはそうかもしれないわね。ただ、それは私もよ」
「……それは、確かに」
「ちなみに、私以外の役職の皆もなのよ」
「まぁ、生徒会という肩書だけで色眼鏡を向けられますね」
「その自覚を持って行動というのもあるけれど、代によって変わっていくもの」
「卒業した先輩の事とかあまり覚えてないですもんね。そう考えると、今後について考えるのは無駄かもしれませんね」
「無駄とまでは……」
一周回った、紫乃と似た考え。
ただ、碧のようにサバサバとしていない。
「……副会長。お願いですから真面目にお願いします」
「とはいえ、庶務くん。実質生徒会長、副会長候補として上がるのはキミたちでは?」
「うっ、た、確かに……」
「けど、だからって……」
「破瀬さん、プレッシャーをかけないの」
生徒会室の入り口に近い二席、庶務と書記の一年生組。
片方は普通科からの男子生徒で、中等部からの経験を活かす――小熊佑真。短く刈り上げられた坊主頭に、こんがりと焼けた地肌。生徒会以外にも運動部、レギュラーではないが野球部に所属している。体力的な面でずば抜けているが、学力に関しては頑張っていると公言している。
その相方ではないが、一年生の特進コースに所属する女生徒。書記の聖辺愛。癖っ気なのか毛先にカールがかかっていて、教師にバレないようにインナーを濃い茶色に染めている。
紫乃として目を瞑っているというか、身内にいるから言及はしない。
何よりも、信奉している一生徒の影響としか思えないでいる。
「それより、昼飯食べていっすか」
そんな中一人、我関せずといった態度で口を紡いでいた男子生徒。
「そうね、大河さん。皆も食べましょうか」
「大河くん、あいっかわらずマイペースだね……」
「あざっす」
音頭をとる紫乃とは対照的に、碧は呆れた態度を隠さない。
決して褒めたわけではない碧に対して、生徒会会計――大河爽介。黒の短い髪はスポーティーで、逞しく鍛えあげられた肉体。それに計算に介しては頭が切れ、各部の年度予算なんかは全て暗算で行う。
碧と同様に高等部から生徒会に所属し、普通科の学力テストでは常に一位。全体の順位としても特進コースに匹敵するも、当人である爽介は気にしていない。
もし紫乃が生徒会長へと立候補していなければ、爽介がその席に着いていた。
ただマイペースな性格に加えて、気力というものを発しない。
「いや、お腹空いてるんで」
「はいはい、食べながら喋らない」
二段重ねのお弁当とは別に、タッパーに詰められた白米。それらを机に広げて食べ始める爽介を、碧は同い年とは思えない諭し方で接する。
「爽介先輩、めっちゃ食いますね」
「小熊こそ、食わねぇと育たねぇぞ」
「お、おっす」
佑真もそうだが、運動部としては食べている方だ。
だが、爽介と比べると半分程度の量。
佑真は運動部の上下関係を抜きにして、爽介に対して理想を抱いている。
(……このメンバーだったら、私や碧が抜けても問題はなさそうなのよね)
逢籃学院の決まり事ではないのだが、特進コースに在籍する生徒で生徒会に所属できるのは二年生まで。三年生からは受験に重きを置くため、紫乃に残された期間は少ない。
咲玖に釘を刺されていた懸念事項だったが、改めて再認識させられる。
「大河さんが生徒会長だったら、私も心配ないだけどね」
「……それはないす、五百瀬会長」
口いっぱいに頬張っていた白米を呑みこむ爽介は、真っすぐと紫乃へと向き合う。
「……そう」
碧と違って、紫乃に対して態度を変える爽介。
