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ギャビーの縁談の話はもうずいぶん前から出ていた。父親は特に熱心であった。
それがようやく固まったのは首飾り城の火災から半年がたっていた。もうすぐミアの死から一年となる。
幾人かの候補の中から父が選んだのはアーソニア地方で貿易業を営む一族の三男だった。ルヴァリスには来たことがないが、婿としてこちらに来るという。仕事にかまけてすでに四十を超えているといった。
あってきたが悪くない男だ、と父は話した。
悪くない。
父が言うのならそうなのだろう。
ヴェスパー家にとって有意義な話で、それほど悪くない人柄ならば望むべくもない。アーソニア出身だからシナバーについての偏見も少ないと父親は得意げだった。
一度も会ったことがない男と夫婦になることがよくわからない。ただ父親はギャビーに対してもはや何の感情も持ちえず、ただ家の資産としての娘であり、次の代を生むための存在なのだろうということは推測できた。
明日は男が来るから会ってみろと言う。
会えばいい人間で自分を幸せにしてくれるのかもしれない。
……幸せにしてくれる?
なぜかその言葉がうまくなじまない。
ギャビーは夫となる人物が現れる前日、自室で眠る支度に入るところだった。鏡台の前に座り、髪を櫛梳る。
輝き流れるような金髪に鮮やかな青の目。
夫となる男はギャビーの肖像画に満足げだったそうだ。嫁ぐわけではなく婿に来てくれるわけだから本当に優しく親切なのだろう。
それでも。
唐突に窓の外でこんこんとガラスが叩かれた。ぎょっとしてカーテンを見る。
確かにここは一階だが。
そろりと立ち上がって、ゆっくりとカーテンの隙間から外を見た。
「えっ」
ガラスの向こう、びっくりするほど近くにいたのはモルだった。
モルは表情なままもう一度窓を叩く。ギャビーは慌てて掛け金をはずし、窓を開けた。
「こんばんは」
「こんばんはって……!」
窓越しにモルは相変わらずにこりともしないでそっけなく告げた。やろうと思えば満面の笑みもふるまえるのだからとにかく今はやる必要がないと考えているのだろう。
「迎えに来ました」
「は?」
ギャビーは足もとに置いてあったらしい旅行用トランクを一つ、中に押し込んだ。それを受け取って呆然とギャビーは彼女を見る。
「トランクも用意しました。どうぞ」
「い、いきなり来て一体何を」
「資金の調達に時間がかかってしまいました」
「そうよ、資金。あなたはあの時火事で逃げ出して無一文じゃないかって心配していたのに!」
生存を疑ったことはないがあの混乱の中、彼女が唐突にいなくなったことは気になっていた。
「無一文なわけないでしょう」
モルは心底呆れたように言う。再び足元から拾い上げたのはボストンバックだった。その口をパカリと開けると中には眩い光が詰まっていた。
金銀の地金、真珠に珊瑚にダイヤモンド、サファイア、ルビー、エナメル……無数のネックレスや指輪、イヤリングが入っていた。
「こ……これは……まさか」
「どうせ燃えてしまうはずのものでしたから」
彼女があの火事に乗じて、イライザのものやステファニーの遺産、ひょっとしたらアデラインの幽閉された部屋からも盗んだものだと想像がついた。しかも一部はもう換金したのだろう。盗品だからそれは時間もかかるはずだ。
「手癖が悪い!」
「もともとそのつもりでした。計画を完遂する有能さを賞賛してくださらないのですか?」
モルは悪びれない。
「で、いかがなさいます?」
「何を?」
「私と一緒に行きませんか」
ギャビーは息を飲んだ。モルは幼子に言い含めるように言う。
「言ったでしょう。私は何でもできるけど、力がないって。力があるくせに意気地なしのあなただったらきっといい相棒になれるわ。二人でどこへだって行けるはずです」
「……本気でわたしに声を……?それはわたしを信頼しているということ?」
「私、誰かを信頼したことはないんです。正直、あなたが多分私の役に立つだろうとしか思っておりません」
「……」
でも、とモルは続ける。今までに見たことのない穏やかな声だった。
「フィリップより数段ましだと思っています」
「なんだか比べられても嬉しくない相手ね……」
ギャビーはふっとため息をつく。
「もちろんあなたが明日婚約者に会って平凡に幸せに暮らしたいわ、と思っているのなら誘いもしませんけど。でも私はあなたのことを好ましく思います」
