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 ギャビーが再びメリベル一族に招かれたのは火災から二か月後の事だった。

 メリベル家は現在町近くの屋敷に住んでいる。

 屋敷は昔から持っていたものだが、手狭である。首飾り城よりも大きな屋敷があるが、ケネスがいなくなりベテランのアルマもおらず、そこを管理する使用人をまだ雇えないためランディとイライザ、そしてロバートとリンダで住むくらいならちょうどいいようだった。


 しかしギャビーがランディに招かれたのはそこでもなく、首飾り城の下の砂浜だったのだ。

 おそらく会っていることを誰かに知られたくなかったのだろうということは容易に想像がついた。

 ギャビーも馬車などは使わず、天候が落ち着いているのを理由に町から二時間ほどかけて歩いてきた。砂を踏んで歩くと靴が沈む。ギャビーはそっと靴を脱いで手に持った。靴下も脱いでさくさくと進んでいく。


 盛夏は過ぎ去り、秋の香りを感じる風だった。

 ランディが浜にラグを弾いて座っていた。ギャビーの姿を見つけると立ち上がった。

「久しぶりだね」

 ランディはギャビーに向かって微笑みかけた。ギャビーもまるで二か月前の事件など何もなかったかのように穏やかな表情を返した。

 ランディは少しだけ痩せたようだった。


「なんだか……体調は大丈夫?」

 ギャビーが問うとランディは一瞬苛立ちを浮かべたがそれを巧みに覆い隠して頷いた。おそらくギャビーに指摘されたのが悔しいのだろう。

「特に何にも問題はないよ」

 そんなわけはない。

 今、ランディは闘争の最中なのだ。


 オスカーはローレンスから公爵位を受けついでから死んだ。死の順番に関しては生き残ったギャビーもエイダンも、そしてイライザも証言している。オスカーに子息がいた以上、自動的に後継はロバートになる。

 ただロバートは幼い。したがってランディが後見人となる算段だ。しかし。


 ここにきて不服を述べたのはイライザだった。ランディにはロバートとリンダを育てたという実績がない。まだ二人とも幼く後見人を立てるのは道理としても、ランディは不適格であるとイライザが不服を申し立てたのだった。

 それはランディにとって寝耳に水だったようだ。


 彼は激高した。オスカーが公爵になっても間違いなく自分への配慮もあるであろうから、公爵位に執着はなかった。しかし彼はイライザを信頼していない。ロバートが大きくなるまでの後見人とはいえその間に彼女がメリベル家の資産を使い込むことは耐えられなかったらしい。


 彼もまた王に訴えた。

 イライザは義理の母であったが父が老境に際し招き入れた惑乱の中での結婚であり、正妻にふさわしい女性ではない、あまつさえ二人の母親になどなれないと。


 公爵位の後継者であるロバート・メリベルの後見人をめぐって争いが勃発したのであった。王位とは別であっても莫大な領地と資産をめぐる対立である。貴族界だけでなく新富裕階級や資産家など、あらゆる名士の間でもちきりであった。

 まだ始まったばかりで、長い争いが予想される。おそらくランディがギャビーをここに呼び寄せたのは。


「……まだミアは見つからないんだな」

 エイダン以外は、ミアのことは誰も知らない。ギャビーもただ微笑んで頷く。

「でも少し整理が付きました」

「……逆に今は僕がつらい」

「……モルのことは残念でしたね」

 ギャビーはランディの横に座り込んだ。波の音を聞きながらランディを慰める言葉を探す。


「オスカーともお父様とも、ちゃんとお別れすることができなくて本当にお気の毒に思います」

 ランディはしっかりと頷いた。

「そうなんだ。僕はこんな形ではあったけど、だからこそメリベル家を託されたのだと信じているんだ。だからわかるだろう?あんな女にロバートとリンダを託すことなんてできないってことが。そもそも女が公爵家を治めるなんてどうかしているんだ」


 ランディは。

 ギャビーはゆっくりと彼の横顔を眺めた。

 彼には本当に、意見も思想も信念もなにもないのだ。

 ただ楽しく快適に容易く生きられればいい。だからこそ美しい女に目移りするし、自分の快適さを脅かすイライザを敵視する。彼は表に立ってはいけなかった。オスカーの次であれば、彼は甥や姪の面倒見がよく、ちょっと軽率だけど気のいい有閑階級の男でいられただろう。


