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 モルが自分の父親に起こった悲劇を知ることができたのは、夕刻近かった。現在この屋敷に留まっているもの全員を客間に集めてのことだった。

 メリベル家の者、招待客、そしてケネスやアルマをはじめとする使用人たち。皆『今朝何かがあったことは知っている』。しかしそのあったことの実際を知らない者たちはずっと落ち着かない気分で今日を過ごしてきたのだろう。


 モルは集められる前にオスカーから話を多少なりとも聞いているようだった。心なしか顔色が悪い。今ここにいないのはローレンスと、その彼に付き添っているエイダンと子供部屋に押し込められた子供たち二人だけだった。


 全員に対し、オスカーは静かに告げた。

「当家のお客様のフィリップ・キンケイド氏が今朝がたより行方不明になっている。皆様々に憶測しているだろうと思うが、落ち着いて行動するように」

 それだけの単純なものだった。当然使用人たちは納得していないが、オスカーは無責任な興味をかき立てる説明をする気は一切ないようで、そのまま彼らに退室を促したのだった。


 残ったのはギャビーとモル、ランディ、イライザ。そしてケネスくらいだった。ギャビーは先ほどからテーブルに乗っている箱が気になってならない。箱は両手で抱えられるくらいの木の箱で、そこからわずかに漂ってくる香りはギャビーの気持ちをざわつかせる。

 ローレンスの様子見を使用人と入れ替わったのか、エイダンがサロンにはいってきた。それぞれ適当な椅子やソファに身を落ち着けているのを見ると、テーブルの前に立っているオスカーに近づいた。


「モル」

 青ざめた顔でモルがテーブルに近づいた。どこかしら足元がおぼつかないようなふわふわとした動きだ。

「先ほども話をしたが、今朝がた実はフィリップの体の一部が見つかったんだ。もしこれがそうなら彼はすごく大怪我をしていると思う」

 まるで子供に言い聞かせるような口調でオスカーは語る。


 そうだ、確かに彼女はまだ子供でオスカーは大人なのだとギャビーは改めて思い至った。

彼は自分よりの年下のものに無意識レベルで優しく対応することができる人間なのだと思う。ローレンスの子とは思えない優しさだった。


「身に着けている物からしてフィリップで間違いないと思う。無残な姿だから見ないことをお勧めする。君はどうする?」

 テーブルの上の不自然な箱はフィリップの腕が入っていたのだ。

 見なくてもいいとモルに穏やかに話しかけているオスカーはすでにこの屋敷を率いている頼もしさがあった。

「……確認します」

 消え入りそうな声でモルが言った。あり合わせで誂えたことがわかる武骨な木の箱の蓋をゆっくりと開ける。


 覗き込んだモルはしばらく凝視ともいえる真剣さで中を見つめていた。

 瞳は大きく見開かれ、ふっくらした唇はわずかに開いていた。青ざめていても美しい顔立ちにギャビーは感動すら覚える。


「……おそらく父です」

 やがてモルは短く答えるとその蓋をやや乱暴に閉ざした。

 繊細で、指先を少し切っても倒れてしまいそうな風情の女性なのに、父の体を前にして泣き崩れなかったことは少し意外だ。彼女はただ、淡々としている。


 気丈。

 浮かんだ言葉にギャビー少しばかり自己嫌悪を覚えた。


 彼女が傷ついていないわけがないのだ。それでも懸命に気力を保っている。ここに来て父の顔を確認したのはやっとの行動だったかもしれない。

 彼女がどれほどの悲しみを抱いているかはミアの不在を知る自分ならわかるかもしれないが、だからといってそれを和らげてあげることはできないだろう。


「ありがとうモル。残酷なもの見せてしまって申し訳ない」

「いいえ」

 静かに答えたモルに寄り添ったのはランディだった。肩を抱きとめるとモルはその頭を彼に寄せた。ただ眼を閉じて身じろぎもしない。

 美しい恋人達の絵そのものように見える。

「モル、犯人をちゃんと突き止めるから。フィリップはきっと生きて見つかるよ」

 ランディの言葉にも彼女は声を返さなかった。


 ただ悲しみに沈んでいるというよりも何かを深く考えているように見えたのは、最初に時に感じた彼女への違和感のせいだろうかと思う。

 何かがギャビーを落ち着かなくさせていた。




 そのままモルは自室に引きこもってしまった。無理もないとギャビーも思う。彼女にはランディとイライザが付き添っているということで、ギャビーはまた一人で食事かと思った。

 ところがオスカーが声をかけてきたのだった。


「今日は父も眠ってしまったから」

 そう言って彼はダイニングにギャビーを案内した。そこではすでにエイダンが待っていた。

「先生は」

 言いかけてギャビーはやめた。

 おそらく彼も巻き込まれてしまったのだろう。もっとやんわりした言い方かもしれないが、ローレンスがエイダンの帰宅を嫌がったとしても不思議はない。ただエイダンはメリベル家のお抱え医師だ。ギャビーよりさらに反抗しづらい理由もある。

