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 一晩だけのちょっとした強風が収まってしまえば、明け方の空は眩いばかりだった。目が覚めて窓の外を見たギャビーは夜明けの海岸線に早朝のうちに海に出かけようと考えた。

 まだ女中も起きていないようだが、手早く身支度を整え、部屋の外に出た。明るければ昨日見た崖の真ん中の奇妙な光の正体もわかるかもしれない。そのくらいの気持ちだった。


 部屋を出てみれば城内はまだとても静かだ。

 昨日オスカーに返し忘れた鍵を手に、ギャビーは一階に下りると昨日辿った海への通路に向かったのだった。


「おはようございます」

 驚いたようにそう話しかけてきたのは、すっかり身なりを整えたケネスだった。彼は昨日も遅くまで起きていたようだったし、いったいいつ寝ているのだろうかと思う。

 廊下で出会うと彼もまた同じ方向に向かうようだった。


「こんなに朝早くにどうなさいました」

「あまりにも外が明るかったのでちょっと海でも見ようかと」

 呆れるかと思ったがケネスはにっこりとほほ笑んだ。


「そうですね、今日の海は美しいかと思います。昨晩の影響でまだ荒れていると思いますから充分気を付けてください。でもこんなに早いと、サロンにはいけませんよ」

「どういうこと?」

「回廊の鍵を開けるのはこの時間の私の役目だからです」

「回廊に続くサロンにも鍵がかかっているのね。教えてもらえてよかった」

「ここでちょうどお会いできて幸運です」


 二人がそう話す間に回廊の入り口に辿り着いた。今までは日中で扉が大きく開いていたため逆に気が付かなかったが、立派な木の扉で閉ざされており、ケネスは手にした鍵の束から間違えることなく一本を選んだ。


「ケネスは毎日こんなに早起きなの?」

「慣れれば平気ですよ」

 重々しい金属音と共に鍵が開きケネスは両手で扉を開いた。そしてギャビーはそこを通り抜け、ケネスは素通りして各々の目的地に向かうはずだった。


 ギャビーは自分の肌が総毛だったことを感じた。


 部屋に充満しているのは強い香りだった。馴染んでいる、とは言い難いが、よく似たものを知っている。

「……あれは」

 ギャビーは奇妙な香りに気が付きながらも、それが己の知るものとは想像できず、ただ違和感だけを覚えながらサロンを覗き込んだ。


 こちらに背を向けている美しい椅子には誰かが座っているようだった。全身は背もたれに隠れて見えないが右腕だけが肘掛けに置かれていて見えた。

 立派な黒い衣装に、各指につけられた宝石の指輪。特に目立つのは右手人差し指の巨大な翡翠がはまった黄金の指輪だ。

 それに該当する人物にはギャビーは一人しかここあたりが無い。


「フィリップ様」

 先に気が付いたケネスが声をかけた。

 あれはモルの父親のフィリップだ。こんな朝早くから椅子に座っている理由はさっぱりわからないがその指輪には見覚えがあった。


 ……違う。

 朝早くが問題ではない。どうして鍵がかかった部屋に、彼は座っているのだろう。昨晩の戸締りの時からまさかここにいたというのか。

 ケネスも不思議そうな響きを隠せないまま呼びかけ、進む。なんとなく彼の後に続いたギャビーはケネスに一瞬遅れてソファを覗き込んだ。


 椅子の上には腕しかなかった。


 肩のあたりから、服も腕自身も無残に引きちぎられ、荒っぽい切断面がそのままに、ぽいとおかれていたのだった。たまたまか、意図的か、まるでひじ掛けに腕を置いているように見えただけだ。

 馴染んだ香りは血の匂いだった。

 ふぁっ?という空気が抜けたような悲鳴を上げてケネスが二、三歩と後ろによろめいた。しかしギャビーも両手を口で覆ってひきつったような呼吸を繰り返すばかりだった。あまりに驚きすぎると悲鳴も出せない。


 ケネスの手から鍵の束がまとまって床に落ち、耳障りな音を立てる。

 見下ろした床にはほとんど血痕はなかった。ソファの上だけが、腕から出たのであろう血で染みになっているだけだ。

 腕へと続くフィリップの体はこの部屋には無く、おそろしく奇妙な光景に足元がおぼつかなくなるようなめまいを感じながらもようやくギャビーは息を大きく吸い込んだ。


「だ」

 吸い込んだ息のありに声が出ないような気がした。グラグラして世界が遠い。

「誰か!」

 ギャビーはそれでなんとか叫び声をあげたのだった。

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