「なんで?」
「ランディのこと、聞きました。死んだんですってね。ええ。あなた……なかなか気の利いたことをするんですね。気が合いそう」
モルは固い表情を崩した。心底楽しそうににやにやしている。その顔立ちは上品な令嬢極まりないのだが、目の奥にある何かは確実に悪辣だ。
「あなた……人殺しを悪いことと思っていないの?」
「思っていません。必要がないからしないけど、必要があればします。あ、アデラインは含んでいませんよ、あれは『人』と数えなくてよろしいですよね」
ギャビーは天を仰ぎそうになる。わたしは人を殺したけれど、それが悪いことだということは知っている。モルは殺したことはないけれど、悪いことだとは思っていない。
モルは本当に何かが壊れている。
自分もだけど。
「私、誰かを好きになるなんて絶対ないと思っていました。そんなの意味がないでしょう。でもあなたのことはとても気になる。ミアしか見てないあなたが私を見てくれたらとても楽しいのではないかしらとも思ったんです」
わからない女だと思う。
彼女はその詳細は知らなくともギャビーがランディを殺したことを感づいている。それを告発するでもなくただ面白がっているのだ。
「……わたしもあなたのこと好きかも」
ギャビーは言う。
「少なくとも、あの土壇場で私に血を分けてくれた人を嫌いにはなれないわ」
脇腹に穴が開いていたのに目が覚めた時には体は無事だった。あの時それができたのは彼女しかいない。
「お礼を申し上げてなかったわ。ありがとう」
「どういたしまして。でも次は遠慮します。なんかあれ気持ち悪いんですよ。あ、ちゃんと配給血は持ってくださいね」
ランディが死んでギャビーは逮捕されるかと思っていたのだ、
でもイライザが何か手を回したのかもしれないが、大騒ぎにはならなかった。
ランディも今頃あの世でミアと幸せになっていればいいと祈っている。殺した相手と殺されそうになった相手をそんな風に思うなんて、エイダンが言ったように自分はちょっと壊れているのだろう。
老いた両親を守るのはこの世に残された自分の役目かもしれないが、自分を煩わしく思っている相手をどうして愛情をもって接することができるだろう。
そして、夫。
ただ、嫌悪感だった。
こんな風に思ってしまう自分は無慈悲だろうか?
バカみたい、自分の自問自答をギャビーは内心で哂った。
女達はみんな無慈悲であるべきだ。
恋のために肉親を殺そうとしたミアも血の繋がらない子供のために義弟を見捨てたイライザも己が狂気で死にさえ無感覚になったアデラインも自分の事だけしか考えないモルも。オスカーを葬ったシャンデリアにさえステファニーの呪詛を感じる。
うかつな慈悲ではなく決死の無慈悲で私たちは幸せになる。
一緒に遠くに行こうとモルは言う。
女二人で一体どこまで辿り着けるのかわからないが、どうしたってそれは挑戦しなければならないことのように思えた。そもそもこの場所に、今は何一つ未練はないのだ。
わたし達は二人でなら、壊れたもの同士で想像もできないような「遠く」にいけるのかもしれない。
ギャビーはトランクを握り締めた。
「意外とわたし、旅行好きかもしれない」
「そのようですね。あの旅行記の書かれた場所に行きましょうか?」
「いい提案だわ」
ギャビーは片手をあげてモルをいったん制す。
「五分待ってて」
「くれぐれも配給血忘れないでくださいね」
モルが言う。
「絶対もう私の血はあげません……本当にお困りの時以外は」
その言葉にちょっと笑ってギャビーは自分の最低限と下着と衣類とありったけの宝飾品をトランクに積み込み始める。
さようなら。この町にはもう帰らない。
清々しさを覚えつつ、心の中で告げる相手はミアだった。
数か月後、メリベル家当主ロバートの妹リンダ充てに小さな小包が届いた。
そこに入っていたものは、彼女の母親であるステファニーが生家より譲り受け、その失踪と共に行方不明になっていた首飾りであった。
差出人の名はないが、小包の消印ははるか南の大陸の砂漠地帯の植民地からであった。
忌める城の無慈悲な淑女
終わり
こちらで完結となります。
お付き合い頂き皆様ありがとうございました。
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それでは、また別の話でお会い出来たら幸いです。




