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 せっかく海の見える屋敷なのだから、崖下に下りて海を見に行くことにしたのは夕刻近かった。円形に滑らかな曲線をもって続く一階の廊下を歩き、崖下への階段につながっている小部屋に向かう。

 碁盤上の白と黒の床石は途中でベージュの大理石に変った。柔らかい色は海の砂を思わせた。


 海に続く階段への出口になっている部屋は小さなサロンになっており、そこには二枚の女性肖像画が飾られていた。意匠化された花模様の壁紙に白い柱、繊細な彫刻の施されたテーブルと椅子があり、絨毯の色彩の華やかさもあって極めて女性的な部屋だった。


 肖像画は両方ともまだ若い女性の姿だ。

 一枚は滑らかな栗色の毛に、この海を思わせる深い蒼の瞳をしていた。瞳の色が生える白いドレスを着ていた。その顔立ちには心当たりがあった。オスカーとランディの母で今はもういないアデラインであろう。

 もう一枚はかなり濃い褐色の髪をした繊細そうな性格がうかがえる女性の絵だった。


「どちらへ?」

 ぼんやり絵をみていたギャビーは不意に話しかけられぎょっとして振り返った。

 昨日この城に来た時一番に行き会った家令の男だった。淡い色の髪をポマードで綺麗に後ろに流し、昨日も思ったがなかなかに洒落者の上ハンサムだ。


「あなたがこちらのお屋敷の中をまとめていらっしゃるの?」

「ええ、まだ若輩者ですが。もともとはローレンス様の秘書でしたが、長くこちらで家令を務めていた者が、加齢もあって急に病気で引退したんです。本当はもっと経験のある者が良いのでしょうが、なかなか公爵の目に叶う者がおらず」

 この若さで屋敷の使用人を取り仕切るのは大変だろうが二度ない機会でもあろう。断る理由などない。


 ただ、ローレンスが家令として経験のあるものを探すより、若輩ながら信頼できるものを選んだというところは気になった。そもそもが人間嫌いなのかもしれない。


「こちらはどなたの絵なんでしょうか。こちらの蒼い目で白いドレスの方はオスカー様によく似ていらっしゃる」

 ギャビーが尋ねると彼はすらすらと答える。

「ご想像の通り、オスカー様とランディ様のお母上のアデライン様です。ランディ様をご出産された後、お体の具合を悪くして亡くなられました。私はお会いしたことがございません。もうお一方はオスカー様の奥様のステファニー様です」

「じゃあロバートとリンダのお母様ね」


 駆け落ちに事は触れずにギャビーは答える。

 ……かかわった者のうち、女性ばかりが早くに居なくなる城だ。

 ふっとよぎったその考えをギャビーは振り払った。


「ところでこちらにはどうして?」

「ええ、海に下りてみようと思って」

「階段はかなり長いですよ?」

 言いかけたケネスはそのまま思い出したようだった。目の前のいる娘がシナバーだということに。あれしきの階段は特に問題ではないのだろうと判断したようだ。あえて確認することもなく言葉を続ける。


「どれほど下に行っていらっしゃいます?」

「一時間もいないと思うわ」

「では戻られそうな頃を見計らってこちらにお茶をご用意いたしましょう。窓が大きいのでこちらからでも海は見られます」

「ありがとう」

 まだ若いが、気は回るようだ。


「一つ、聞いてもいいかしら」

「なんでしょう」

「ミアとはこの城で会ったことがある?」

 その瞬間、ケネスの表情に一瞬だけなにかがよぎった。

 何か、だ。

 あっという間に消え去ってしまったそれの正体を掴むことができなかったが、確実に何か『言ってはならないこと』を彼は知っているように思えた。


「……はい」

 当たり障りなくケネスは好感度の高い微笑みを返してきた。

「ランディ様がよくお連れになりました。お茶をしたり、海辺にピクニックをしたり、ロバート様、リンダ様にも大変優しくしてくださいましたよ」

「ミアはここでローレンス様に優しくしてもらえていたのかしら」

「……お二人がどんな会話をなさっていたのかまでは……」

 いや、知っているとギャビーは直感する。


「申し訳ありません」

「いえ、いいの。きっとそうしてもらえていたと思うから」

 ギャビーは自分がケネスから感じ取った何かがあることを伏せた。

 いかに公爵家を継ぐわけではないと言ってもランディもまたローレンスの子だ。ローレンスが子の結婚に口を出さないなどということはないだろう。


 ギャビーは会話をそこで終わらせて、サロンを出る。円形の城から出て、風が吹き抜けている回廊を進めばやがて豊かな装飾は消え去り、武骨な石階段が現れた。

 途中までは建物の一部であるように壁とアーチ形の天井もあったが、それも途中で突然終わり、金属の格子をあけると、目の前には簡素な柵と手すりしかない通路が続くばかりとなった。


ギャビーはきちんと格子を閉めて、先に進んだ。建物としては四階ほどの高さからずっと降りていく。行きの下り階段も足が不自由な人間には辛いだろうし、帰りは相当だ。風が強い日は煽られて危ないのではないかと思った。

 波の音は切れ目なく、徐々に大きくなり、そしてギャビーの足先はついに砂を捕らえた。奥行きはニ十メートルほどの小さな海岸だった。


「オスカー様?」

 先客がいたことに気が付き、ギャビーは声をかけた。海を見ていた彼が振り返る。

「やあ」

 彼はにっこりと笑って手をあげる。ギャビーは砂の上を渡って波打ち際に立つ彼に近づいた。


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