 多分彼一人ではイライザに敵対はできないだろう。おそらくだが、親類縁者の中で「後妻ごとき」がロバートとリンダという正当な血統の面倒を見ることに嫌悪感を持つ誰かがいて、それに唆されているのだということは容易く想像できた。

 イライザは頼りない面もあるが貴族社会において有能な才覚を持ち、ロバートとリンダへの愛情は本物だったし、ランディに対しても高貴な血であると一目置いていた。


 彼女は生きる場所が必要なだけの女だ。非常識な贅沢は望んでいない。ロバートとリンダの面倒をみさせ、彼らが大人になった暁には領内に住まわせ、余生を送るに足る仕送りをすればそれで満足のはずだ。

 それすら奪おうとしたからイライザは憤ったのだ。彼女とうまくやる方法もあったのに。

兄のオスカーですら弟をぼんくらといったがその通りだ。


 ミアがいればヴェスパー家が力になったし、モルがいればイライザと敵対するにせよ協力するにせよ、うまく采配できた。

 一人では何もできないのに、女より賢いつもりでいる。


「クイン先生も亡くなってしまって、本当に僕は困っているんだ」

 ギャビーは先月の葬儀を思い出した。エイダン・クインが亡くなったのはついこの間の事だ。多分自殺ではない、けれどあの火事の日から体調を崩し、軽い風邪をあっという間に悪化させて亡くなった。

 わたしは何もしてない、と思う。


 でも何もしなかったのが良くなかったのかもしれない。彼は好奇心でギャビーを生かしたが、毎日自分のしでかしてしまったことを恐れていたのだ。

 罪悪感が彼の気力を奪ったのだろう。

 彼の告白に対してギャビーが熱烈な感謝を示せば彼もまた自尊心を保てたかもしれない。神の領域に踏み込むような傲慢なことをしてしまったという良心の呵責から逃れられた。


 ……知らないわ。


 ギャビーは思う。自分の好奇心の責任くらい自分でもつべきなのだ。いまだに自分は今ここで生きていることが非現実的に思えるのだ、感謝とかそこまで至ることができない。


「なあギャビー、あの火事の日になにがあったのか教えてくれないか」

 ランディが問いかける。

「だってわたしも必死に自室から逃げたところで気を失っていたのよ。何も覚えてなんていないわ」

 ランディは疑うようにギャビーをみる。疑念を隠すことすらできないのかと苛立つ。


「あの火は図書室から出たらしい。どうして人気のないはずの図書室で火事が起きるんだ?なにか見なかったか?」

「ごめんなさい。わからないわ」

 ギャビーの言葉にランディはため息をついた。

 そのまま今度は水平線を見ている。

「ねえランディ、ちょうどおやつ時よ。わたし、フルーツパンチを作ってきたの。せっかくだから飲みましょう」


 ギャビーは持ってきたバスケットを開いた。小さなグラスに水筒からフルーツパンチを注ぐ。幾多の果実のいい香りがした。

「いい色だ」

 ルビー色の酒に赤や紫のベリー、その色に染まったリンゴ、ほかにも何種類もの果実が浮いていた。

 だがランディはそれに口をつけようとしなかった。ギャビーは短く笑い声をあげた。


「なに、ランディ。疑っているの?」

「……今、法廷闘争中ということもあってね」

「わたしに、メリベル家を巡る争いが関係あるのかしら」

 そう言ってギャビーは自ら同じ水筒から注いだフルーツパンチを口にした。結構な量を飲み微笑む。


「少しぬるいけど美味しいわよ」

 ランディはじっとギャビーを見ている。少しでも奇妙な様子がないか伺っているようだ。

 だがそもそもイライザとギャビーはよそよそしく、仲良くする様子もなかったということを思い出したようだ。ギャビーにはイライザの味方をする理由がない。

 少なくともあの晩、ギャビーとイライザの間であった会話を彼は知らない。


「君の目を見ていると、本当にミアそっくりだと思うよ」

「……ありがとう」

 やがてランディはフルーツパンチに口をつけた。グラスの縁を指先で拭ってという用心深さだったが。

 緋色の液体が彼の口に滑り込み、喉が動くのをギャビーは横目でちらりと一瞬だけ確認した。


「……それで、ロバートは寄宿学校へ?」

「そうだね」

「リンダは?」

「いい家庭教師を探しているよ。いずれ良いところに嫁ぐためには必要だろう?」

 刺繍に絵画に音楽に、とランディは続ける。

「君も結婚する相手は探しているんだろう?良ければ僕の友人を紹介しようか?」

「結構よ。あなたのご友人はわたしにはもったいないわ」

 ギャビーは微笑む。


「それに多分、それは実現しないと思う」

 ランディが息を詰まらせたのはその瞬間だった。急にくっと短く声上げたあと、胸を抑える。


「……息が……!?」

 急激に顔を青ざめさせて彼はラグに爪を立てた。そのまま座った姿勢を維持できずラグに倒れこむ。顔を上げ、目を見開いて驚愕の視線でギャビーを見つめる。ギャビーは身じろぎもせず、膝を抱えて座ったまま彼を眺めていた。

