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海を望めるテラスで、ギャビーは女中の持ってきたお茶を受け取った。
タープにより日は遮られ、微かに潮の香りのする風が心地よく吹きわたっていった。
「……バカな弟で申し訳ない」
オスカーの言葉に……「バカ」とは、と思わず深く考え込む。
ぼんやりと波を見守ってしまっていたことに気が付いた。先ほど、ランディからモルとの結婚の意志を聞き、なんだか力が抜けてしまったような気がした。青ざめたギャビーにランディは全く気が付かなかったようだが、オスカーはギャビーの様子をうかがうだけの配慮はあった。
詳しい話はまた後で、と言って、ギャビーをその場から連れ出しここに案内したのだった。
「そんなことは」
オスカーの言葉を礼儀正しく否定する。
「少し、ショックだっただけです」
「私は止めたんだ」
オスカーは深いため息をついた。
「ミアが亡くなってからまだ半年しかたっていないのに、別の女性にうつつを抜かすなど、と」
「いいえミアは死んでいません」
言った瞬間しまったと後悔するほどの強い声が出てしまった。
「……あの、死体は見つかっておりませんから」
ギャビーの中ではミアは全く死んでいない。ただ見つかっていないだけという確固たる思いが出てしまった。理性としてはそれがおかしいことくらい気が付いている。半年もして姿を見せないなんてミアだったらあり得ない。だから彼女は死んでいる。
「すまない」
謝罪をためらわなかったのはオスカーだった。
「配慮のない発言だった。私もバカだな」
「そんな……まだ生きていると信じている私の方がたぶん狂人です」
「人はそう簡単に家族の喪失を受け入れられるものではないだろう」
そういったオスカーの言葉に、駆け落ちしたステファニーのことが含まれているのかはわからなかった。
「ランディだが、あれでも当時はミアの死を嘆き悲しんでね。葬儀の後、気分転換に首都に行かせたんだ。あそこはここよりもさらに都会だからいろいろ気晴らしができる。そこでモルと出会ったらしい」
「彼女は?」
「新大陸で財を成した富豪の娘だ。金の採掘事業に携わっているが、彼女の母親はこの国の貴族の出だったそうだ。新大陸でも本国の美しい発音を失わなかったのはそのためだろう。父親と一時帰国している」
「とても美しいお嬢さんですね」
ギャビーの感想にオスカーは答えなかった。
「ランディが恋に落ちるのも無理はないと思います。神秘的な人ですね。新大陸の空気がそうさせるのかしら」
「……私がちゃんと止めるべきだった」
申し訳ないという様子でオスカーは言う。
「ミアのことをもう忘れてしまうのかと。でもランディは、今回は彼女は貴族の出だし、きっと父の反対も少ないと。それでミアのご家族がどんな気持ちでいるかと思うんだと尋ねたが、どうにも明後日な反応を見せて。じゃあヴェスパー家の人間が許したらいいんでしょうと言ったんだ。それで君を招いたようだ。本当に浅慮な弟で申し訳ない。あれは相当モルに入れ込んでいる」
「でも、確かにそうです。きっとシナバーの姉もいないのでしょう」
ギャビーが笑って言った自虐的な言葉にオスカーは笑わなかった。ただじっとギャビーを見つめる。
「おそらく」
ややあって、オスカーは口を開いた。
「君はそうやって、シナバー嫌いの人間の攻撃をかわしてきたのだろうが、私は痛ましさしか感じることができず、非常につらい。私相手には率直に話していただいて構わない。私は……自覚的にはシナバーへの嫌悪感はない。もし無意識で失礼を働いていたら指摘していただきたい」
ギャビーはぽかんとしてオスカーを見てしまった。
これほどにシナバーに友好的な相手には、このルヴァリスで会ったことはなかった。というか存在するかどうかも知らなかった。ミアですら、ギャビーを愛してくれていたのはもともと姉妹だったからであり、ギャビーがもしどこの誰とも知らぬシナバーであればわからない。
何か企んでいるのでは、と思ったが、自分より遥かに上の階級に属し、資産も何もかも比較にならない相手だ。シナバーであるギャビーに何を姑息に企む必要があるだろう。
「お気遣いに感謝いたします」
どこか上ずった声でそう答えるしかなかった。そういうとオスカーはようやくほっとしたように微笑みを見せたのだった。
「……ルヴァリスの町は賑やかだが、いささか煩すぎる。夏の間はぜひこの城でゆっくりしていただきたい」
「そんな!長逗留をするつもりでは」
「是非に。町からは離れているが静かだし海遊びも楽しい。少し行けば森も湖もある。城にはいろんな客も来るから紹介しよう。ルヴァリス地方の人間だけではなく、私が首都にいたころの友人も来るから。彼らはシナバーへの偏見がとても少なくて付き合いやすい相手ばかりだ」
あまりの歓迎ぶりにギャビーは驚きを通り越して純粋に少し嬉しくなってしまったのだった。ただその裏返しが少しだけ見えた。
「……ということは、おそらくローレンス様はわたしにはお会いにならない……?」
オスカーの口から公爵の名前……父親の存在をうかがわせることは一つも出なかった。もともと息子の妻になるはずであった娘の姉妹が来ているのに。
オスカーは申し訳なさそうに微笑みをひっこめた。
「とても頑固な父なんだ」
それは彼自身ではなく、ルヴァリス地方の因習そのものを示しての言葉にも感じ取れた。
「けれど父と出くわすことはないと思う。あまり体の調子がよくないからほとんど継母上と一緒に部屋にこもっているんだ。時々散歩をするけど、動きは遅いから見かけたら不愉快な思いをする前にさっさと逃げてくれ」
こんな表情もできるのかと思うくらい、チャーミングに冗談を言ってオスカーはギャビーを慰める。彼の父親がシナバーへの嫌悪感が強いことはもはや変えられないことである。せめてそれを苦にしないように、という配慮を強く感じ取れた。
「オスカー様」
「オスカーでいいよ」
「オスカー、気を使っていただいてありがとう」
オスカーはギャビーを見つめていた。多分彼にはギャビーには想像できないほどに何か言いたいことも言うべきこともあるのだろ。
同時にそれは公爵家の跡継ぎとしては口にしてはならないことも含んでいる。
「本当ならランディがやるべきなんだが……」
そして話題は最初に戻る。今までの会話で心の準備ができたギャビーは一拍置いてから言った。
「人は進むものです」
たとえ心変わりがあったとしても、いったい誰が責められるだろう。




