23
ランディは体調を崩しただけで済んだ。夜半には柔らかなパン粥を口にできるようになったのだ。……らしい。
自室に運ばれていったランディと会うことはまだできていない。
それがギャビーへの拒絶なのか警戒なのか、偶然なのかはまだわからない。モルは彼についてエイダンと一緒に居るが彼女もまた出てこなかった。
「クイン先生も大変だわ」
病人ばかりの屋敷に思いを寄せてギャビーはため息をついた。
ギャビーはそれでも深夜を回ってから自室を出た。さすがに場内も静まり返っている。中庭越しにランディの部屋あたりを見てみれば控えめに明かりがともされていた。
日中モルと約束した時間、約束したこの場所……サロンの前に来てみたが彼女の姿はなかった。ランディにつききりなのかもしれない。
しばらくまってその結論に達したギャビーは自分だけで城内を探ろうと歩き始めた。
「お待ちください」
そっと控えめな声が聞こえたのはその時だ。ほとんど音もなく、モルが一番近い階段を下りてきた。
「遅かったのね」
「不自然ではない形で去るには時間が必要で」
さすがにこの時間になればエイダンあたりが「モルも休んだらどうだい」と言ってくれたのだろう。二人はそれ以上無駄な話もなくそっと内側から窓の鍵を開け、海に面した窓を開いた。先にギャビーが出てモルを内側から引き上げる。
柔らかい草の生えた外庭に出れば波の音がより鮮明だった。二人は昨日途中で逃げ出すことになった海への階段に向かう。
「あなたが見かけた奇妙なものってなんですか?」
今日向かっている場所はギャビーの提案だった。ギャビーはここに来た日に海辺から見かけた奇妙な光の話をする。
「崖の中腹に奇妙な光」
モルは神妙に頷いた。
「何かがあるとお考えなのですね?でもどうやって崖の途中にある場所に」
「崖を登ろうかと」
ギャビーの答えにモルが珍しく表情を険しくした。一拍置いて口にしたのは。
「奇特な行動ですわ」
「まあ普通の人間なら。でも私はシナバーだから」
「私、今まで周囲にシナバーがいなかったので、正直どういった方々か存じ上げないのです」
それに答えようかと思ったが、その時に二人は海への石階段続く回廊に来ていた。この先で昨日は奇妙な生き物にあったのだ。
ギャビーは部屋から持ってきた暖炉の火掻棒を握りなおした。気が付けばモルも銃を手にしている。
「……わたしも今まで周りに拳銃を使う令嬢はいなかったわね」
ぼそっと聞こえない程度に呟く。そして二人は回廊に足を踏み入れそのまま石階段まで足を進めた。しばらく行ってあの鉄格子のところまで来ても音は聞こえなかった。ギャビーは手にしている鍵で鉄格子を開けてさらに海に向かって階段を降りる。
「……あなたのお父様は……キンケイドさんは夜中に何かを探していらっしゃったの?」
ギャビーは持ってきたランプを階段の先に掲げながら足元に注意して下りていく。背後のモルも銃口に注意しながらついてきていた。ギャビーの質問に答えるものはモルの足音だけでしばらくモルの声は戻ってこなかった。
「……それは答えた方がよろしいでしょうか」
モルの言葉には確かに硬さがあった。ということはやはりフィリップ・キンケイドは夜中に出歩いているところを何か襲われ、しかも出歩いている理由は言いづらいもので……モルはそれを知っているということではないかと思い至る。
「……多分ろくでもない理由ね」
ギャビーはため息がてら自分から答えた。
「でもいいわ。あなた方親子の理由はどうでもいい」
「どうでもよろしいの?」
「あなた方がミアの死に関わっているというのはさすがに時期的に難しいような気がするから。わたしはミアの行方を追いたいだけで、別にランディが誰と結婚しようとそれはどうでもいいの」
「……あなたは本当に」
珍しく歯切れの悪いモルの言葉にギャビーが振り向いたときは、目の前に海が広がっていた。階段を降り切ったのだ。ギャビーを追い越して浜の砂を踏んで夜風にモルは目を細めた。
「ミアが好きだったんですね」
「わたしの味方はミアしかいないから」
それが現在形であることにすぐに気が付いたらしいモルはただギャビーを見つめて黙っていた。モルの察しの良さにギャビーは驚く。
「……そんなに好きになれる方が居てうらやましい」
モルの唇からこぼれた言葉は彼女自身にとっても想定外のようだった。はっとしたように口を閉じる。
「……誰かを好きになったことがないの?」
「……ランディを」
唐突にとってつけたような言い方に思わずギャビーは笑ってしまった。
「バカね」
モルは一瞬憤懣やるかたないとばかりに唇を尖らせたが、やがて彼女も取り繕うことをやめたのかうっすらと笑った。
「恋なんて、きっとわたしは一生しません」
薄い可憐な微笑みのままだが、それが彼女の血を吐くような慟哭であると気が付いて、ギャビーは思わずまっすぐに彼女を見つめる。
「そんなものに価値なんてありませんから」
彼女はいったい何者なのだろうと、初めて気になる。それは自分との関係ではなくただ単にモル・キンケイドという人間を意識した瞬間だった。
「……恋ぐらいあなたならいくらでできるでしょう」
「興味がありません。忙しいし」
「この屋敷では一番忙しいだろうケネスだって恋ぐらいしているわ」
ギャビーの言葉にモルはふと興味深げな顔をした。
「あら、ケネスの恋愛話なんてお聞きに?」
「聞いたというわけじゃない」
なんとなく口にしてしまったが、不味いことを言ってしまったのだろうかと思いなおしたギャビーだが、逆にモルは食いついてきた。
仕方なくギャビーはポケットに入りっぱなしだった先日のメモを取り出した。ケネスとエリザベスというものの間で取り交わされたメモ。
モルはそれを読みおわるとギャビーの顔をちらりと見てから何も言わずそれをさっさと自分の懐に入れたのだった。まるでもとから自分のものだったといわんばかりだ。
「え?」
「さて、おしゃべりはここまででしょう。行きましょう」
「ちょっとまって、返してよ」
「だってあなたのものじゃないでしょう?」
モルはしゃあしゃあと答える。
「そうだけど、私はそのうち返すつもりで」
「じゃあ私からお返しします。私の物ではないかもしれないけどあなたの物でもないなら同じだと思います」
「ええーっ?」
モルの詭弁にあっけにとられている間にモルはすたすたと歩き始めてしまった。仕方なくギャビーも彼女を追いかける。
二人は岩場の方に回り込むと崖を見上げた。ギャビーはあの日見たあたりを指で示した。




