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「……モル……?」

「こんばんは、ギャビー・ヴェスパー」

 育ちの良い令嬢そのままの美しい発音で夜の挨拶をする彼女はギャビーを見ない。まっすぐに銃口の向く先、標的である触手を睨みつけていた。


 びたりと湿った音がして、ギャビーが再びそちらを見た瞬間にはその三本の触手はあっという間に階段の先の闇に消えていった。蛇のような素早さで見えなくなる。


「細くてよく当てることができませんでした」

 舌打ちなどしなかったが忌々し気にモルは呟いた。そして片方の銃を下げる。彼女はドレスの太腿のあたりに銃を持ったまま手を突っ込んだ。手を出した時には銃は手には握られていなかった。ドレスには隠しポケットのように切込みがあって、おそらく足に巻き付けられたガンホルダーに銃を預けたのだろうということは分かった。


 モルが弾丸で追い払ってくれた。なかなかの腕前である。そしてドレスは彼女の銃のために特別にあつらえたものであろう。


 わかる。

 わからないのは、そんな令嬢いる?ということだ。


「モル」

 モルはギャビーを見下ろしていた。

「お立ちになったらいかがでしょう?」

「あ、はい」

 自分より若く小柄な彼女なのに、城内では全く見せていなかった気迫におされてギャビーは慌てて立ち上がった。


「先に申し上げておきますけど、このことを場内の誰かに言ったら許しません」

「あなた一体何者?」

「まず私の言ったことに了承願いたいのですが?」

「……言わないけど」

 ギャビーの曖昧な返事にモルがその揺らがない美貌の迫力を増して睨みつけてきた。

「言わないわ」

 ギャビーは両手を挙げた。どんな理由があるのかは今のところ分からないが、少なくとも今は恩人だ。


「結構」

 モルが頷く。

「あなた……いったい」

 二丁拳銃を持っている貴族の令嬢なんて聞いたことがない。それとも新大陸ではそれが標準なんだろうか。

 モルはまだ警戒しているのか、階段の先の暗がりに銃口を向けている。


「……行きましょう。先ほどのよくわからないものがまた来るかもしれません。屋敷に戻ったほうがいいと思います。それに銃声も響いてしまいました。誰かが聞きつけたとも限りません」


 それだけ言い放って彼女はあっという間にギャビーに背を向けてしまった。そのまますたすたと階段を登っていく。話の中断にぽかんとしたギャビーであったが、慌てて階段を登り始めた。一度だけ振り返ったが階段の先からは波の寄せ返す音が聞こえるだけだ。


 人が集まってきたら、言い訳に苦労するのはギャビーも同じだ。二人そろって急ぎ足で階段を登り、サロンにたどり着く。

 ギャビーが入るのを待ってモルは扉を閉める。鍵の掛け金を下す姿を見て、先ほどここが開いていた理由はモルが先に開けたためだと気が付いた。


 ……どうやって?


 ランディの婚約者とはいえ、まさか鍵を預けられているとは思えない。

 その答えはサロンを出たところでわかった。サロンに入る扉の鍵を閉めるためモルは廊下にしゃがみこんだ。どこからか出した細い針金のようなものを鍵穴に差し込む。しばらくごそごそといじっていたがやがてカチリと鍵の閉まるかすかな音がしたのだった。


 ますます正体がわからない。


「おやすみなさい。良い夜を」

 あっさりと去ろうとするモルの手をギャビーはとっさにつかんでしまった。

「あ、あの」

「こんな深夜に二人で話し込んでいたら見つかった時に困るでしょう」


 モルはギャビーよりずいぶん小柄だが、見上げてくる視線には臆するところが何もない。

 その強さは意志だった。


 今までお人形のようだと思っていた自分を愚かだと思った。何も見ていなかった。公爵家と釣り合うような名家の令嬢なら何一つ苦労したこともなく、世の中にすっかり甘えていきているのだと。

 ただの肩書への偏見が自分に合ったことに驚く。それは自分が痛烈に感じ取ってきたことだというのに。


 その内心を見透かしたかのように彼女はにこりと笑った。あのランディに向ける鮮やかな悪意など一つも感じないような無垢とさえ言える笑顔で。


「ぜひ、明日はお茶をご一緒しましょう」

 一瞬の変容に唖然としている間に彼女は廊下を足早に消えていった。

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