理由はわからないでいるが、一年の付き合いがある上でスタンスを変えない。
だから紫乃も追及はせず、変わらず接してきている。
「そっすよ、爽介先輩だったら俺も……」
「めんどい」
「またそれ」
たった一言で済ませる大河に、碧はため息を吐く。
「けどけど、先輩を差し置いて会長職をするというのも――」
「俺より小熊や聖辺の方が適正高いだろう? だから、支える分にはやってやる」
爽介に対して怯えたような、恐る恐るといった態度の愛。
愛の言い分に対しては最もではあるが、爽介の意見も一理ある。
そんな感じで、次期生徒会長という役職についての話し合いは平行線を辿っていた。
(まだ時間はあるとはいえ、どうにかしないとね)
お弁当を広げつつ、紫乃はいつものやり取りを眺めていた。
「……相変わらず会長のお弁当って美味しそうですね」
「そうかしら?」
「勉強もできて運動も、しかも料理までって本当にスゴイですよね!」
席からして近い碧の言葉に、身を乗りだして立ち上がる愛。佑真も興味を示すように横目を向け、薄っすらと目もとを細めている。
「栄養バランスというか、色合いもいっすよね」
「あ、ありがとう」
食べる手を動かし続けてきた爽介ですらも一度は止め、率直な感想を口にする。
だが、紫乃としては申し訳なかった。
(これ、私が作ってるわけじゃないのよね)
今日に限ったわけではなく、日頃からキッチンに立つことはない。
全ては莉乃がいてこそで、勝手に紫乃の株が上がっているのだ。
改めて、紫乃はお弁当の中身を確認する。
ただ詰めればいいと思うお米は、俵のように握られて海苔が巻かれている。他にも一口サイズのミートボールやミニトマトにはプラスチックの串が刺され、汁がでそうなお浸しはカップに入れられていた。それすらも工夫して、各おかず同士の仕切りにしている。
いつもは作ってもらっていることに感謝しながら食べていたが、紫乃の気づかない配慮。
(……これは、なにかしらね)
周囲から関心の眼差しを向けられながらも、紫乃はお弁当の隅に納められた白く、上にかけられたピンク色っぽいジェルの一品に箸を伸ばす。
「それ、ささ身っすか?」
「え、ええ……」
まさかまだ見られているとは思わず、爽介からの指摘に紫乃はただ頷く。
「……スタイル維持の秘訣はそれか?」
「ちょ、破瀬副会長」
「そ、そうですよ」
ギョッとして箸を落とす小熊に対して、恥ずかしがるような愛。
「そんなつもりはないのだけれど、ヘルシーでいいわよね」
食品の名前から、知識としては高タンパク低カロリーというのだけは知っている。休日でもなければ肉々しい物をお昼からは胃が凭れるし、これまでも入っていたことはない。
ただ、初めてのこと。
唐揚げや照り焼きといった鶏肉料理は何度もあったが、ささ身というチョイス。
(……もしかしてこれ)
ふと箸を止めると、生徒会室の入り口が少しだけ騒がしい。
「……誰かいるのかしら」
「班目先輩のようですけど、他にもいるみたいですね」
おもむろに席を立つ愛だったが、先に扉の方が開いた。
「会長殿にお客さんだよ」
「あ、いや、そういうんじゃ」
「……莉乃?」
いつものような口調の咲玖と、まるで借りてきた猫のようにしどろもどろの莉乃。意外な組み合わせに紫乃は驚き、他の生徒会メンバーも同様だった。
何よりも莉乃が生徒会どころか、学院にいる時に紫乃を訪ねてくることが初めて。
よりにもよって、今朝の一件があった後だ。
(……どう、したのかしら?)
