15
「ギャビー」
ギャビーが借りている客間の寝室に声をかけたのはオスカーだった。
目を閉じていたギャビーはゆっくりと開き天井を見上げる。昼の光の中で天井に描かれた神話の一シーンはとてもはっきりと見ることができた。
「調子はどうだろうか」
「ちょっと頭が痛いだけで。大丈夫です」
フィリップの腕を見つけてもう半日、時刻は昼近くになっていた。
あの時ギャビーの声で、近くで床を掃除していた女中が駆け付けた。彼女にオスカーを呼びに行ってもらったのだ。女中の血相をかえた呼び出しでオスカーがガウン姿で駆け付けてきた。ギャビーはその時点でもうそこにいることができず、自分の部屋に引っ込んで寝台に倒れ伏してしまったのだった。
オスカーはケネスから話を聞いたりしただろうが、とてもそれに付き合っている余裕はなかった。
「医者を呼んでおいたから、気になることがあったら話すといい」
彼が室内に招き寄せたのはエイダン・クインだった。
「確か顔見知りだったね」
「先生、ここまでわざわざ?」
エイダンはオスカーとギャビーの顔を見比べた。
「オスカーに呼ばれてね。君も大変だね、こんな大変な事件の第一発見者とは」
そういいながらエイダンは近寄ってきて、ギャビーのベッドの横に椅子を引いてくると座った。入れ替わりの様にオスカーが出て行く。
「何か具合の悪いところはあるかい?」
「シナバーですよ、心配しないで」
「でもあんなすごいものを見てしまっては」
「……先生、もしかしてあれをご覧に?」
エイダンは頷いた。
「オスカーに呼ばれたのはそのためだ。君のことは次点だよ。あの怪我の後とか、果たして生きている可能性のある怪我なのかどうかを聞かされた」
「あんな凄まじい物を……」
「見つけてしまった君の方が運が無い」
エイダンは穏やかにギャビーを気遣った。この老医師をギャビーは好きだ。温和な性格がうかがえる柔らかい口調には、いろいろなことを話してしまいそうになる。しかも彼は命の恩人なのだ。崖から落ちたときに彼が見つけて治療してくれなければさすがにシナバーのギャビーでも死んでいた。
「どれ、脈だけでもみようか」
平気ですと言い張るギャビーを微笑んで受け止め、彼はギャビーの手首をとった。シナバーなんだから無意味だというわけでもなく、普通の人間として自分を受け止めてくれる彼をギャビーは好きだった。
「……先生。キンケイドさんはご無事だと思いますか?」
ギャビーは声を潜め尋ねた。
脈数を数えている振りをしてエイダンが逡巡しているのはわかったので特に催促はしなかった。静かな時間が終わり、エイダンが顔を上げる。
「脈数は良さそうだ」
ギャビーの視線から答えを待っていることを察し、諦めたようにエイダンは言った。
「こんなことを言うのは問題だと思うが、おそらく彼自身は体が見つかっても生きている可能性は低いと思う」
「……そうですか」
「でも不思議だね」
エイダンは困惑を隠さなかった。
「海岸からの入り口はサロンの入り口が閉まっているから入れない。逆に屋敷側からは朝にケネスが明けるまで扉が開かない。じゃあどうやって彼はあの室内に入ったんだろう」
「……あそこは閉じ込められた部屋だったんですか?」
「そう、確かに鍵を壊せば入れるがそういった痕跡は全くなかった。しかも女中頭のアルマが、深夜、ケネスが戸締りをした後に、応接室でランディと酒を飲みながら話をしているフィリップを見ているんだ」
「じゃあ、どちら側からも入れないのに」
「窓は開いていた。でも装飾のための窓で全開にしてもそれこそ腕一本しか通らないくらいの幅だ。そこから投げて偶然椅子の上に腕が乗るのは難しい角度だった」
「人はやっぱり通らないんですね」
「……不思議だろう」
エイダンにはふざけた様子はなかった。
「当然鍵を閉める時には誰もいなかったはず」
二人の間に沈黙が落ちる。
「誰かがキンケイドさんをどこか別の場所で傷つけて、そして腕だけをサロンに置いた。……全然意味が分かりません」
「必要性も感じないけど、やった人間には意味があるんだろうか?」
「モルにはもう誰か説明したんですか?」
「どうだろう。私は知らないが……」
エイダンはそういうと、ギャビーの顔を覗き込んだ。
「目の具合はどうかな」
「得に調子の悪いということは……」
「よかった」
エイダンは時々ギャビーの目のことを気にかける。あの馬車事故の時に自分は怪我でもしたのだろうか?もう覚えていない。
「……ローレンス様の具合もあまり思わしくないので私もしばらくここに留まることになった。何かあれば声をかけてくれ」
エイダンはそう言って立ち上がった、
『私も』。エイダンはそう言った。その意味が解るのはオスカーと話をしてからであった。エイダンと入れ替わるようにしてオスカーが再び寝室に入ってきたのだった。驚いたことにオスカーは自らワゴンを押して部屋に入ってきた。