 察したギャビーは特に何も言わず、静かに彼に微笑みかけた。


「先生がご一緒で嬉しいです」

「私も美しいお嬢さんと一緒で夕食とは嬉しい」

「おや、私はお邪魔かな」

 血生臭い夜明けから今日の日没を迎えて、その場の空気がようやく緩んだ。


 ダイニングには二十人近くが一斉に食事を摂れる巨大なテーブルがあった。白いパリッとしたクロスがかけられ、銀の蝋燭立てと重厚感のあるガラスの花器が乗せられていた。この屋敷のカトラリーはいつも曇り一つない銀製だ。

 テーブルについた三人に、女中が食事を提供する。軽いミートパイ程度だったがそれは三人の食欲がないことを察してのものだろう。皆で赤ワインの入ったグラスを掲げた。


「フィリップ・キンケイドが無事見つかることを祈って」

 オスカーの言葉には強い労りがあったが空々しさは隠せなかった。日中に使用人を使って城内や浜まで探したが彼は見つからなかったのだ。それだけでなく血痕すらなかった。あれだけの大怪我をして遠くに行けるわけもないし、隠れていられるわけがない。

 おそらく、ということは全員が分かっていたがそれを口にするのは憚られた。


「ギャビーとクイン先生はお知り合いだったんだね」

「ええ、あの大怪我をした時に助けて下さって」

「褒められるほどのことはしていないよ」

 エイダンは気恥ずかしそうに微笑んだ。


「しばらく先生の診療所でお世話になっていました。アンソニー坊やはわたしを覚えていらっしゃるかしら」

「もちろん。それに気弱で泣き虫なのは変わらないよ」

 アンソニーはエイダンの孫だ。ロバートが友達だと話していたが、彼より少し幼い。いつも自分の親の後ろに隠れてしまうような子供だったが、最後には少し仲良くなれた。


「アンソニーも連れてきていただけばよかったと考えていた。でもこんな物騒なことになってしまった以上、家に置いてきてくださったのは幸運だ」

 オスカーは残念そうに漏らした。

「ロバートとアンソニーは友達ですよね」

「ロバートも妹と仲はいいが弟を欲しがっていてね。とはいえそれは無理な話だ。だからアンソニーを弟みたいにかわいがっているようだ」


 しっかりしたロバートと引っ込み思案のアンソニーはたしかに馬が合うかもしれないと思えた。可愛い子供達が仲良く遊んでいる様子を想像するのはギャビーにとっても楽しい。

「まあ事件はさておき、実はアンソニーはここしばらく体調を崩しておりました」

 ギャビーはオスカーと顔を見合わせてしまった。


「いや、大病をしているわけではないのです。しかし、どうも特定の食べ物を食べると皮膚が荒れてしまって」

「どういうことなんだい?」

 オスカーは首を傾げた。


「実は卵なんですけどね。それを口にすると皮膚炎が起きるのです。痒がって可哀そうで」

「そんなことがあるのか?だって卵じゃないか。食べ物だ」

「別に毒もありませんのに」

 エイダンは頷く。


「とはいえ原因はそれしか考えられない。実験などとてもできませんが、卵を口にした時と皮膚炎の時期は相関関係にあるのです」

「あまり食べたことがないからじゃないかな。慣らせば大丈夫では?」

 強く反論はしないがすこしだけクイン医師は困ったように答える。

「孫ですからね。危険なことはできませんよ。卵を遠ざけるしかありません」

「美味しいのに、かわいそうだな」

 オスカーは残念だと首を横に振った。


 他の人間にはなんでもない食べ物であるのに、特定のものを摂取した時にだけ現れる症状。

 不思議なこともあるのねとギャビーは考える。医学的知識など何もないから言えることはないが、エイダンがそう言うということはある程度確信があるのだろう。


「早く良くなるといいですね」

 ギャビーの言葉にエイダンはありがとうと返す。

「そうだな、ロバートもアンソニーと遊ぶことを楽しみにしているようだ」

「ありがたい話です」

「そういえば、二人の面倒は誰が?」


「イライザが見ていてくれるが、いまはきっとアルマだろう。イライザは今ランディとモルと一緒に食事をとっているから」

「イライザはお父様の奥様で」

「継母ではあるがとても父や私たちに良くしてくれている。特に子供に対してね」

 エイダンが口を開く。


「オスカー様は再婚はお考えにならないのですか?イライザは良くしてくれるでしょうが所詮は義理の祖母です。親身になって子供たちを育ててくれる奥様を探したら?」

 ギャビーに言われたこととほとんど変わらないことをエイダンにも言われ、今度はオスカーが言葉に詰まった。


「それにあなたも、次の人生を探してもいいかと思います」

「ははは」

 オスカーは肩をすくめた。

「クイン先生に言われると、肩身が狭い。小さな時におなかに聴診器を当てられていた相手ではどうにも分が悪いな。でもまだそんな気にはちょっとなれなくて」


 ギャビーはオスカーとエイダンを交互に眺める。二人の間には馴染んだ気安さがある。人を寄せ付けない印象のオスカーも今ばかりは穏やかな表情だった。

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