紫乃は手の甲を机の下で抓り、夢でないことを確認する。
「入れば?」
「だ、だから、そういうんじゃないですから」
生徒会メンバーでもないのに当たり前のように入ってくる咲玖と違って、莉乃は入り口の前から動こうとしない。
関係者以外立ち入りを禁止していないが、用がない限り当たり前の反応だ。
だからといって、放置するわけにもいかない。
むしろ、両手で大事そうに抱えられたお弁当に目がいく。
「こんなところまで来てくれてありがとう。もしかして私、お弁当を間違えたかしら」
「あっ、えっと……うん」
「そう。……けどごめんなさい、もう――」
「あ~うん! それならいいから、食べちゃって」
紫乃の手もとを見て、莉乃は慌てたように立ち去ろうとする。
「待って、莉乃」
だから紫乃は、席を立って莉乃を追いかける。
「……な、なに?」
もしかしたら逃げられると思ったが、脚を止める莉乃。視線だけは合わせようとしてくれないが、それでも紫乃は良かった。
少しだけ距離を詰めるように歩み寄り、莉乃と向かい合う。
「わざわざここまで届けてくれてありがとう。いつも美味しく頂いてるわ」
こうして面と向かって伝えたことのない素直な感謝。
「……そう」
チラリと向けられた視線と同時に、上げられた顔の口角が弧を描いている。
(このタイミングしかないわよね)
それだけ伝えられれば良かったのだが、紫乃は短く息を吐く。
「あと、ごめんなさい」
「……何が?」
莉乃の声音が少しだけ険を帯び、雰囲気も刺々しくなっていく。
まるで触れれば傷つきそうで、莉乃にとって踏み込まれたくない部分なのだろう。
それに紫乃は気づかず、泣かせてしまった。
最後まで伝えるべく、逃げられないように制服の袖。そのもう一枚下、ワイシャツの袖部分を摘まむ。
「お願い、最後まで言わせて」
咄嗟のことで手を跳ね除けられる覚悟をしていてが、そんなことはなかった。
沈黙を肯定と受け取っていいのかと疑念を抱きつつも、紫乃は喉の渇きを唾液で湿らせる。
「私の伝え方が悪かったわ。普段から莉乃がどれだけ頑張ってくれているか、家の事もだけど全部任せっきり。姉として申し訳ないけれど、莉乃がいるから今があるの。私自身も気づけないところがあって不甲斐ないと思うわ」
生徒会長としての紫乃しか知らない生徒からすれば、全て耳を疑う事実だろう。
だが、事実でしかない。
気づけば勢いのままに感情が、喉元を過ぎて言葉となっていく。
「だけどね、莉乃のことはしっかり見てるから――」
「わ、わかった! わかったからしー姉さん!! 場所を考えて!?」
まだ伝えきれていない莉乃への想いだったが、急に大きな声で遮られてしまう。
袖を摘まんでいた手も振りほどかれ、露骨な拒絶。
(……莉乃)
それが少しだけショックだが、莉乃は逃げだそうとしない。
「わ、私もちょっとカッとなってごめん。だけど、しー姉さんは勘違いしてるから」
「……勘違い?」
「そう! 私が好きでやってることだから、謝ることじゃないから!」
まるで吐き台詞を残していく駆けだす莉乃に、紫乃は数舜思考が遅れて動きだす。
「莉乃!」
普段では絶対に走らない廊下だったが、莉乃を追いかける事情仕方ない。
気づけば階段の踊り場に差しかかる莉乃は歩みを止め、紫乃の事を見あげてくる。
「今日、一緒に帰らない」
いつもは生徒会があって帰りが被らないどころか、朝だって避けられている。
紫乃としては淡い期待を抱いた誘い。
「……か、考えとく」
「そう」
たったその一言、莉乃の気分で変わる返答。
それ以降の会話はなく、莉乃は足早に下階へと去っていく。
(これで、良かったのよね……)
微かに震えている指先を握りしめ、瞼を閉じて深く息を吐く。
それからしばらくその場に立ち尽くし、顔をあげる。
「お昼がまだ途中だったわね」
今日の天気を話題にするような口ぶりで、紫乃は来た道を引き返していく。生徒会室に入ればメンバーからの様々な視線を向けられたが、気にせず席に着いた。
「仲直り出来たっぽい?」
咲玖の潜めたような声だったが、狭い生徒会室だから聞かれているかもしれない。
だけど紫乃は、気にせず頬を緩める。
「……どうかしらね」
少しだけお道化てみせて、以降は咲玖の問いかけもなかった。
そこからしばらく会話はなかったが、ぽつりぽつりと誰かが口を開き、いつもの生徒会室で繰り広げられる日常が戻ってくる。
そのままお昼休みという時間を生徒会室で談笑し、午後への授業までのんびり過ごした。
(そういえば、どこで待ち合わせるか言ってなかったわね)
内心で紫乃は、後悔するのだった。