「ギャビー……!?」

 ぜいぜいと喘鳴を上げるその様は、あの晩菓子をつまんだ後の症状と酷似し、そしてさらに激烈だった。


「あのね」

 ギャビーは彼の目を見て噛んで含めるように言う。

「あなたきっと、珍しい南洋の果実は体に合わないのよ」

 ギャビーは覚えていた。エイダンが孫の体質で卵が合わないということを嘆いたのを。食べ物が特定の人間にだけ悪く作用するなんて理解しがたいと思う人間もいるだろうがギャビーはそれに賭けてみた。


 ローレンスが亡くなる前日に、ランディはお茶会の後に体調を崩した。

 最初は毒物を疑ったが、でもあの時は、ランディに毒を盛るような人間はいなかった。ならば何が原因だったか。

 あの時、ランディが食べた物でもっとも怪しいのは、珍しいという南洋の果実だった。食べ慣れているものならばそんなことにはならない。なってもそれを特定できる。珍しく、食べつけないものとしか答えがない。

 あの時は小さな菓子の一片。

 でもフルーツパンチには、恐ろしくたくさんの果汁を含めている。


 唇が真っ青になっているランディにギャビーは告げた。

「メリベル家の財産争いには本当に関係していないのよ、どうでもいい」

 ランディにドレスの裾を掴まれそうになってギャビーはすいと足を弾く。それを追うだけの力はランディにはない。

「……ただわたしは、あなたがミアにしたことが……違うわね、しなかったことが許せない」

 シナバーである自分が一番悪いということは承知している。


 でももし、ローレンス公が何と言おうとも、ランディがミアを好きでいると言ってくれれば。姉がシナバーであっても関係ないと言ってくれれば、ミアはギャビーの排除を考えないで済んだのだ。

 もしミアが「ギャビーが邪魔なの、ごめんなさい」と、言ってくれれば自分は死んだけど、ミアはギャビーにそう言えず、うかつな企みによって自分の命を落とすことになってしまった。

 本当ならばランディにミアを渡したくなかった。それでもしかたないと思ったのは彼がミアを何をおいても守ってくれるであろうと信頼したからである。それを裏切ってミアが死んだ。


「何があっても君が好きだよって言ってくれれば、ミアは死なないで済んだのに」

 ギャビーはラグの上に這い蹲って、すでに眼球を上転させ、意識も危ういランディの前髪を撫でた。

「ハンサムが台無しね」

 指先で垂れたよだれを拭い去ってあげたが、その唇からの呼吸は今にも消えそうなほどに弱弱しいものしか感じ取れなかった。


「多分わたし、あなたのこと大嫌いだった。わたしからミアを奪うものを好きになれるはずがなかった」

 びっくりした、とギャビーは空を仰ぐ。

 こんなに誰かを嫌いになれるなんて。


「……向こうでミアにあったら、ごめんなさいとわたしが言っていたと伝えて欲しいのだけど」

 ギャビーは散らばったグラスを片付けバスケットに収める。それからギャビーはランディの手を取って中に小さなものを握らせた。

「これ、持って行っていいから」

 握らせたのは大きなサファイヤが付いた指輪だ。あの日ミアと一緒に失われ、エイダンが拾い、ギャビーを通って彼に戻った。


「探していたんでしょう?」

 ギャビーは微笑む。

 そして立ち上がって服の砂を払い、確かな足取りで再び砂地を歩き出した。




 ランディ・メリベルの不審な死は、半月ほど世間を賑わせた。

 けれどギャビー・ヴェスパーが怪しまれることもなく、イライザ・メリベルに疑いが及びこともなく、かといって誰かが捕まることもなく、病死として、ただ引き返す波に消える足跡のようにやがて話題はかすんでいった。

 後見人に決まると同時にイライザは公的な名前をイライザからエリザベスに変えたことが記録には記されているが、ギャビー以外、誰も理由は知らない。

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