13
石の通路を戻って先ほどの二枚の絵が飾られたサロンについた。
確かにケネスが言った通りお茶が用意されていた。少しだけ冷めていたが仕方ないだろう。
ソファに腰かけようとしたギャビーは、その下に何かが落ちているのを見つけた。手のひらに載ってしまいそうな紙の小片だ。拾い上げてみれば、無造作なメモだった。
『ケネスへ あなたがいてくれてよかった。愛している。 エリザベス』
あらまあ、とギャビーはそれを気まずい思いで折りたたみ、ポケットにしまった。他人の……しかも顔見知りの恋文を見てしまうとか。
ここの準備をしていた時にケネスが落としたのだろう。あとでこっそり返してやろうと思う。エリザベス……女中にいるのかもしれない。女中と家令の恋を毛嫌いする主人もいるから秘めておいてあげた方がいいだろう。
ギャビーは長椅子に座って自分でポットから入れると、海の夕日を眺めていた。
空の赤は海に滲んでいき、濃紺とまじりあう。やがて紺は空へと侵食していくのだ。思わず息を飲んでしまうほど鮮やかな海の風景を窓越しに眺めてギャビーはぼんやりとしていた。
これほどに美しい世界なのにミアを見つけることができない。
と、背後で硬質な小さい音がした。
振り返ってみれば屋敷側の通路から、一人の男性が顔をのぞかせたのだった。想定していなかったようで、彼の方がぎょっとしている。
「……ガブリエラ嬢」
やがて胡乱気な表情に変わり、彼……フィリップ・キンケイドは面倒くささを隠しもしない響きで問う。
「ギャビーで結構です。キンケイドさん」
ギャビーに呼びかけられたことで、彼は不愉快そうに眉を顰める。嫌悪を隠すことのない彼はギャビーの方がどうしていいのかわからなくなるほど露骨だった。図書館に居たときはほんの一瞬の会話だったが、彼がギャビーを避けていることが分かった。今もまた遭遇してしまい会話を始めたことを面倒に思っているのが分かる。
「こんなところでどうして?」
「ちょっと海岸に下りていました」
ふんと彼は鼻を鳴らした。
「君もここに滞在するのか」
「ええ、ランディからゆっくりしていってほしいと言われています」
そしてギャビーは手掛かりが欲しい。ミアの失踪の理由で腑に落ちない点を補完できるような。そうじゃないと。
たとえミアがもう死んでいると頭ではわかっていても、心でそれをうまく飲み込むことができないのだ。
「ローレンス様はそれを望んでいないようだが」
なるほど、と思った。
ローレンスの実際はわからないが、フィリップはギャビーを歓迎していない。そしてローレンスの意には逆らうことなどないだろうフィリップの言うことだ。やはりローレンスもシナバーであるギャビーを好きではないということがつかみ取れる。
「さあ……まだお目にかかれていないので」
「君と会わないということが答えでは?」
「……そう険悪なことをおっしゃらなくても、私は別にモルからランディを取ったりしませんよ。あなたが何を心配しているかわかりませんけど、お嬢さんの魅力を信頼してあげたらいかがですか」
もっと柔らかい言い方もできたがあえて避けてギャビーは辛辣に言う。
「ランディはきっとモルと結婚するでしょう」
まるでそれがあなたの望みなんでしょうと、断定する自分の言い方は確かに趣味が悪い。
……そういえばこういった見当外れの敵愾心をモルからは感じることがなかったと気が付く。モルの方が心配するならわかるが、まるでそんなことに興味がないようだった。ギャビーの存在にイライラしているのは父親のフィリップだ。確かに娘が公爵家に嫁ぐことができるかどうかというのは大きい。
「別にこちらもそんなことは気にしていない。大体君の家柄もシナバーということも、モルにかなうものではないだろう」
「おっしゃるとおり」
ギャビーの言い方に苛立ったのか、フィリップは鋭い目でこちらを睨んでくる。
……なんだか貴族らしからぬ、そう思った。舐めた相手への態度は確かに不快なのだが、有無を言わさぬ……それこそ人を人とも思わないようは尊大さとはまた違っていた。彼自身も下にあってその底辺から這いあがってきたような、身近な卑屈を感じ取った。
「不愉快な女だな」
そう言い捨ててフィリップは身を翻した。
彼がギャビーに声をかけてきた理由は、ランディに色目を使うような真似をするなという意図があったのだろう。だが本当にギャビーを軽んじているのならむしろそんなことはしないはずだ。
公爵家がギャビーを認めるなんてことさえ、想像の範囲外なんだろうから。
フィリップがギャビーに牽制するなんて不可解以外の何物でもない。
それでもまあ。
ギャビーがため息をついた
不愉快は不愉快だったのだ。そう思うくらいは許されていいだろう。
気が付けば風が強く吹き始めていた。今日は雨こそ降らないまでも、風の音がうるさいだろう。そんな予感を得ながらギャビーは窓の外を見ていた。




